中村 竹蔵(なかむら たけぞう、明治2年3月25日(1869… 中村 竹蔵(なかむら たけぞう、明治2年3月25日(1869年5月6日) - 1945年(昭和20年)2月2日)は、日本の検事。 東京府出身。1892年(明治26年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。東京区裁判所判事、函館地方裁判所判事、函館控訴院検事、東京地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事、東京控訴院検事、函館地方裁判所検事正を歴任した。1907年(明治40年)、統監府判事に転じ、京城地方裁判所長となり、さらに朝鮮総督府検事となり、京城控訴院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1920年(大正9年)に高等法院検事長に就任した。 1945年(昭和20年)2月2日、東京都世田谷区の自宅で死去、75歳。
渡邊 正清(わたなべ まさきよ、慶応2年9月9日(1866年… 渡邊 正清(わたなべ まさきよ、慶応2年9月9日(1866年10月17日) – 昭和3年(1928年)9月3日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、検事、弁護士。 1866年、長門国阿武郡萩町(現在の山口県萩市)に出生。1895年、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。同年に判事検事登用試験に合格し、司法官試補を経て、宇都宮地方裁判所・大分地方裁判所・福岡地方裁判所・大阪地方裁判所の検事を務めた。徳島地方裁判所の次席検事に昇進したが、1906年に退官し徳島市で弁護士を開業した。徳島市会議員、徳島毎日新聞社監査役、日本化学工業株式会社取締役等を歴任。 1927年の衆議院補欠選挙に憲政会より立候補して当選し、憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が成立すると、徳島支部顧問となった。
菅野 善三郎(かんの ぜんざぶろう、慶応2年6月26日(18… 菅野 善三郎(かんの ぜんざぶろう、慶応2年6月26日(1866年8月6日) - 1924年(大正13年)9月21日)は、日本の検事。 福島県伊達郡福田村(現在の川俣町)出身。1893年(明治26年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる。仙台区裁判所検事、宮城控訴院検事、秋田地方裁判所検事正、樺太地方裁判所検事正、熊本地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正を歴任。1916年(大正5年)、大審院検事となる。 その後、台湾総督府法院検察官に転じ、覆審法院検察官長、高等法院検察官長を務めた。
萩 亮(はぎ りょう、元治元年4月27日(1864年6月1日… 萩 亮(はぎ りょう、元治元年4月27日(1864年6月1日) - 大正12年(1923年)12月19日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)、内務官僚、検事。 薩摩国薩摩郡樋脇村(現在の薩摩川内市)出身。明治法律学校(現在の明治大学)卒業後、1895年(明治28年)に司法官試補となり、1897年(明治30年)より鹿児島、久留米、佐賀、宮崎、熊本などの裁判所で検事として勤務した。1907年(明治40年)に内務省に転じ、山形県事務官・警察部長、青森県内務部長、和歌山県内務部長を歴任し、1914年(大正3年)に休職となった。 その後、1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
国分 三亥(こくぶ さんがい、文久3年12月25日(1864… 国分 三亥(こくぶ さんがい、文久3年12月25日(1864年2月2日) - 昭和37年(1962年)5月1日)は、日本の検事、朝鮮総督府官僚。錦鶏間祗候、宮中顧問官。教育者。 備中松山藩士の国分胤之(魚水実録を編纂)の子として生まれる。1883年(明治16年)に司法省法学校に入学し、1885年(明治18年)に卒業した。検事補となり、1887年(明治20年)に判事検事登用試験に合格。岡山地方裁判所検事、横浜地方裁判所検事、甲府地方裁判所検事正、高知地方裁判所検事正、大阪控訴院検事、大阪地方裁判所検事正を歴任した。1908年(明治41年)に韓国に渡り、韓国検事総長、統監府裁判所高等法院検事長に就任した。
松田 協輔(まつだ きょうすけ、文久2年8月1日(1862年… 松田 協輔(まつだ きょうすけ、文久2年8月1日(1862年8月25日) - 没年不詳)は、日本の検事。広島県尾道市長。 周防国佐波郡串村(現在の山口県山口市)出身。1885年(明治18年)に司法省法学校を卒業し、翌年に広島始審裁判所詰の検事補となった。1887年(明治20年)、判事登用試験に合格し、検事となった。以後、広島地方裁判所検事、尾道区裁判所検事、広島控訴院検事、佐賀地方裁判所検事正、名古屋控訴院検事、仙台地方裁判所検事正、長崎控訴院検事、福岡地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正、樺太地方裁判所検事正、広島地方裁判所検事正、長崎地方裁判所検事正、安濃津地方裁判所検事正、大審院検事などを歴任した。
