又吉 亮文(またよし あきふみ、1995年11月20日 - … 又吉 亮文(またよし あきふみ、1995年11月20日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。兄はオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属の又吉克樹。従姉妹は舞台女優の大村沙亜子。 浦添市立浦添中学校入学時から野球を始め、当時は外野手としてプレー。同級生に與座海人(西武)がいる。 沖縄県立浦添高等学校進学後に自らの希望で投手に転向。当時はオーバースローのフォームで、球速は120km/h前後の平凡な投手だった。ベンチ入りできたのは2年生の秋のみで、中学時代も高校時代も目立った成績を残せなかった。 高校卒業後は野球を辞め、琉球大学に進学して教員免許を取得することを目指していたが、3年生の秋に兄の又吉克樹がドラフト会議で中日ドラゴンズより2位指名を受けたことで奮起し、野球を続けるために兄と同じ環太平洋大学に進学。
與座 海人(よざ かいと、1995年9月15日 - )は、沖… 與座 海人(よざ かいと、1995年9月15日 - )は、沖縄県浦添市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 「與」が旧字体であるため、報道などでは苗字が「与座」と表記されることもある。 兄の與座健人は社会人野球のパナソニックの投手であり、弟の與座巧人も社会人野球・伏木海陸運送の投手である。 浦添市立前田小学校の1年時から「前田ホークス」で野球を始めると、浦添市立浦添中学校では軟式野球部でエースとして活躍。中学時代の同級生に又吉亮文がいる。 沖縄尚学高等学校への進学当初はオーバースローで投げていたが、3番手以下の扱いで、投手出身の監督の比嘉公也の勧めで2年時の夏からサイドスローに転向。
又吉 克樹(またよし かつき、1990年11月4日 - )は… 又吉 克樹(またよし かつき、1990年11月4日 - )は、沖縄県浦添市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。 弟は独立リーグ球団に所属歴のある又吉亮文。舞台女優の大村沙亜子とは従姉妹にあたる。 浦添市立浦添小学校1年生のときに仲間ジャイアンツで野球を始め、浦添市立浦添中学校では軟式野球部に所属。守備位置はセカンドであったが、チームメイトであった島井寛仁も「試合に出た姿をほとんど見てない」と語ったように、中学時代は試合に出ることすらできなかった。 沖縄県立西原高校入学時点では身長158cm・体重40kgと非常に小柄で、部内では「マメ」のあだ名をつけられるほどだったが、月日が経つにつれ、体が少しずつ成長。
島井 寛仁(しまい ひろひと、1990年6月19日 - )は… 島井 寛仁(しまい ひろひと、1990年6月19日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。株式会社Wildball取締役。 浦添中学校時代に100メートル11.0秒の俊足を買われ、野球部に所属しつつ陸上競技会に出場していた。3年生の時には走り幅跳びで記録した6メートル81センチは、2012年時点でも沖縄県の中学生記録になっている。 興南高校への入学直後に三塁手のレギュラーを確保したが、1年生の夏から投手に転向。最速140km/hの速球を武器に、同学年の東浜巨(沖縄尚学高)、伊波翔悟(浦添商高)などと肩を並べる投手になったが、人間関係の問題から2年生の春に西原高校に編入した。
親富祖 弘也(おやふそ こうや、1972年8月29日 - )… 親富祖 弘也(おやふそ こうや、1972年8月29日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(捕手)。 宜野湾高から、1990年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団(背番号は61)。高校時代は無名選手であったが、100mを11秒で駆け抜ける俊足を持つ左打ちの捕手との触れ込みで入団した。 一軍出場のないまま、1996年限りで現役を引退 。守備だけなら一軍レベルと評されるも、二軍打率.213という打撃に課題があり伊東勤の第2捕手となることはできなかった。引退当時は24歳とまだ若かったが、任意引退の手続きを取った理由としては、自身によれば第2の人生を考えていたためであったと言う。
友利 結(ともり ゆい、1967年9月21日 - )は、沖縄… 友利 結(ともり ゆい、1967年9月21日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(投手)。2014年シーズンより中日ドラゴンズの投手コーチを務める。