菊池 恭二(きくち きょうじ、1952年5月5日 - )は、… 菊池 恭二(きくち きょうじ、1952年5月5日 - )は、日本の棟梁、宮大工である。「法隆寺の鬼」と呼ばれた故西岡常一棟梁の元で修行を積む。菊池は著書の中で人育てに言及しており、基本は「教えないこと」という独自の教育論を展開している。
職業が建築家・建築学者:1,277人
菊池 恭二(きくち きょうじ、1952年5月5日 - )は、… 菊池 恭二(きくち きょうじ、1952年5月5日 - )は、日本の棟梁、宮大工である。「法隆寺の鬼」と呼ばれた故西岡常一棟梁の元で修行を積む。菊池は著書の中で人育てに言及しており、基本は「教えないこと」という独自の教育論を展開している。
松岡 拓公雄(まつおか たけお、1952年4月12日 - )… 松岡 拓公雄(まつおか たけお、1952年4月12日 - )は、日本の建築家。滋賀県立大学環境科学部教授を経て、亜細亜大学都市創造学部学部長。兵庫県出身、九州と北海道で育つ。 1976年に東京芸術大学美術学部を卒業し、1978年に大学院美術研究科天野太郎研究室(環境建築デザイン)修了。1978年から丹下健三都市建築研究所に勤務、東京都庁コンペ終了後、1986年に仲間に呼びかけ(株)アーキテクトファイブを設立、共同主宰型の事務所とする。1999年に滋賀県立大学助教授就任。2006年にアーキテクトファイブのパートナーを解体し、新たに(合)アーキテクトシップを東京と滋賀に設立。以後、関東と関西にて教育、設計活動に従事。
矢萩 喜從郎(やはぎ きじゅうろう、1952年2月25日 -… 矢萩 喜從郎(やはぎ きじゅうろう、1952年2月25日 - )は、日本の芸術家、デザイナー、建築家、写真家。 東京学芸大学卒業、桑沢デザイン研究所卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。グラフィック、エディトリアル、サインをはじめとするデザイン領域から、写真、アート、彫刻、建築、椅子・家具、照明、評論、出版等を手がける。慶應義塾大学理工学部非常勤講師(2003年-2019年)、早稲田大学非常勤講師(2015年-2021年)を務めた。 WHY NOT?(東京都現代美術館パーマネントコレクション) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
澤岡 清秀(さわおか きよひで、1952年 - )は,、日本… 澤岡 清秀(さわおか きよひで、1952年 - )は,、日本の建築家。工学院大学名誉教授。博士(環境学)。澤岡建築設計事務所代表。山口県柳井市出身。 東京大学では芦原義信、香山壽夫に師事。ハーバード大学大学院に留学。リチャード・マイヤーに学び、1977年、建築修士(M.Arch)を取得。その後、ケヴィン・ローチ、リチャード・ロジャーズの事務所で研鑽を積む。ロジャーズ事務所ではロンドンのロイズ本社ビルの基本設計に携わる。帰国後、1980年から1992年にかけて槇文彦+槇総合計画事務所に勤務。スパイラル、京都国立近代美術館、津田ホール、ノヴァルティスファーマ筑波研究所などを担当した。この間1年間(1988年~1989年)、コロンビア大学に客員教授として招聘され、ケネス・フランプトンと共に大学院設計スタジオを教える。
彦坂 裕(ひこさか ゆたか、1952年 - )は、日本の建築… 彦坂 裕(ひこさか ゆたか、1952年 - )は、日本の建築家、環境デザイナー。 (株)スペースインキュベータ代表。環境デザインや空間設計のほか、都市等 にかかわる仕事を展開。デザインに加えプロデュースやコンセプトワークと研究開発にまで関わる多層的な活動を展開している。 東京教育大学附属高校、東京大学工学部卒業。1978年、東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了し、スペースインキュベータを創設。これまでに、つくば博、大阪花博などに関与、また愛知万博の長久手日本館、瀬戸日本館を始め8つの博覧会で政府出展事業のクリエイティブ統括ディレクターを務める。愛知万博では日本館を設計。上海国際博覧会では博覧会計画委員で、上海万博日本館を手がける。
