麻宮 騎亜(あさみや きあ、1963年〈昭和38年〉3月9日… 麻宮 騎亜(あさみや きあ、1963年〈昭和38年〉3月9日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。男性。本名およびアニメーターでの名義は菊池 通隆(きくち みちたか)。岩手県北上市出身。アーティストクルー所属。 代表作は『サイレントメビウス』、『快傑蒸気探偵団』、『彼女のカレラ My Favorite Carrera』など。 『宇宙戦艦ヤマト』でアニメファンになり、東京デザイナー学院アニメ科(現東京クールジャパン)を卒業。21歳で菊池名義でのフリーのアニメーターとして独立し、1986年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された『神星記ヴァグランツ』で、漫画家としてデビューする。ペンネームの由来は、菊池がファンであった斉藤由貴が演じる麻宮サキから。
松田浩次(まつだ こうじ、 1963年1月13日 - )は、… 松田浩次(まつだ こうじ、 1963年1月13日 - )は、京都府京都市生まれの、アニメ、及びゲーム音楽評論家、作曲家、作家。 大阪音楽大学卒業後、1987年、ソニー・ミュージックエンタテインメントに入社。退社後、バンダイに移り主に業務用ゲームサウンドや効果音を手掛けた。1997年にフリーとなり、現在ファミ通専属の音楽アナリストとして活躍する。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
加戸 誉夫(かと たかお、1963年 - )は、日本の男性ア… 加戸 誉夫(かと たかお、1963年 - )は、日本の男性アニメーション監督、アニメーション演出家。studioMOTHER株式会社取締役。 かつてはXEBECに所属していた。 大阪芸術大学芸術学部卒業後に葦プロダクションに入社。アニメ映画『強殖装甲ガイバー』で初演出。同期に木村真一郎などがいる。 その後XEBECに長らく籍を置き、同社の作品および製作協力していた小学館集英社プロダクションおよびSMDE作品にも多く参加していた。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
西村 博之(にしむら ひろゆき、1963年 - )は、日本の… 西村 博之(にしむら ひろゆき、1963年 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター。神奈川県出身。 筑波大学卒業後、亜細亜堂に入社して動画・原画を経験。5年在籍した後にフリーランスとなった。その後の1992年にアニメ監督の本郷みつる、じゃんぐるじむ出身のアニメーター高倉佳彦と共にめがてんスタジオを結成するが、2007年に西村が抜けたため、本郷と高倉のスタジオとなる。 2005年以降、イラスト関係の仕事は河邑 昴保(かわむら たかやす)または河村 昂保名義で統一している。 電子掲示板群サイト『2ちゃんねる』の初代管理人である西村博之とは同姓同名の別人。
高木 淳(たかぎ じゅん、1963年 - )は、日本の男性ア… 高木 淳(たかぎ じゅん、1963年 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。東京都出身。日本アニメーション所属。 日本大学芸術学部映画学科で演出を学び、卒業後日本アニメーションに入社。 監督を務めた「うっかりペネロペ」は、2007年文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞した。 2007年より須田裕美子の後を継いで『ちびまる子ちゃん(第2期)』の監督を務めることになった。当時は須田が監督としての担当を終えてすぐに引き揚げてしまったため引き継ぎもあまり行われなかったため、監督になってからは自分流で進めていった。これについてインタビューを実施した『アニメ!アニメ!』は「演出として何度も担当したから作品内の世界観は十分に理解していたと須田が判断した」と考察している。
長谷川 勝己(はせがわ かつみ、1963年(昭和38年) -… 長谷川 勝己(はせがわ かつみ、1963年(昭和38年) - )は、日本の千葉県佐原市(現・香取市)出身のアニメ脚本家、ライトノベル作家、スーツアクター。 漫画家・特撮評論家の長谷川裕一の実弟である。 兄の初期作品(デビューから『マップス』の途中まで)においてアシスタントをこなしながら、イベント会社富士スポーツにて10年以上も縫いぐるみショーのMC兼スーツアクターを務めた。脚本家になった現在でもしばしば請われて舞台出演しており、アトラクション業界では重鎮にして至宝とされている。 専門学校時代の同期に吉岡たかを・神戸守がおり、この2人とは親交が深い。小山高生主催の脚本家集団ぶらざぁのっぽに在籍。1995年(平成7年)にテレビアニメ『スレイヤーズ』第5話「Escape! 炎の半魚人 ヌンサ!」で脚本家デビュー。
