安谷屋 真理子(あだにや まりこ、1949年〈昭和24年〉8… 安谷屋 真理子(あだにや まりこ、1949年〈昭和24年〉8月14日 - )は、元フリーアナウンサー。極東放送およびエフエム沖縄の元アナウンサー。 1973年10月、極東放送入社。社名変更等の再編に伴い、1984年9月にエフエム沖縄へ移籍。『スクリーンへの招待』は、極東放送時代から担当していた番組であり、エフエム沖縄の最長寿番組でもあったが、自身の健康面の問題により2021年9月いっぱいをもって終了し、フリーアナウンサーも引退した。 また、同局主催の映画試写会等のイベントで司会も務めていた。 特記がない限り、エフエム沖縄の番組。
藤村 寛一(ふじむら ひろかず、1949年8月3日 - )は… 藤村 寛一(ふじむら ひろかず、1949年8月3日 - )は、アナウンサー・ディレクター。 滋賀県甲賀郡出身。立命館大学経済学部卒業後の1974年に近畿放送へ入社。エキサイトナイター・近鉄エキサイトアワーや高松宮杯競輪中継の司会・実況を歴任したほか、京都パープルサンガ戦中継の主戦アナウンサーを務めた。その後はKBS京都の番組ディレクターとなったが、2008年夏頃よりアナウンサーに復帰して平日昼のラジオニュースを担当。2009年9月30日定年退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
原 秀二(はら ひでじ、1949年7月1日 - )は、元石川… 原 秀二(はら ひでじ、1949年7月1日 - )は、元石川テレビ放送アナウンサー、北陸民放クラブ会友。 三重県亀山市出身、かに座、B型。明治学院大学卒業後、1973年入社。局アナ時代のブログは筆不精。2012年退社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
藤田 直樹(ふじた なおき、1949年6月20日 - )は大… 藤田 直樹(ふじた なおき、1949年6月20日 - )は大阪府出身のアナウンサー。 関西大学卒業後、1973年に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した。入社以来関西支社で勤務し、主に競馬中継を担当し、牝馬路線と短距離路線を中心に数々の大レースを実況した。2001年には、1年間だけ東京本社に異動し、安田記念やジャパンカップを実況した。翌2002年の小倉夏開催から関西支社に復帰した。2005年の第66回菊花賞ではディープインパクトの三冠達成の瞬間を伝えた。 その後、逆流性食道炎による咽頭炎で喉を痛めたため、休養した。2009年6月に定年退職を迎えた。 退職後も競馬中継には出演し、レース後のリポートやディレクター業務を担当していたが、2014年4月末で完全に引退した。
伊藤文樹(いとう ふみき、1949年5月19日 - )は、N… 伊藤文樹(いとう ふみき、1949年5月19日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。
須磨 佳津江(すま かつえ〈旧姓:井出〉、1949年5月13… 須磨 佳津江(すま かつえ〈旧姓:井出〉、1949年5月13日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ジャーナリスト。元NHKアナウンサー。 東京都出身。女子学院高等学校、東京女子大学卒業後、1972年にNHKにアナウンサーとして入局、朝の報道ワイドショー番組『スタジオ102』でデビュー。同期に小宮山洋子がいる。 1976年に結婚退職してフリーランスとなり、以降はNHKの番組を中心に『テレマップ』『ニュースの窓』『婦人百科』『ラジオジャパン土曜ワイド』などのキャスターを務めた。初のパソコン入門番組である『趣味講座・マイコン入門』の初代女性司会者でもある。園芸、特にガーデニングに造詣が深いことから、『趣味の園芸』では1994年から1999年3月まで5年間にわたって司会を務め、2005年3月までの11年にわたっても不定期に司会を担当した。