杉浦 伝宗(すぎうら でんそう、1952年 - )は、日本の… 杉浦 伝宗(すぎうら でんそう、1952年 - )は、日本の建築家。アーツ&クラフツ建築研究所主宰。 愛知県半田市生まれ。
白江 龍三(しらえ りゅうぞう、1952年 - )は、日本の… 白江 龍三(しらえ りゅうぞう、1952年 - )は、日本の建築家。埼玉県出身。白江建築研究所主宰。日本建築学会会員、東京建築士会会員の他、日本建築都市診断教会運営委員。 日本設計時代、東京都多摩動物公園昆虫生態館で、1989年第41回日本建築学会賞作品賞受賞。日本システムウエア山梨ITセンターで、グッドデザイン賞、日経ニューオフィス賞、免震構造協会賞作品賞受賞。カカシ米穀深谷工場オフィス棟で、日本建築家協会環境建築賞入賞。太田市立休泊小学校でBELCA賞受賞。金沢駅東広場でTHE CHICAGO ATHENAEUM : Museum of Architecture and Design International Architecture Awards 2007、INTERNATIONAL ALUPROGETTO AWARD 2006 civil and industrial structures 部門 the first prize受賞。
北川 圭子(きたがわ けいこ、1952年 - )は、日本の建… 北川 圭子(きたがわ けいこ、1952年 - )は、日本の建築学者。郡山女子大学家政学部人間生活学科名誉教授。インテリアプランナー。北海道出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
川上 恵一(かわかみ けいいち、1952年 - )は、日本の… 川上 恵一(かわかみ けいいち、1952年 - )は、日本の建築家。信州大学工学部社会開発工学科建築コースや早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師。長野県塩尻市出身。 1975年、早稲田大学理工学部建築学科卒。北野建設、 降幡建築設計事務所を経て1993年に現事務所を設立。縄手通り商店街で2001年に国土交通省手づくり郷土賞と松本市都市景観賞を受賞。松本市の建築設計事務所・有限会社かわかみ建築設計室を主宰。 著書に、住み継ぐ家の物語 設計職人の仕事とその家族たち (発行:オフィスエム、ISBN 978-4-904570-00-5 C0055)
宮崎 浩(みやざき ひろし、1952年 - )は、日本の建築… 宮崎 浩(みやざき ひろし、1952年 - )は、日本の建築家で、株式会社プランツアソシエイツ(東京都中野区、法人番号:6011201004873)代表取締役。福岡県生まれ。 1975年(昭和50年)、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1977年(昭和52年)、同大学大学院修士課程修了。 1979年(昭和54年)から1989年まで、槇総合計画事務所に所属。 1989年、プランツ建築デザイン事務所設立。1991年(平成3年)、プランツアソシエイツに改称。 現在、早稲田大学、 京都工芸繊維大学、 前橋工科大学非常勤講師。 1994年(平成6年)、中原中也記念館でJIA新人賞受賞。2000年(平成12年)、NSPビルで日本建築学会作品選奨。
高谷 時彦(たかたに ときひこ、1952年 - )は、日本の… 高谷 時彦(たかたに ときひこ、1952年 - )は、日本の建築家。東京都調布市に事務所を構える。元東北公益文科大学大学院特任教授。東北公益文科大学大学院非常勤講師。 香川県立高松高等学校、東京大学工学部都市工学科卒業。東大時代は大谷幸夫に師事。槇総合計画事務所勤務の後、独立。槇文彦の著作『見えがくれする都市』(鹿島出版会SD選書)では、共著者の一人として「道の構図」担当。長岡造形大学、神奈川大学、工学院大学、東京大学、芝浦工業大学などの非常勤講師を歴任し、東北公益文科大学大学院特任教授を経て東北公益文科大学大学院非常勤講師。