結城 信輝(ゆうき のぶてる、1962年12月24日 - )… 結城 信輝(ゆうき のぶてる、1962年12月24日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター、漫画家、同人漫画家。東京都出身。アートランド、D.A.S.Tを経て、現在はフリーランスで活動中。 埼玉県立戸田高等学校卒業。同校「マンガ・アニメ研究同好会(現:マンガ・アニメ研究部)」にて活動歴あり。 国民健康保険の事務に就職したが、アニメーターになるのをあきらめきれず、退職してアニメーターになった。永野護、川村万梨阿、飯田史雄(SUEZEN)とは仲が良く、昔は皆で結城の誕生日であるクリスマスイヴに東京ディズニーランドへ行っていた。 同人誌活動を「高い城の男」・「ユービック」のサークル名で行っている。
恩田 尚之(おんだ なおゆき、1962年12月17日 - )… 恩田 尚之(おんだ なおゆき、1962年12月17日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。フリー。北海道紋別郡遠軽町出身。血液型B型。 『伝説巨神イデオン』を観て湖川に憧れ、アニメーターを志す。高校の先輩・矢木正之が湖川の主宰する作画スタジオビーボォーのアニメーターだったことから紹介してもらい、1979年[要検証 – ノート]に作画スタッフとしてビーボォーに入社、業界入りする。初仕事は『Dr.スランプ アラレちゃん』の動画。『聖戦士ダンバイン』で原画デビューした。先にビーボォーから独立した北爪宏幸が設立したスタジオぱっくに、85〜86年ごろにビーボォーから移籍し、さらに1987年に設立されたアトリエ戯雅を経て、同社の解散によりフリーになる。
西澤 晋(にしざわ すすむ、1962年7月9日 - )は、日… 西澤 晋(にしざわ すすむ、1962年7月9日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ監督。 西澤がアニメーターを目指すきっかけは、中学生時代に散髪屋で雑誌を読んだことによる。当時はすでにアニメが好きであり、アニメーターになることを漠然と考えていたが、具体的な方法や目標像を持てていなかった。その雑誌に掲載されていた記事では、漫画家志望者がまずはアニメーターとしてキャリアをスタートさせた事例が紹介されており、それを読んだ西澤は「このくらい描かないといけないのか」と具体的な目標を持ち始めた。 高校在学中、ブームとなっていた『宇宙戦艦ヤマト』の漫画化に取り組んだ。カセットテープに音声を録音し、それを聞きながらノートにマンガ形式で絵を描くという作業を継続した。
原田 浩(はらだ ひろし、1962年6月13日 - )は、日… 原田 浩(はらだ ひろし、1962年6月13日 - )は、日本の映画監督、アニメーター、映像作家、アニメ演出家。『ドラえもん』などの原画や動画を手がけた。また、8ミリ映画作品の監督としても有名。 群馬県前橋市出身。アニメ会社、テレビ局、映像・音響制作会社、広告代理店勤務など、転々としたのち、現在フリー。場内を這うような複合映写とミニマルな音響実験を伴う作品を制作。ベルリン、パリ、カナダ、スイス、ザグレブ、イギリス、北京、プラハ、チェコ、香港、エストニア共和国、ノルウェー、ベルギー、スペインなど、海外映画祭への参加・招待も多い。 2010年ゆうばりファンタスティック映画祭で「『少女椿』の監督(原田)は海外に逃亡して行方不明である」という説明があった。
中鶴 勝祥(なかつる かつよし、1962年5月22日 - )… 中鶴 勝祥(なかつる かつよし、1962年5月22日 - )は、日本のアニメーター。大分県佐伯市出身。東映動画(現・東映アニメーション)出身で、現在はフリー。 高校卒業後、1981年に東映動画に入社。もっぱら海外との合作作品を担当していたが、「鳥山明の絵を描きたい」と自ら志願して、1986年に放映開始の『ドラゴンボール』では第4話より原画で参加して注目を受ける。『ドラゴンボールZ』では作画監督も経験し、魔人ブウ編以降の『Z』や『ドラゴンボールGT』、『ドクタースランプ』や『ドラゴンボールDAIMA』ではキャラクターデザインを担当。 さらに、Vジャンプ連載の漫画『ちょっとだけかえってきた Dr.スランプ』、『貯金戦士キャッシュマン』のリメイク版では作画も担当。
赤根 和樹(あかね かずき、1962年3月24日 - )は、… 赤根 和樹(あかね かずき、1962年3月24日 - )は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督。大阪府出身。千葉工業大学卒業。サンライズで制作進行、演出を務めたのち、フリーとなる。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
川又 浩(かわまた ひろし、1962年3月1日(魚座)- 、… 川又 浩(かわまた ひろし、1962年3月1日(魚座)- 、血液型・A)は、神奈川県出身のアニメーション監督・アニメーション演出家・アニメーターである。