水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(… 水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(安政4年12月27日)- 1936年(昭和11年)4月3日)は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。 近江国彦根出身。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業。徳島始審裁判所・大阪始審裁判所・大阪控訴院で判事を務め、京都地方裁判所部長・福井地方裁判所所長・岐阜地方裁判所所長を歴任した。1898年(明治31年)、大阪地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長・長崎控訴院検事長・大阪控訴院検事長を歴任した。その間、日露戦争の際には佐世保で捕獲審検所検察官を務めた。1913年(大正2年)、名古屋控訴院長に就任し、のち大阪控訴院長に転じた。1921年(大正10年)6月14日、貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した。
小林 芳郎(こばやし よしろう、安政4年3月29日(1857… 小林 芳郎(こばやし よしろう、安政4年3月29日(1857年4月23日) - 昭和11年(1936年)3月23日)は、明治から大正期にかけて活動した日本の検事。大正時代初期には大阪控訴院検事長として辣腕をふるい、「検察の神様」と呼ばれた。 肥前国水ヶ江(現・佐賀県佐賀市)において、葉隠の武士、佐賀藩士 南里与助の四男として生まれる。生まれてすぐに、与助の兄・小林丈蔵の養子となった。このころ、叔父にあたる真崎秀郡や、その友人である楠田英世と交流を持った。上京ののち東京開成学校に学ぶも中退。明治12年(1879年)、中村正直の私塾・同人社に入学した。 明治16年(1883年)に判事補となり、のちに判事から検事に転じる。
鮫島 相政(さめしま すけまさ、安政4年1月18日(1857… 鮫島 相政(さめしま すけまさ、安政4年1月18日(1857年2月12日) - 明治44年(1911年)12月12日)は、日本の衆議院議員(同志倶楽部→立憲政友会)、弁護士、検事。 薩摩国揖宿郡頴娃村(現在の鹿児島県南九州市)出身。1877年(明治10年)、警視局(のち警視庁)警部補として出仕し、山梨県と石川県で警部を務めた。1884年(明治17年)、代言人免許を取得し、弁護士として活動した。 1892年(明治25年)、鹿児島県会議員に当選し、4期務めた。その間、2回議長に選出された。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第6回・第7回と当選を重ねた。議員引退後は検事として活動した。
池上 三郎(いけがみ さぶろう、1855年3月14日〈安政2… 池上 三郎(いけがみ さぶろう、1855年3月14日〈安政2年1月26日〉 - 1914年〈大正3年〉11月10日)は明治期の司法官、検事。函館控訴院検事長。従三位勲二等。族籍は福島県士族。実弟に、第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監を務めた池上四郎がいる。 安政2年(1855年)1月26日、若松城下本三ノ丁に会津藩士の父池上武輔と母ウメの長男として生まれる。初め八三郎と称し後に三郎と名乗る。元治元年(1864年)藩校日新館に入学、抜群に優秀な成績を修めた。 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、14歳で隊頭西郷寧太郎の率いる中軍護衛隊に加わり北出丸の篭城戦で敵を防いだ(会津戦争)。開城後の明治2年(1869年)、上窪村(現塩川町)の肝煎鈴木家に家族と寄寓。
小倉 久(おぐら ひさし、嘉永5年1月15日〈1852年2月… 小倉 久(おぐら ひさし、嘉永5年1月15日〈1852年2月4日〉- 1906年〈明治39年〉11月4日)は、日本の幕末から明治期の武士(沼田藩士)、官僚(官選和歌山・徳島・富山・大分・岐阜県知事、検事)、弁護士、関西法律学校初代校長。 江戸見坂の沼田藩邸で小倉久彝(ひさつね)の長男として生まれた。明治3年(1870年)、大学南校貢進生となり、明治5年(1872年)に司法省明法寮に転入。1876年(明治9年)、岸本辰雄・宮城浩蔵とともにフランスへ留学し、法学者エミール・アコラス(フランス語版)に師事した。1878年(明治11年)に帰国した後、司法省御用掛兼太政官御用掛として民法典編纂に携わり、また司法省法学校速成科の講師となる。
光妙寺 三郎(こうみょうじ さぶろう、弘化4年8月(1847… 光妙寺 三郎(こうみょうじ さぶろう、弘化4年8月(1847年) - 明治26年(1893年)9月26日)は、日本の外務官・検事・衆議院議員である。旧姓・末松。 周防国佐波郡三田尻村(現山口県防府市東三田尻)に浄土真宗本願寺派の惠日山光妙寺の和尚・半雲の三男として生まれた。 1865年、長州藩諸隊の一つ鴻城隊に入隊した。このころは三田、光田姓を名乗った。井上馨の書記役を務めた。1869年に横浜フランス語伝習所に入学し、1871年に長州藩藩費留学生としてフランスとベルギーに留学した。この間、同じくフランス留学した西園寺公望とパリで親友となった。1878年2月、日本人として初めてパリ大学から法学士証書を授与された。
澤田 康広(さわだ やすひろ)は、日本の法学者、元検事。日本… 澤田 康広(さわだ やすひろ)は、日本の法学者、元検事。日本大学法学部教授。元副学長(学生・就職、競技スポーツ担当)。 大阪府大阪市出身。日本大学法学部卒業。日本大学大学院法学研究科修了。1992年司法試験合格[要出典]。2011年4月山口地方検察庁次席検事[要出典]。東京地方検察庁総務部副部長、宇都宮地方検察庁次席検事を経て、2018年4月日本大学法学部法学科教授。 2023年8月5日、アメリカンフットボール部の学生寮で乾燥大麻と覚醒剤を所持したとして、部員1人が大麻取締法違反と覚醒剤取締法違反の両容疑で逮捕された。その後、澤田康広副学長が、寮で大麻である可能性が極めて高い植物片を発見し、警視庁に連絡するまで12日間、大学で保管していたことが発覚した。