田村 英一(たむら えいいち、1949年4月2日 - )は、… 田村 英一(たむら えいいち、1949年4月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、北海道放送の元アナウンサー。北海道出身。法政大学社会学部卒業後、1973年に北海道放送入社。全国ネットのドキュメント番組のナレーション(ヤンキー母校に帰るなど)をこなし、数多くのアナウンス優秀賞を受賞。かつてはニュースキャスターの傍ら、本社編成制作局長も務めた。 退社後は、文学作品の朗読も行っており、財団法人北海道文学館の評議員も務める。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
川島 真理子(かわしま まりこ、1949年3月25日 - )… 川島 真理子(かわしま まりこ、1949年3月25日 - )は、テレビ東京の元アナウンサー。 東京都杉並区出身、上智大学仏文科を卒業後、1971年に東京12チャンネルへ入社。 趣味は料理、ゴルフなど。1999年編成局へ異動、2009年に定年退職。 いずれも現在はフリーアナ 土曜競馬中継 - 小川宏ショー - ザ・ロンゲストショー - ニューストレイン出発進行 - 独占!男の時間 - サタデーナイトショー - アイ・アイゲーム - ヤンヤン歌うスタジオ - 世界のプロレス - 世界まるごとHOWマッチ - 巨泉のこんなモノいらない!? - ザ・スクールコップ - 紅白そっくり大賞 - こんなクイズがあってもいいじゃないか大賞 - キャッチ - ジョーダンじゃない!? - どうーなってるの?! - 情報プレゼンター とくダネ! - FNSの日(平成教育テレビ・FNS27時間テレビ) - タミヤRCカーグランプリ - TONでネットワーク - とくダネ!発 GO-ガイ! - パソコンサンデー - メトロポリタンジャーニー - せきらら白書 - こんな学園みたことない! - 世界まるごと2001年 - 衝撃の映像クラッシュ - スポーツ特Q - 闘え!脳筋カップルズ - 不思議な世界!→やっぱり不思議!? - 爆発ホンネ修羅バトル - 金ロマン人生いろいろ - 痛快!知らぬはオトコばかりなり - しらばかッ!! - しらばかプラス - まかせて!!エキスパ - わけありバラエティー みんなのヒミツ - いまどき!ごはん - 絶品!地球まるかじり - 世界バリバリ★バリュー - ハッケン!! - オジサンズ11 - 奇跡をくれた動物たち - サキヨミLIVE - わかるテレビ - 嵐の宿題くん - 驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP - 国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP - わ・す・れ・な・い - 1億3000万人が選ぶニッポン人が好きな偉人ベスト100 - 探そう!ニッポン人の忘れもの - デッドエイジ - 小倉・住吉のおスミつき! - 十八番で勝負!!新春!オールスター対抗歌合戦 - 小倉・高田の55BOYS - テレビ東京52年分の映像大放出!モヤモヤ映像廃棄センター〜こんなVTR新社屋に持って行けません〜 - 東急ジルベスターコンサート - FNS歌謡祭 - 大阪国際女子マラソン - 東京マラソン - 北海道マラソン - 小倉ベース
大塚 直樹(おおつか なおき、1949年3月22日 - )は… 大塚 直樹(おおつか なおき、1949年3月22日 - )は、日本の元リングアナウンサー、実業家。新日本プロレス営業部長、ジャパンプロレス代表取締役社長および代表取締役副会長を歴任。1980年代中期の日本マット界を活性化させた。 東京都江戸川区出身。1971年、駒澤大学法学部法律学科卒業。大学2年時から本多芸能スポーツサービスでアルバイトとして国際プロレスの営業を手伝う。大学卒業後、トヨタ東京カローラ入社。同年12月に知人に誘われ、翌1972年2月に新日本プロレス入社。 初代リングアナウンサーを2年間つとめたのち、新間寿の右腕として活動し営業部長を務める。 1983年、新日本プロレスで起きた「クーデター事件」を契機に1983年12月に新日本を退社。
秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は… 秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島県出身。東京都立立川高等学校を経て横浜市立大学卒業後、1971年入局。 初任地は室蘭局で、その後大津局→山口局→東京アナウンス室→富山局→津局→名古屋局→大津局→岐阜局→名古屋局(2006年6月〜)と、全国を転々とした。 大津局のFMリクエストアワーを担当していた当時のニックネームは「大津の海老蔵」。 最後の地となった2度目の名古屋時代はデスク業務を担当した。 ◦ アナウンス統括
高橋 幸平(たかはし こうへい、1949年3月2日 - )は… 高橋 幸平(たかはし こうへい、1949年3月2日 - )は、元テレビ西日本のアナウンサー。血液型A型。 愛媛県新居浜市出身。神奈川大学卒業後1972年テレビ西日本に入社。『TNCスーパータイム NEWS&SPORTS』など、夕方ローカルニュースのメインキャスターを務めた後、長く編成制作局アナウンス部長(2006年に組織再編が実施されて現在の肩書きに。再編前は解説委員室長の肩書きだった)として、局の報道番組プロデューサーやフジテレビ系列アナウンス用語委員も務めたが、定年により2008年度いっぱいで退職、その任を田久保尚英に譲った。 九州龍谷短期大学人間コミュニティ学科教授だったが、後に退職した。
横田 久(よこた ひさし、1949年2月14日 - 2007… 横田 久(よこた ひさし、1949年2月14日 - 2007年8月31日)は、北海道放送(HBC)のアナウンサー。血液型はA。北海道札幌市出身。高崎経済大学経済学科卒業。 大学時代はサッカー部に在籍。当時のサッカー部の後輩に清原憲一(熊本放送アナウンサー)がいる。 大学卒業後の1972年、HBC入社。同期には佐藤のりゆき、中田美知子らがいる。同局では、主にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。大倉山ジャンプ競技場や宮の森ジャンプ競技場で行われるスキージャンプ大会で実況を務めることが多かった。また、道内で開催されるゴルフトーナメントの実況も務めた。 1986年にはTBSのスポーツ部へ出向。アナウンス部長、報道制作局次長兼スポーツ部長を歴任、2002年にアナウンサー職を離れた。
蟹江 篤子(かにえ あつこ 1949年2月9日 - )は、名… 蟹江 篤子(かにえ あつこ 1949年2月9日 - )は、名古屋を拠点に活動するフリーアナウンサー・パーソナリティー。元東海ラジオ放送アナウンサー。
国井 雅比古(くにい まさひこ、1949年2月7日 - )は… 国井 雅比古(くにい まさひこ、1949年2月7日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在はフリー。都留文科大学特任教授。NPO法人日本トレッキング協会会長。オフィスカノン所属。
石戸谷 健一(いしとや けんいち、1949年〈昭和24年〉2… 石戸谷 健一(いしとや けんいち、1949年〈昭和24年〉2月1日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て早稲田大学卒業後、1971年入局。正職員時代には主に報道番組のキャスターを担当していた。 2009年の60歳定年制度により東京アナウンス室を退職し、現在は日本語センターで講師を務めている。
千田 正穂(せんだ まさほ、1949年〈昭和24年〉1月1日… 千田 正穂(せんだ まさほ、1949年〈昭和24年〉1月1日 - )は、男性フリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。 東京都文京区出身。血液型B型。東京都立向丘高等学校、明治大学経営学部卒業。 1972年、アナウンサーとしてNHKに入局、新潟局→静岡局(1977年8月~)を経て東京へ。NHK紅白歌合戦の総合司会、音楽やバラエティー番組を中心に担当。 1989年、ホリプロ所属のフリーアナウンサーに転身並びにテレビ朝日と専属契約を結び、同年10月から同局の「600ステーション」のキャスターを担当した。