高坂 希太郎(こうさか きたろう、1962年2月28日 - … 高坂 希太郎(こうさか きたろう、1962年2月28日 - )は、日本のアニメーター、アニメーション監督。神奈川県出身。埼玉工業大学深谷高等学校卒業。スタジオアウトリガー所属。 父親が絵描きだったので、絵を描いたり見たりする環境が近くにあり、学校でも授業そっちのけでずっと絵を描いていた。 高校生時代からアニメ業界の仕事に携わり始める。『未来少年コナン』などの宮崎駿や高畑勲などが手掛けた面白い作品が次々とテレビで放映されているのを見て「自分もアニメの仕事に携わりたい」と思うようになり、自らが描いた絵を持って作画スタジオ・OH!プロダクションの門を叩いた。高校の夏休みと冬休みを利用してアルバイトをさせてもらい、卒業後、そのままオープロダクションに入社する。
山崎 理(やまさき おさむ、1962年2月19日 - )は、… 山崎 理(やまさき おさむ、1962年2月19日 - )は、日本のアニメーター、アニメーション監督、演出家、プロデューサー。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)理事。日本映画監督協会会員。日本脚本家連盟組合員。ワオワールド所属。熊本県出身。カタカナのヤマサキオサム名義での活動もある。 伯父に自由民主党衆議院議員の園田博之、従兄に童話作家の中村猛、三省製薬株式会社代表取締役の陣内宏行、医学博士で熊本大学医学部脳神経外科准教授の山田和慶を持つ。元ラジオパーソナリティ、元声優、元歌手、元作家の小森まなみが配偶者で、医学博士で国立がんセンターの内科医長・内視鏡部長を務めた小黒八七郎が岳父にあたる。
貞本 義行(さだもと よしゆき、1962年1月29日 - )… 貞本 義行(さだもと よしゆき、1962年1月29日 - )は、日本の漫画家、アニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター。山口県徳山市(現・周南市)出身。妻は漫画家のたかはまこ。ゲーム会社カプコンのプロデューサーで『ストリートファイターIII』などを手がけた貞本友思は従兄弟。妻の生まれ故郷である愛知県高浜市に在住。株式会社カラー相談役。 徳山市立住吉中学校、山口県立徳山高等学校卒業。東京造形大学造形学部美術学科絵画領域専攻(絵画専攻前はデザイン学科産業デザイン専攻)。 1981年、大学在学時に応募した漫画が「第16回週刊少年チャンピオン新人まんが賞」に入選。受賞作の自動車レース漫画『FINAL STRETCH 最後の疾走』が『週刊少年チャンピオン』に掲載されて漫画家デビューを果たす。
船越 英之(ふなこし ひでゆき、1962年 - )は、日本の… 船越 英之(ふなこし ひでゆき、1962年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。埼玉県在住。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科卒。 NHK放送のみんなのうたのような、動画と音楽をシンクロさせたアニメーションを造りたかったのが、アニメーション業界入りのきっかけである。在学中から自主制作で、アニメーションフィルムを造っていた。 1985年、亜細亜堂入社、オーナー社長のアニメ作家芝山努が、テレビドラマ『気まぐれ天使』のオープニングアニメや『まんが日本昔ばなし』などの、イラストレーションに傾向したアニメが好評な事が、同社入社のきっかけと思われる。 1990年、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングアニメを、湯浅政明などと手がけ、頭角を現す。
原口 正宏(はらぐち まさひろ、1962年 - )は、東京都… 原口 正宏(はらぐち まさひろ、1962年 - )は、東京都出身の男性フリーライター、編集者、アニメーション研究家。 東京工芸大学講師、東映アニメーション研究所講師、日本アニメーション協会会員、日本アニメーション学会会員、リスト制作委員会代表。通称データ原口。妻はイラストレーターの道原しょう子。 1980年代より日本の商業テレビアニメーションの歴史の研究の第一人者として活躍する。作品のクレジット確認に加え、現存する資料の確認、スタッフへの取材などを通じて、商業アニメの基礎資料の発掘と整備に尽力。 1979年に戸山高校漫画研究部で自主制作セルアニメを作成。1981年に早稲田大学第一文学部に入学して早稲田大学アニメーション同好会に所属し、在学中に「リスト制作委員会」を開始して1983年から1985年までのテレビアニメのスタッフなど放映の記録をまとめた同人誌である「リスト '83 」と「リスト '84 」を刊行した。
伊藤 有壱(いとう ゆういち、1962年 - )は、日本のア… 伊藤 有壱(いとう ゆういち、1962年 - )は、日本のアニメーション作家。東京都生まれ。