林 己知夫(はやし みちお、1952年 - )は、日本の建築… 林 己知夫(はやし みちお、1952年 - )は、日本の建築家。
山下昌彦(やました まさひこ、1952年- )は日本の建築家… 山下昌彦(やました まさひこ、1952年- )は日本の建築家、都市計画家。株式会社UG都市建築代表取締役。建築・まちづくり専門家。APECアーキテクト。 銚子市都市計画マスタープラン策定委員会委員。日本建築家協会、日本都市計画家協会会員。山梨県甲府市生まれ。
北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10… 北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10月31日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。長野県千曲市生まれ。元東京芸術大学教授(2019年3月退任)、元「北川原温建築都市研究所」代表取締役所長。現在東京芸術大学名誉教授、「MET株式会社」フェロー職。日本建築学会賞作品賞、日本芸術院賞、日本建築大賞、村野藤吾賞、ケネス・F・ブラウン建築文化大賞、など多数受賞。 東京芸術大学建築科在学中に国際設計コンペで1位となり、大学院ではサウジアラビアで都市計画の仕事に携わる。20代から設計活動を始め、これまでに多くの作品が世界に紹介されている。 日本建築学会賞、村野藤吾賞、グッドデザイン賞金賞、アルカシア賞ゴールドメダル、ケネス・F・ブラウン大賞をはじめ国内外の多数の建築賞を受賞。
辻本 誠(つじもと まこと、1951年5月29日 - )は、… 辻本 誠(つじもと まこと、1951年5月29日 - )は、日本の建築学者、工学博士。専門は防災学。 1974年、東京大学工学部建築学科卒業、1976年同大大学院工学系研究科修士課程修了。1978年、同大博士課程中退後、名古屋大学工学部助手となる。同大助教授、教授、大学院教授を経て、2004年から東京理科大学総合研究所火災研究部門教授。 著書に、『防・耐火総プロの研究開発成果と性能規定の考え方』(建築研究振興協会、1998年)、『火災に向き合う建築学-かけがえのない生命と財産を守るために』(大宮喜文との共著、オーム社<東京理科大学坊ちゃん選書>、2006年)がある。 名古屋大学の教授時代にドライミストを発案した者として世界的に知られるようになった。
岩本 秀三(いわもと ひでみ、1951年(昭和26年)5月1… 岩本 秀三(いわもと ひでみ、1951年(昭和26年)5月12日 ‐ )は、日本の建築家。 『広島派』と称される建築家の一人である。 そもそも広島派というのは、単なる広島県の建築家もしくは、建築手法という意味ではない。この言葉の起源は、1995年、第11回吉岡賞(現:新建築賞)に「野尻の舎」がノミネートされた際、審査員の一人であった竹山聖が、講評において、同広島県の建築家である村上徹・宮森洋一郎、両氏の名を挙げ、野尻の舎においての建築手法を評する意味で用いたのが始まりである。1980年から1990年代初頭は、広島県の当時若手であった建築家が評価を受け、注目され始めた流れがあった。昨今においても広島の建築界に対して大きな影響を与えている。
東 秀紀(あずま ひでき、1951年3月27日 - )は、作… 東 秀紀(あずま ひでき、1951年3月27日 - )は、作家、建築・都市史家。東京都立大学特任教授。英国王立都市計画家協会正会員。一級建築士資格所有。2001年日本建築学会文化賞を受賞。日本文藝家協会正会員。 和歌山県生まれ。1969年早稲田大学高等学院卒業、1973年早稲田大学理工学部建築学科卒業。NKK(日本鋼管、現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社後、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン建築環境学部都市計画学コース大学院に留学、博士前期課程修了。 海外留学での知見をもととし、都市計画と文学をからませた『漱石の倫敦、ハワードのロンドン』、『荷風とル・コルビュジエのパリ』などの著作を執筆したのち、1994年『鹿鳴館の肖像』で歴史文学賞を受賞し、小説家としてもデビュー。
