安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 20… 安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 2021年4月)は日本の民謡歌手(奄美シマ唄唄者)、民謡指導者。ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部瀬戸内町の歌い方で、小学生から大人までを対象とした三味線、民謡教室を運営し、多くの唄者を育てた。鹿児島県徳之島の伊仙町出身、喜界島(喜界町)在住。 生まれ育った徳之島の伊仙町目手久(めてぐ)は「花ジマ」とも呼ばれるシマ唄文化の盛んな地域で、シマ唄好きな両親に育てられた。このため、徳之島のシマ唄は熟知していたが、1959年名瀬市(現奄美市)に渡り、農業機械の販売会社に就職すると、奄美大島のシマ唄にも親しんだ。特に1964年頃から瀬戸内町の武下和平がテレビ、ラジオ等で注目されると、ひぎゃ唄を習い覚えた。
山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 19… 山田 酉吉(やまだ ゆうきち、1916年5月25日 - 1987年4月1日)は、日本の実業家。味覚糖創業者で、社長、会長を歴任。 鹿児島県大島郡伊仙村(後に伊仙町)西伊仙出身。1932年に伊仙尋常高等小学校高等科を卒業し、同年4月から大阪市の菓子卸問屋に勤める。1936年11月、大阪市にて菓子卸小売店を経営。1941年9月、菓子統制により卸業者11店で配給組合を結成し、支配人となる。1943年8月、株式会社大和鉄工所を設立して代表取締役に就いて航空機部分品の生産に従事するが、1945年6月7日に戦災を受けて会社解散。奈良県に疎開。 戦後の1948年3月、大阪市に菓子卸業の株式会社誠商会を設立し、会長に就く。
泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 195… 泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 1959年4月9日 )は、日本の政治家、詩人、教育者。名瀬市長(1期)。 鹿児島県大島郡伊仙村生まれ。1924年3月、鹿児島県立第二師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒業。卒業後は、小学校の教員として鹿児島と東京の学校を転々とした。1931年、日本大学専門部国文科中退。 1950年8月、奄美大島社会民主党を結成し、書記長、中央執行委員長を歴任した。同年、群島議会議員選挙に同党公認で立候補したが、次点で落選した。1951年2月、奄美大島復帰協議会を結成して、議長となった。同年8月1日から5日まで日本復帰の断食祈願を行った。その後、奄美各地で決起集会が開かれ、参加者が24時間の断食を行うなどの広がりを見せた。
本郷 かまと(ほんごう かまと、1887年9月16日?(また… 本郷 かまと(ほんごう かまと、1887年9月16日?(または1888年-1893年頃4月8日の可能性あり) - 2003年10月31日)は、かつて世界最高齢の人物としてギネス世界記録に認定されていた鹿児島県徳之島在住の日本人女性。戸籍上は1887年9月16日生まれで死去時には116歳であったが、年齢に異論が唱えられ2012年に世界記録の認定を取り消された。通称「かまとバア」。 鹿児島県大島郡徳之島面縄方(現在の伊仙町、徳之島の南部)出身。戸籍上は9月16日生まれだが、ひ孫によると実際の誕生日は4月8日であるという。1908年(明治41年)、本郷福佑と結婚。7児の母となる。その後曾孫、さらには玄孫(やしゃご)にも恵まれた。
泉 重千代(いずみ しげちよ、定説では1880年頃 〈戸籍上… 泉 重千代(いずみ しげちよ、定説では1880年頃 〈戸籍上は1865年6月29日〉 - 1986年2月21日)は、奄美群島徳之島(当時は薩摩藩領内、現在の鹿児島県大島郡伊仙町阿三)出身の男性。1995年までギネスブック公認の世界最長寿、2010年まで男性としての世界最長寿とされていた人物。1865年(慶応元年)6月29日生まれの120歳とされてきたが、後述のように生年月日への疑問が呈され、現在120歳説は否定されている。 1972年に男性の日本最高齢、1976年に存命の日本最高齢という扱いになり、1979年にはギネスブックで世界最高齢と認定された。その後世界歴代最高齢記録はフランス人の女性ジャンヌ・カルマンによって更新されたが、男性としての世界最高齢記録は保持していた。
伊集田 実(いじゅうだ みのる)1924年(大正13年)5月… 伊集田 実(いじゅうだ みのる)1924年(大正13年)5月20日 - 1991年(平成3年)5月17日。日本の劇作家、舞台演出家。 横浜市鶴見区潮田町483番地にて父實行、母ぐでの長男として出生。幼少の頃、父の事業の失敗で鹿児島県大島郡伊仙町面縄の親戚に引き取られて面縄小学校に通う。11歳の時に東京都港区芝の叔父道行に引き取られ、そこから南海小学校5年に通った。1944年7月、東京帝大が栃木県那須で林間大学講座を実施し、仏文学者鈴木信太郎の「フランス古典悲劇について」の講義があるというので伊集田は申し込んだ。しかし、講座に参加してみると鈴木教授は来ず、内容の変更されて土屋喬雄教授の「九州の一揆」講義を聞く。