岡村 天斎(おかむら てんさい、本名:岡村 豊(おかむら ゆ… 岡村 天斎(おかむら てんさい、本名:岡村 豊(おかむら ゆたか)、1961年12月13日 - )は、福島県生まれ、神奈川県横浜市育ちの日本の男性アニメーション監督、アニメーター。早稲田大学理工学部建築科卒業。岡村天斎の名義は1991年から用い始めた。 大学時代は早稲田大学漫画研究会に所属すると共に、自主製作アニメを作っていたという。CG制作会社JCGLでアルバイトをしていた大学の友人の手伝いで同スタジオに出入りしていた時にプロデューサーにアニメーターになる方法を尋ねたところ、アニメ制作会社マッドハウスを紹介され、そのまま大学在学中に入社する。『SF新世紀レンズマン』の動画がアニメーターとしての初仕事となる。
高松 信司(たかまつ しんじ、1961年12月3日 - ) … 高松 信司(たかまつ しんじ、1961年12月3日 - ) は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家、音響監督。栃木県宇都宮市出身。日本サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の制作進行を経て『機動戦士Zガンダム』で演出デビュー。初監督作品は、OVA『機動戦士SDガンダム・SDガンダム猛レース』。主な監督作品として、『勇者特急マイトガイン』「こちら葛飾区亀有公園前派出所』『スクールランブル』『銀魂』『美男高校地球防衛部LOVE!』など。 高校時代より、8ミリフィルムによる自主制作映画やアニメの制作を手がけており、当時栃木県にて開催されていた自主制作上映会「アウトラインフェスティバル」では、中心的な人物の一人として数えられていた。
今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )… 今川 泰宏(いまがわ やすひろ、1961年7月24日 - )はアニメーション監督、映画監督、演出家、脚本家、放送作家。大阪府出身。
北爪 宏幸(きたづめ ひろゆき、1961年7月24日 - )… 北爪 宏幸(きたづめ ひろゆき、1961年7月24日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。東京都目黒区出身。東京デザイナー学院アニメ科(現:専門学校東京クールジャパン)卒業。 1980年代後半を代表するキャラクターデザイナーの一人。代表作は『機動戦士ガンダムΖΖ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『モルダイバー』など。 東京都立駒場高等学校卒業。高校生の時は理科系の大学への進学を目指していたが、「何となく大学に行ってサラリーマンになる」ことに抵抗感を持ったことから、進路を美術系に転換。美術大学を目指すも、試験日になって病気になったことから試験を半分しか受けられず、他の美術大学の試験も間に合わなかったことで失敗。
三沢 伸(みさわ しん、本名:三澤 伸(読み同じ)、1961… 三沢 伸(みさわ しん、本名:三澤 伸(読み同じ)、1961年7月1日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。東京都出身。血液型はO型。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業後、岡安編集室(現・岡安プロモーション)の社員の紹介で土田プロダクションに入社。同プロダクションの社員として初めて携わったアニメーションは、テレビアニメ『おじゃまんが山田くん』である。『おじゃまんが山田くん』と『さすがの猿飛』の制作に演出助手として関わった後、『らんぽう』の第2話「クェ〜ッ!! 黒コゲの大決闘」で演出デビュー。 1986年、土田プロダクションが経営危機に陥った為(後に倒産)、事実上の後身となったスタジオコメットの設立に参加し移籍。
真保 裕一(しんぽ ゆういち、1961年5月24日 -)は、… 真保 裕一(しんぽ ゆういち、1961年5月24日 -)は、日本の小説家、脚本家、元アニメーター。 東京都生まれ。習志野市立第三中学校、千葉県立国府台高等学校を卒業後、『ドラえもん』のような夢あふれるアニメを作りたいと考え、シンエイ動画の採用試験を受けるも、作画能力の不足で不採用となる。シンエイ動画の下請けをしていたオカスタジオなどでアニメーターを経験し、漸くシンエイ動画への入社を果たす。腱鞘炎を患っていたこともあって作画部門には配属されず、脚本の進行管理を行う文芸担当のほか、『笑ゥせぇるすまん』『おぼっちゃまくん』では演出を担当した。 シンエイ動画の業務と並行して漫画原作を手掛けていたこともあって、本格的に小説家を志すようになり、シンエイ動画に仕事を減らしてもらいながら『連鎖』を書き上げ、1991年に同作で江戸川乱歩賞を受賞。
飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つ… 飯田 馬之介(いいだ うまのすけ、本名:飯田 勉(いいだ つとむ)、1961年4月30日 - 2010年11月26日)は日本のアニメーション監督、演出家、プロデューサー、脚本家、漫画家。北海道浦河町出身。北海道浦河高等学校卒。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。旧名は飯田 つとむ。
大貫 健一(おおぬき けんいち、1961年3月22日 - )… 大貫 健一(おおぬき けんいち、1961年3月22日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家。栃木県鹿沼市出身。血液型はO型。 亜細亜堂出身。山崎理、大張正己、西井正典、つるやまおさむと共に南町奉行所の立ち上げに関わり、筆頭アニメーターとして数々のヒット作を担当。耽美な美男子から正統派の美少女まで描き分ける絵柄で男女を問わず人気を得た後、フリーランスとなった。『機甲戦記ドラグナー』当時の本人曰く「メカも得意」とのこと。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
小島 正幸(こじま まさゆき、1961年3月11日 - )は… 小島 正幸(こじま まさゆき、1961年3月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。山梨県山梨市出身。 アニメーションの監督を目指して東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)に入る。当時は『機動戦士ガンダム』などによるアニメブームの真っ只中で、大変な人数が業界を目指していた。卒業後、アニメ制作会社に入社する。 1982年、タツノコプロの『逆転イッパツマン』第10話「つらいなあ! 休日出勤」で演出デビュー。タツノコプロ作品や『楽しいムーミン一家』などの演出を手がける。 1995年、マッドハウス制作の『あずきちゃん』でアニメーション初監督。作品がロングランヒットとなり、以降はマッドハウスを主な拠点としてテレビシリーズを中心に活動する。
池田 成(いけだ まさし、1961年2月10日 - 、AB型… 池田 成(いけだ まさし、1961年2月10日 - 、AB型、水瓶座)は、香川県出身の日本のアニメ監督。東京造形大学映像専攻科卒業。 大学在学中からアマチュアで8ミリフィルムで自主製作アニメーションを作っており、制作集団「グループえびせん」に在籍した。同グループには池田の他にも後にプロで活躍することになる、角銅博之、山村浩二、ふくやまけいこ、片渕須直、飯田つとむ、石田卓也などがメンバーとして腕を競っていた。アマチュア時代の代表作は、1980年に発表した『人間うごくいのお』。 やがて卒業の時期を迎えると、大学の講師だった脚本家の大和屋竺の紹介で、シンエイ動画系のアニメ制作会社あにまる屋に入社。アマチュアでの実績を買われて、間もなく同社の福富博がチーフディレクターを務めたテレビアニメ『怪物くん』の絵コンテでデビュー。
季里(きり、1961年 - )は、CGアーティスト、アニメー… 季里(きり、1961年 - )は、CGアーティスト、アニメーター、キャラクターデザイナー。ビジュアルプロデューサーという肩書きで活動するクリエーターである。 大阪府立大手前高等学校を経て、1984年に大阪教育大学美術学科卒業。大学4年生の時に黎明期のCGを牽引していた大村皓一率いる大阪大学工学部電子工学科CGグループに研究生として参加し作品制作を開始。 NICOGRAPH'83で優秀賞を受賞後、松浦雅也とコラボレーションを始める。CGアーティストとして「ひらけ!ポンキッキ」「ひとりでできるもん!」「音楽ファンタジー・ゆめ」「みんなのうた」などの子供向け番組にキャラクターやアニメーションを多数提供。
ササキバラ・ゴウ(1961年 - )は、日本の漫画編集者、漫… ササキバラ・ゴウ(1961年 - )は、日本の漫画編集者、漫画・アニメ評論家・研究者。 秋田県出身。本名は佐々木 果(ささき みのる)。大学教員として、あるいは学術シンポジウムなどに出席する際には本名で活動している。 早稲田大学第一文学部哲学科卒業。1985年、徳間書店に入社。『月刊少年キャプテン』編集部で島本和彦の『逆境ナイン』などを担当。『アニメージュ』などでライターも行っていた。徳間書店時代に担当していた作家は島本和彦、Moo.念平、松本嵩春、陽気婢、田沼雄一郎など。 1992年から『月刊少年キャプテン』編集長を務めた後、1995年に退職。フリー編集者となり、松本嵩春『アガルタ』の担当編集も務めた。
いのまた むつみ(1960年12月23日 - 2024年3月… いのまた むつみ(1960年12月23日 - 2024年3月10日)は、日本の女性イラストレーター、アニメーター、漫画家。神奈川県出身。愛称は「むっち」。 アニメファンで、高校時代から東映動画の仕上をするマキプロダクションで、セル画の仕上げのアルバイトを行なう。 神奈川県立白山高等学校卒業後、1979年にマキプロダクション社長の紹介で、大島りえとともにアニメ制作会社・葦プロダクションに入社。『くじらのホセフィーナ』第14話「教室にきたコウノトリ」で動画を担当し、アニメーターとしてデビューする。 その後、『宇宙戦士バルディオス』『戦国魔神ゴーショーグン』などのアニメの原画を担当して、しだいにキャラクター作りの才能が認められ、キャラクターデザイナーにまで抜擢される。