神出 政巳(じんで まさみ、1951年(昭和26年)3月10… 神出 政巳(じんで まさみ、1951年(昭和26年)3月10日 - )は、日本の政治家、建築士。和歌山県海南市長(新市6期、旧市1期)。全国市長会相談役、和歌山県市長会会長などを務めた。 和歌山県海南市出身。和歌山県立海南高等学校卒業。明治大学大学院工学研究科建築学専攻修了。一級建築士の資格を持つ。 海南市議会議員(2期)、和歌山県議会議員(2期)などを経て、2002年(平成14年)に海南市長選挙に初当選。 2005年(平成17年)4月1日、旧海南市は海草郡下津町と新設合併をし、新海南市が発足。これに伴って行われた市長選に無投票で当選。以後6回連続で無投票で当選。
西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建… 西方 里見(にしかた さとみ、1951年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。西方設計代表。 秋田県生まれ。日本における高断熱・高気密住宅の先駆け、第一人者として有名で「断熱の神様」と呼ばれる。
山際 認(やまぎわ みとむ、1951年 - )は、日本の建築… 山際 認(やまぎわ みとむ、1951年 - )は、日本の建築家(一級建築士)。I.M.A.都市建築研究所代表取締役。大阪工業大学建築学科卒業後、カナダのトロントに渡り、日系人建築家のアトリエなどで研修をした。帰国後は、西原清之(建築家、都市計画家、トロント大学元講師)の西原研究所(Nishihara Planning Systems Inc.)に入社、建築意匠設計を担当した。 2000年に入って、中国の建築家の招きを受けたのをきっかけに都市計画にも取り組むようになった。その当時中国は著しい高度経済成長を遂げ始めたころで、将来を見据えた大規模な都市整備が急務であった。そこで各省政府は、欧米の建築家を招聘し設計競技を行うようになった。
積田 洋(つみた ひろし、1951年 - )は、日本の建築学… 積田 洋(つみた ひろし、1951年 - )は、日本の建築学者・建築家。2021年時点では東京電機大学未来科学部学部長。博士(工学)を東京大学より取得している。 1975年に東京電機大学工学部建築学科を卒業。引き続き大学院に進み研究生となる。 設計事務所勤務を経て、東京電機大学未来科学部建築学科教授に就任し、同大学未来科学部建築学科学科長を務めたのち現職。 日本における空間計画学創成期の代表的研究者の一人。建築・都市空間研究室を船越徹と共に運営する。[要出典] この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
江本 正和(えもと まさかず、1951年 - )は、日本の建… 江本 正和(えもと まさかず、1951年 - )は、日本の建築家。松田平田設計代表取締役社長。 東京都生まれ。1974年、東北大学工学部建築学科卒業。1974年、松田平田坂本設計事務所(現・松田平田設計)入社。 主な担当業務に、三井銀行事務センター、栃木県総合教育センター、運輸研修所、国土交通大学校、NHK放送技術研究所、Wピル、がある。 新建築 2008年9月号
佐川 旭(さがわ あきら、1951年 - )は、日本の建築家… 佐川 旭(さがわ あきら、1951年 - )は、日本の建築家。
三浦 周治(みうら しゅうじ、1951年 - 1998年5月… 三浦 周治(みうら しゅうじ、1951年 - 1998年5月)は、日本の建築家。三浦周治アトリエを主宰し、数々の建築を残す。日本建築構造技術者協会JSCA建築構造士。工学博士。宮城県生まれ。 1974年、日本大学理工学部建築学科卒業。1977年、建築都市連合研究所設立に参加。1980年、日本大学大学院博士課程修了。1983年、ハーバード大学大学院デザイン学部専攻修了。1981年から1982年にナディア・アルダラン・アソシエイツに勤務。1984年から1987年磯崎新アトリエ。1987年、三浦周治アトリエ設立。 著書に、最新免震構法の理論と実践 プラントから住宅・都市計画まで 1998年 (株)エヌ・ティー・エス(共著)。