舘野 仁美(たての ひとみ、1960年12月13日 - )は… 舘野 仁美(たての ひとみ、1960年12月13日 - )は、日本のアニメーター、実業家。株式会社ササユリ代表取締役社長。元スタジオジブリ所属。 福島県南相馬市出身。高校生の頃に宮崎駿が監督したテレビアニメ『未来少年コナン』を見て衝撃を受け、アニメーターの道を志す。東京デザイナー学院を卒業後、作画スタジオ、フリーランスを経て、1983年にテレコム・アニメーションフィルムに入社。1987年、スタジオジブリに移籍し、数多くの作品で動画チェックを手がけた。2014年、スタジオジブリの長編映画制作部門の解散にともない、スタジオジブリを退職。 ジブリ退職後の2014年12月に、飲食店「ササユリカフェ」を開業した。
高岡 希一(たかおか きいち、1960年11月19日- )は… 高岡 希一(たかおか きいち、1960年11月19日- )は、千葉県銚子市出身のアニメーター・アニメーション演出家である。 演出家としては、「たかおか きいち」という別名義で表記される場合もある。 千葉県立銚子商業高等学校を卒業後、友人の勧誘を受けてスタジオぴえろに入社。『うる星やつら』の動画担当、『スプーンおばさん』などの動画チェッカーを経て、『魔法のスターマジカルエミ』にて初めて作画監督を務めた。 その後は、『魔法のアイドルパステルユーミ』『シティーハンター』などでも作画監督を務めている。 1987年頃にスタジオぴえろを退社し、以降は作画スタジオ「うさぎ屋」の代表者などを経て、2013年現在はフリーランスの立場でアニメーションの作画や演出に関わっているとの事である。
福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )… 福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )は、日本のアニメ監督、脚本家、演出家。かつては福田 満夫およびふくだ みつお名義で活動していた。栃木県出身。 早稲田高等学校出身。在学中は漫画研究会に所属。高校卒業後、1979年に日本サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に19歳で入社。 OVA『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』において、家庭内での仕事についての話し相手だった妻の両澤千晶を脚本家に抜擢し、以降は自らの監督作品でほぼ一括してシリーズ構成を両澤に任せている(両澤の脚本の仕事も記録にあるものでは、夫の福田が監督した作品にほぼ限られている)。 主な作品はテレビアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』『GEAR戦士電童』『機動戦士ガンダムSEED』シリーズなど。
日高 政光(ひだか まさみつ、1960年10月19日 - 2… 日高 政光(ひだか まさみつ、1960年10月19日 - 2022年3月9日)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督。宮崎県出身。 宮崎工業高校建築科、九州産業大学工学部建築学科を卒業後、建築業界の不況のため上京する。学生時代の頃から、図面を見れば建物の外見を描けたと後に述懐しており、こうした技能は自身が絵コンテ・演出として参加した『熱血最強ゴウザウラー』(1993年)での、校舎がロボットへと変形するシーンなどでも活かされる格好となった。 映画『クラッシャージョウ』、『うる星やつら オンリー・ユー』の影響でアニメーターを志望しており、当初はスタジオコスモスに入社しアニメーションの制作進行を担当、この時期には『タオタオ絵本館 世界動物ばなし』(1983年)などを手がけている。
須永 司(すなが つかさ、1960年10月12日 - )は、… 須永 司(すなが つかさ、1960年10月12日 - )は、日本のアニメーション演出家、アニメ監督。東京都保谷市出身。 1981年にアニメーション業界へ入り、制作進行を務めた後に演出家になる。 年度(4月〜3月)単位で編集。ただし、1月始まりの場合はその放送された年とし、翌年3月末日までとする。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