伊坂重春(いさか しげはる、1951年 - )は、日本の建築… 伊坂重春(いさか しげはる、1951年 - )は、日本の建築家。一級建築士。株式会社伊坂デザイン工房代表。武蔵野美術大学非常勤講師。 北海道生まれ。1976年武蔵野美術大学産業デザイン学科卒業。髙島屋設計部やスタジオA、江平建築設計事務所などを経て、1983年東京で、佐藤(伊坂)道子と共に、伊坂デザイン工房を設立した。1995年(平成7年)より武蔵野美術大学非常勤講師。1998年には渡辺邦夫とともに、親族の伊坂重孝が社長を務めた札幌テレビ放送のイベントホール「札幌メディアパーク・スピカ」の設計に携わり、デザインを担当した。 親族に札幌学院大学元理事長で、札幌テレビ放送元社長の伊坂重孝や、学校法人札幌学院大学専務理事を務めた伊坂員維がいる。
板屋 リョク(いたや りょく、本名:板屋 緑、1951年 -… 板屋 リョク(いたや りょく、本名:板屋 緑、1951年 - )は、日本の建築家、武蔵野美術大学造形学部映像学科元教授。早稲田大学芸術学校講師。 福岡県生まれ。1974年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1976年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。 1976年-1985年 鈴木恂建築研究所。1985年 R.D.アーキテクツ設立。1999年-2022年 武蔵野美術大学映像学科教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
長谷見 雄二(はせみ ゆうじ、1951年(昭和26年) - … 長谷見 雄二(はせみ ゆうじ、1951年(昭和26年) - )は、日本の建築学者、建設技官官僚。 東京都渋谷区に生まれる。1973年(昭和48年)早稲田大学理工学部建築学科を経て、1975年(昭和50年)同大学理工学研究科建設工学修了。旧建設省に奉職し、建築研究所研究員となる。ついで、米国商務省国立標準局(現・アメリカ国立標準技術研究所)客員研究員、建設省建築研究所主任研究員、建設省建築研究所防火研究室長を経て、1997年(平成9年)早稲田大学理工学部建築学科教授となる。 のち福井大学大学院非常勤講師、東京理科大学客員教授、東京工業大学応用セラミックス研究所客員教授などを兼任した。ほか、日本建築学会代議員、日本火災学会会長、日本建築防災協会理事などを歴任した。
望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11… 望月 敬生(もちづき よしお、1951年 - 2017年11月)は日本の建築家、日本伝統建築設計の泰斗。望月敬生建築設計室・有限会社歴史建築設計研究体代表。日本庭園協会常務理事。静岡市出身。 日本漆喰協会 第12回作品賞 (大本山巨福山 建長寺大徹堂新築工事 設計者) 息子:望月敬士(たかし) 有限会社望月敬生建築設計室・歴史建築設計研究体代表 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
岸田 省吾(きしだ しょうご、1951年 -)は、日本の建築… 岸田 省吾(きしだ しょうご、1951年 -)は、日本の建築学者、建築家、博士(工学)。
石田 敏明(いしだ としあき、1950年12月1日 - )は… 石田 敏明(いしだ としあき、1950年12月1日 - )は、日本の建築家。前橋工科大学大学院教授。神奈川大学工学研究所客員教授。(株)石田敏明建築設計事務所主宰。吉岡賞、JIA新人賞など多数[独自研究?]受賞。 住宅、集合住宅を得意とする[独自研究?]建築家の一人である。専門分野は建築デザイン・コミュニティ空間。
渡辺 真理(わたなべ まこと、男性、1950年11月25日 … 渡辺 真理(わたなべ まこと、男性、1950年11月25日 - )は、日本の建築家。法政大学デザイン工学部建築学科教授。専門は建築意匠、都市デザイン 妻である木下庸子とユニットを組み、設計組織ADHとして、住宅から公共建築まで幅広い建築設計を手がけており、日本建築学会賞、JIA新人賞などを受賞している。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、京都大学工学部建築学科卒業。同大学院修士課程修了。1979年、ハーバード大学デザイン学部大学院修了。 1981年~1987年、磯崎新アトリエ勤務、ロサンゼルス現代美術館などを担当。1987年、設計組織ADH主宰(木下庸子とのユニット)。1996年、法政大学工学部教授(2007年、改組によりデザイン工学部教授)。
内藤 廣(ないとう ひろし、1950年(昭和25年) 8月2… 内藤 廣(ないとう ひろし、1950年(昭和25年) 8月26日- )は、日本の建築家。株式会社内藤廣建築設計事務所代表。東京大学名誉教授。多摩美術大学学長 海の博物館の設計で日本建築学会賞、第18回吉田五十八賞、芸術選奨新人賞美術部門などを受賞、牧野富太郎記念館で第13回1999年度村野藤吾賞を受賞。『高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設』の設計で第70回芸術選奨文部科学大臣賞美術部門を受賞。 土木、建築、都市計画、造園、インダストリアルデザインなどの都市景観に関連した異なる職域によるデザイン・コラボレーションを提唱し、2003年には織部賞を受賞。2005年に「GSデザイン会議」(GSはグラウンドスケープの略)を篠原修らと発足、同代表。
岸 和郎(きし わろう、1950年7月12日 - )は、日本… 岸 和郎(きし わろう、1950年7月12日 - )は、日本の建築家。京都美術工芸大学大学院特任教授。京都大学名誉教授。京都工芸繊維大学名誉教授。京都芸術大学文明哲学研究所客員教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉フェロー。 イームズ・ハウス/チャールズ&レイ・イームズ(著書)
平倉 直子(ひらくら なおこ、1950年5月27日 - )は… 平倉 直子(ひらくら なおこ、1950年5月27日 - )は、日本の建築家。有限会社平倉直子建築設計事務所主宰。日本女子大学住居学科(1989年~ )、名古屋工業大学(2007年~)非常勤講師。東京大学建築学科講師。東京都目黒区生まれ。 1973年、日本女子大学家政学部住居学科卒業。1978年、(有)平倉直子建築設計事務所創設、現在に至る。1995年、警視庁目黒警察署三田交番(あかりの交番part1)で、目黒区景観賞受賞。 上信越高原国立公園 鹿沢園地自然学習歩道施設 森の小径と鹿沢インフォメーションセンターで、土木学会デザイン賞2009を受賞。「羽沢の住まい」で、1988年東京建築賞。「常盤台の住まい」で、1998年新日本建築家協会新人賞。
竹谷 忠(たけや ただし、1950年5月3日 - )は、日本… 竹谷 忠(たけや ただし、1950年5月3日 - )は、日本の建築家。神奈川大学工学部建築学科卒業。西松建設一級建築士事務所、建築部長、同社取締役、代表取締役執行役員副社長 施工本部建築担当など歴任。 1950年(昭和25年)5月3日生、1973年(昭和48年)3月 神奈川大学工学部建築学科卒業、1973年(昭和48年)4月 西松建設株式会社入社、2004年(平成16年)10月 同社建築部長、2005年(平成17年)6月 同社取締役、2008年(平成20年)6月 同社代表取締役