荒牧 伸志(あらまき しんじ、1960年10月2日 - )は… 荒牧 伸志(あらまき しんじ、1960年10月2日 - )は、日本のアニメ監督、メカニックデザイナー。福岡県出身。福岡県立福岡高等学校卒業。岡山大学卒業。アートミック出身。SOLA DIGITAL ARTS では、CCO(Chief Creative Officer)を務める。日本における3DCGアニメーションの第一人者。 中学時代から高校時代にかけて『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『スター・ウォーズ』などの影響を受け映像の世界を志す。 岡山大学時代には漫画倶楽部に所属。漫画倶楽部時代の代表作に自主製作アニメ『ムーンストラック アルテミス』がある。 大学卒業後、株式会社タカラの外注デザイナーとして活動後にアートミックに入社しアニメーションのメカニックデザイナーとして活動を開始。
佐々木 洋(ささき ひろし、1960年9月7日 - )は、日… 佐々木 洋(ささき ひろし、1960年9月7日 - )は、日本のアニメーション美術監督である。 明治大学付属中野高等学校から東京デザイナー学院へ編入。 東京デザイナー学院在学中に手塚プロダクションに入社。 手塚プロダクション→サンリオ(実制作撤退)→アトリエ戯雅→A.P.P.P.を経て、ガイナックスへ入社。ガイナックス創生期頃の作品では美術方面で活躍していたが、テレビアニメ『巌窟王』の美術監督を手がけて以降、アニメ作品のスタッフに名を連ねることが少なくなった。2007年、『ストライクウィッチーズ』(OVA版)で久しぶりに美術監督を担当する。 2015年5月31日付でガイナックスを退社した。 2019年度より、吉備国際大学アニメーション文化学部准教授を務める。
えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性ア… えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性アニメ監督、演出家、脚本家、アニメーター、音響監督。旧名は遠藤 徹哉(読みは同じ)。フリー。日本映画監督協会会員。
青木 俊直(あおき としなお、1960年8月18日 - )は… 青木 俊直(あおき としなお、1960年8月18日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー、アニメーター。 東京都出身。筑波大学基礎工学類卒業。妻は漫画家の谷川史子。 『ウゴウゴルーガ』、『なんでもQ』シリーズ、『みんなのうた』、『おかあさんといっしょ』等、主に子供向けテレビ番組のキャラクターデザイナー、アニメーターとして活躍。 その他、携帯ゲームや企業のマスコットキャラクターのデザイン、ウェブコンテンツ作成、漫画作品の執筆と、幅広く活動している。 作風はゆるキャラ系や少女キャラクターを得意とし、商業誌・自主制作ともに漫画作品を発表している。個人、および親交のあるイシデ電、岩岡ヒサエ、志村貴子、谷川史子らと「腹ペコ戦隊はしレンジャー」名義にて同人活動も行う。
片渕 須直(かたぶち すなお、男性、1960年8月10日 -… 片渕 須直(かたぶち すなお、男性、1960年8月10日 - )は、日本のアニメ監督、脚本家。大阪府枚方市生まれ。 日本大学芸術学部映画学科卒業。株式会社コントレール取締役。日本大学芸術学部映画学科特任教授、日本大学芸術学部上席研究員[リンク切れ]。東京芸術大学大学院講師。日本映画監督協会会員。日本脚本家連盟連盟員。日本映像学会会員。日本アニメーション学会会員。日本アニメーション協会会員。航空ジャーナリスト協会会員[リンク切れ]。 母方の祖父が枚方公園駅の近くで映画館を営んでいたため、子どもの頃からアニメ映画などをよく観ていたという。2歳7か月で、東映動画の『わんぱく王子の大蛇退治』を観たことを覚えており、特に名アニメーターの大塚康生と月岡貞夫が作画したクライマックスシーンが印象に残っていたが、月岡貞夫に大学で学び、業界の先輩に大塚康生がいて、「自分の人生は、線路が敷かれた一本の電車道なのか」と不思議な縁を感じたという。
後藤 隆幸(ごとう たかゆき、1960年8月7日 - )は、… 後藤 隆幸(ごとう たかゆき、1960年8月7日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。Production I.G副社長、第一スタジオチーフ。
小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、… 小林 誠(こばやし まこと、1960年7月13日 - )は、日本のモデラー (模型)、イラストレーター、メカデザイナー、漫画家、アニメ監督。代表作に『ドラゴンズヘブン』『迷宮都市』『未来兵器AS』『ICE』などがある。東京都出身。イラストレーター・アニメ監督の小林治は実弟。 1980年代半ばに雑誌「ホビージャパン」誌上で数々のオリジナルデザインによるフルスクラッチ製作を行い、注目を集める。『機動戦士Ζガンダム』や『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場するモビルスーツ (MS) 群を手がけ、これらのデザインワークによってアニメファン・メカファンへの知名度が急上昇し、ガンダム世界を独自に解釈・展開した作品群を模型誌で多数発表した。
岡田 有章(おかだ ともあき、1960年6月7日 - 、ふた… 岡田 有章(おかだ ともあき、1960年6月7日 - 、ふたご座・AB型)は、東京都出身のアニメーション美術監督、メカニカルデザイナーである。日本大学文理学部卒。 特記がないものは、美術監督として参加した作品。
ねこまたや(1960年5月29日 - )は、日本のアニメータ… ねこまたや(1960年5月29日 - )は、日本のアニメーター、メカニックデザイナー、アニメ演出家。大分県出身。 大阪芸術大学卒。作品によっては、本名の清積 紀文(きよづみ のりふみ)でクレジットされる場合もある。 大阪芸術大学に在学中は、DAICON FILMのメンバーとして活動した。大学卒業後、上京してアニメーション制作会社のアートランドに入社。 アートランドを退社後は、フリーランスのアニメーターとして活躍している。
庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、… 庵野 秀明(、1960年〈昭和35年〉5月22日 - )は、日本のアニメ監督、アニメーター、脚本家、映画監督、プロデューサー。 山口県宇部市出身。株式会社カラー代表取締役社長、株式会社プロダクション・アイジー・株式会社でほぎゃらりー・POPOPO株式会社取締役、株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括、特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。妻は漫画家の安野モヨコ。 別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきやアンノ ヒデアキ、作詞家としての空母そ・そ・そ・そ、樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。
芝田 浩樹(しばた ひろき、1960年5月7日 - )は、石… 芝田 浩樹(しばた ひろき、1960年5月7日 - )は、石川県羽咋市出身の男性アニメーション演出家・アニメーション監督。血液型A・牡牛座。東映アニメーション所属。 横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業後、学友であった梅澤淳稔とともに東映動画(現・東映アニメーション)の研修生に。研修期間終了後、東映動画に入社し、『Dr.スランプ アラレちゃん』で演出助手を務めた。演出家としてのデビュー作となったエピソードは、同作の第46話「ペンギン村より愛をこめて」である。『Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝』で、初めて監督に就任した。 『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』のシリーズディレクター補佐(=副監督)を務めた後、『ひみつのアッコちゃん(第2作)』にてSD(シリーズディレクター)としてデビュー(第3作でもシリーズディレクターを担当)。
谺 健二(こだま けんじ、1960年4月19日 -)は、日本… 谺 健二(こだま けんじ、1960年4月19日 -)は、日本の推理作家、アニメーター。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立星陵高等学校、大阪デザイナー学院卒。元京都アニメーション所属で、現在はアニメアールに所属している。本名は児玉健二。ペンネームの「谺健二」は島田荘司による命名。 1997年、阪神・淡路大震災をモチーフにした『未明の悪夢』で第8回鮎川哲也賞を受賞。この年は、最終候補作の中から他に柄刀一、城平京、氷川透の三人の作品が後に出版されるという、同賞史上稀に見る激戦の年であった。 本職のアニメーターとしては、本名の「児玉 健二」名義で数多くのアニメ作品の制作に参加している。
佐藤 順一(さとう じゅんいち、1960年3月11日 - )… 佐藤 順一(さとう じゅんいち、1960年3月11日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。東映動画出身。フリーを経て2000年にハルフィルムメーカー取締役に就任し、吸収合併でTYOアニメーションズとなった後も2016年まで所属。2017年よりツインエンジン所属。 別名義として「甚目 喜一」「天上 はじめ」「ミソト ハジメ」「星野 らんちゅう」「ひかわ さくら」などがある。 愛称はサトジュン、さとし、ジュミスなど。妻は多くの佐藤作品で選曲など音響関係の仕事を務めている佐藤恭野(旧姓渡辺)。 『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』『ケロロ軍曹』などの長期放映された人気作品の第1シリーズを立ち上げたヒットメーカー。