外山 義(とやま ただし、1950年4月22日 - 2002… 外山 義(とやま ただし、1950年4月22日 - 2002年11月9日)は、日本の建築家、建築学者。専門は建築計画学、環境心理学、高齢者住環境。岡山県に生まれ、千葉県で幼少期を過ごす。 1974年東北大学工学部建築学科卒業。在学時には東北大学YMCA渓水寮に所属した。1982年から1989年まで、スウェーデン王立工科大学に留学。論文「Identity and Milieu」をまとめPh.D(博士号)を取得。帰国後、病院管理研究所(後の国立医療・病院管理研究所)の主任研究員として、高齢者のケアと住環境を研究する。国立医療・病院管理研究所地域医療施設計画研究室室長だった1990年には、「高齢者の自我同一性と環境-生活拠点移動による環境適応に関する研究」で日本建築学会奨励賞(論文)を受賞。
飯田 善彦(いいだ よしひこ、1950年3月26日 - )は… 飯田 善彦(いいだ よしひこ、1950年3月26日 - )は、日本の建築家。元横浜国立大学Y-GSA教授。
西村 泰志(にしむら やすし、1950年1月10日 - )は… 西村 泰志(にしむら やすし、1950年1月10日 - )は、愛媛県出身の日本の建築工学・建築構造学者。勲等は旭日中綬章。大阪工業大学第12代学長・名誉教授、建築会元会長・第4代八幡工学実験場長。工学博士(京都大学)。学校法人常翔学園理事長。日本建築学会構造委員会鋼コンクリート合成構造運営委員会元幹事・鋼コンクリート接合部設計指針作成小委員会元主査。旭日中綬章受章。 専門は建築構造・建築工学、コンクリート工学。特に、柱RC梁S構造接合部の統一的構造力学モデル研究の第一人者の一人。 1973年大阪工業大学工学部建築学科卒業。鹿島建設勤務を経て、1976年大阪工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建… 浅野 正敏(あさの まさとし、1950年 - )は、日本の建築家・インテリアデザイナー。埼玉県飯能市出身。浅野設計室主宰。2006年から駿河台大学経済学部非常勤講師。
櫻井 潔(さくらい きよし、1950年- )は、日本の建築家… 櫻井 潔(さくらい きよし、1950年- )は、日本の建築家。 株式会社櫻井潔建築設計事務所・ETHNOS代表。神戸市生まれ。
宮森 洋一郎(みやもり よういちろう、1950年〈昭和25年… 宮森 洋一郎(みやもり よういちろう、1950年〈昭和25年〉 - )は日本の建築家。宮森洋一郎建築設計室主宰。吉岡賞など受賞。 1950年に広島県呉市に生まれる。1973年に京都大学工学部建築学科を卒業後、大学院へと進み1975年に修士課程を修了した。その後、東急設計コンサルタントおよび美建設計事務所に勤務するも実家の都合で広島へと戻り、1982年に宮森洋一郎建築設計室を設立した。1999年以降は広島工業大学で非常勤講師も務めている。
多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築… 多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築家。 社団法人日本建築学会四国支部長を歴任。香川県近代和風建築総合調査委員会委員、善通寺市旧善通寺偕行社整備検討委員会副委員長として国重文の旧善通寺偕行社保存修復ほか、歴史的建築物の保存・修繕に努める。まちづくりにも従事、「宇多津まちづくり」では 2007年(平成19年)国土交通省まちづくり交付金事業 まち交大賞プロセス賞を受賞。 香川県善通寺市出身。 「静修館」で1988年(昭和63年), 社団法人日本建築士会連合会 奨励賞。「飛翔の館」で1991年(平成3年), 社団法人香川県建築士会 優秀作品賞。「龍の医院」(安藤医院)で1996年(平成8年), 社団法人日本医療福祉建築協会医療福祉建築賞。
新井 清一(あらい きよかず、1950年 - )は、日本の建… 新井 清一(あらい きよかず、1950年 - )は、日本の建築家。京都精華大学デザイン学部建築学科客員教授。アライ・アーキテクツ一級建築士事務所主宰。 神奈川県横浜市生まれ。1980年中央大学商学部卒業。1983年南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)大学院修士課程修了。2004年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。 1979年から1991年の間、米国のモーフォシス建築設計事務所に所属。1991年にアライ・アーキテクツ事務所を設立。 2014年より京都精華大学客員教授を務める。 主な作品に「くまもとアートポリス」(1988年)、「京都精華大学自習棟」(自在館)、「大連医科大学新校区総体計画設計」、「杖立温泉会館」など。
入江 経一(いりえ けいいち、1950年 - )は、日本の建… 入江 経一(いりえ けいいち、1950年 - )は、日本の建築家、工業製品デザイナー・キュレーター・デザインディレクター。デザイン教育者。デザイン教育者としての専門はインタラクションデザイン理論やインタラクションデザインプログラム。建築とアート、デジタルネットワーク環境などの境界域で活動を築いてきた人物。多摩美術大学美術学部、情報科学芸術大学院大学教授を歴任し、現神戸芸術工科大学大学院/芸術工学部映像表現学科教授。東京出身。 1974(昭和49)年、東京芸術大学美術学部建築科卒業、1976年同大学大学院修士課程修了。大学院時代に建築評論も行っていた評論家の多木浩二と出会ってMOMAでの都市展(1975年)に向けて1年半のリサーチと制作にかかわり、都市フィールドワークとその理論化を図る。
荒 知幾(あら ともいく、1950年 - )は日本の建築家・… 荒 知幾(あら ともいく、1950年 - )は日本の建築家・インテリアデザイナー。東京都出身。日本大学芸術学部美術学科卒業。 1986年にホテルニューハコダテ再構築がイタリアのOttagono誌に掲載。国際的な評価を得る。 1988年に住宅建築のVILLA IN A SMALL MOUNTAIN 、1992年にレストランCAPRICCIOのインテリアデザインを手掛ける。 2008年には建築家クリスチアーノ・トラルド・ディ・フランシア、添田浩との共同設計による大規模共同住宅が”都市の自然”をテーマとして千歳烏山に完成。 コンセプターとしてはTEATRO SUPERSTUDIO(2008年)、X-SCAPESデザイン展(2009年)などの国際的なイベントを成功させている。
笠嶋 淑恵(かさじま よしえ、1950年- )は、日本の建築… 笠嶋 淑恵(かさじま よしえ、1950年- )は、日本の建築家。中京地域で活動。名古屋市生まれ。
川越 裕章(かわごえ ひろあき、1950年 - )は、日本の… 川越 裕章(かわごえ ひろあき、1950年 - )は、日本の建築家。実業家。東京都建築士事務所協会理事・北支部副支部長。建築設備検査資格者。適合証明技術者。有限会社トッププランニング主宰。社団法人日本建築学会正会員。 東京都生まれ。1973年日本大学理工学部卒業後、ヨコミネ建築事務所入社。1975年一級建築士取得。1977年、川越建築設計事務所入社1990年、トッププランニング設立。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
田島 正陽(たじま まさはる、1950年 - )は、日本の建… 田島 正陽(たじま まさはる、1950年 - )は、日本の建築家。日本建築家協会九州支部・理事・支部長。群馬県生まれ。
前田 光一(まえだ こういち、1950年 - )は、日本の建… 前田 光一(まえだ こういち、1950年 - )は、日本の建築家。包(パオ)建築設計工房を主宰。新潟県生まれ。 1973年、日本大学芸術学部美術学科卒業後、ドイツで活動。1977年、黒川哲郎+デザインリーグ。1979年、アルテック建築研究所。1984年、包(パオ)建築設計工房設立。1998年から、日本大学理工学部非常勤講師。作品に、集合住宅「HARUKOMA」「奥沢の家」「曲り屋の家」「御殿山の家」「書架の家」 がある。
矢﨑 博一(やざき ひろかず、1950年 - )はぴいえいえ… 矢﨑 博一(やざき ひろかず、1950年 - )はぴいえいえす株式会社代表取締役、日本の建築家。東京都建築士事務所協会 木造耐震専門委員会委員長。 長野県生まれ。1973年日本大学生産工学部卒業。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。