土居 壮(どい つよし、1949年 - )は、福岡県出身のフ… 土居 壮(どい つよし、1949年 - )は、福岡県出身のフリーアナウンサー。 成蹊大学卒業後の1974年に東京12チャンネルへアナウンサーとして入社し、同年から土曜競馬中継の実況を長らく担当。ラグビーでは、5カ国対抗ラグビー、大学ラグビー、1991年の全国社会人ラグビーフットボール大会決勝の実況を担当していた。 また、『世界のプロレス』や音楽番組『TOKIO ROCK TV』の司会も担当。『世界のプロレス』ではWWFの本拠地ニューヨークに出張し、マディソン・スクエア・ガーデンにてジミー・ハートやホンキー・トンク・マンなどへのインタビューも行った。ジェイク・ロバーツとのインタビューでは、ロバーツに「大蛇にキスをしなければインタビューは受けない」と言われた挙句、渋々大蛇にキスをする羽目となり、気絶しそうになったという。
鈴井 慎一(すずい しんいち、1949年 - 2002年)は… 鈴井 慎一(すずい しんいち、1949年 - 2002年)は、静岡県出身の元アナウンサー・記者である。 1974年にテレビ静岡にアナウンサーとして入社。主として報道番組を中心に担当し、テレビ静岡スーパータイムのキャスター、報道部長など歴任。 1996年、第41回衆議院議員総選挙・静岡県第9区(当時)に立候補するためテレビ静岡を退社。 その選挙では現職議員の熊谷弘(新進党公認)に約2万票の差をつけられて次点となり落選。 2000年の第42回衆議院議員総選挙に静岡県第9区で立候補したが、この時も民主党公認で立った熊谷に僅か約3600票差で次点となった。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
藤本 敏和(ふじもと としかず、1949年 - )は、日本の… 藤本 敏和(ふじもと としかず、1949年 - )は、日本の元アナウンサー、国際放送ディレクター、韓国語講師、翻訳家。 大分県姫島村出身。東京外国語大学卒業。 1972年、NHKにアナウンサーとして入局し、下関放送局に赴任後、1980年に韓国の延世大学校に留学して韓国語を学ぶ。 帰国後は国際放送局のアナウンサー兼ディレクターに転じ、NHKワールド・ラジオ日本の韓国語番組を制作するかたわら、講師として日本の和光大学、韓国のソウル外国語大学院大学校および慶熙大学校で教鞭をとった。韓国政府から『文化寄与賞』が授与されている 。 2014年、出生地の姫島村に戻り農業を営む。2016年11月、姫島村長選挙に立候補し、61年ぶりに選挙戦が行われることになったが、現職の藤本昭夫に敗れ落選。
阿世知 幸男(あせち ゆきお、1949年 - 2023年2月… 阿世知 幸男(あせち ゆきお、1949年 - 2023年2月17日)はNHKの元アナウンサー。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高校、西南学院大学を卒業後1972年入局。初任地は室蘭放送局。室蘭時代には川端義明を先輩として指導。その後沖縄、仙台を経て東京アナウンス室。 1990年頃は熊本放送局の放送部副部長として新人時代の武田真一を指導した。1996年頃は福岡放送局でアナウンス統括を務めた。NHK文化センター福岡総支社長も務め、退職後は福岡市に住んだ。
風見 雅章(かざみ まさあき、1948年12月11日 - )… 風見 雅章(かざみ まさあき、1948年12月11日 - )は、NHK放送研修センター・日本語センター専属アナウンサー。 1971年入局。初任地は山口。富山、高知、東京アナウンス室と勤務。1994年高知放送局の放送部長、1997年放送総局編成局編成担当部長、2000年ラジオセンター統括担当部長、2002年アナウンス室統括担当部長と歴任し2004年日本語センターエグゼクティブアナウンサー(局次長級)、のち専門委員。 日本語センター専属になって以降は、企業・自治体研修やアナウンス指導はもちろん、教育関係でも「先生のための言葉セミナー」など、多くの研修講師の実績がある。現在は同センターで「上達!話す力」主任講師。
和久井 薫(わくい かおる、1948年12月1日 - )は、… 和久井 薫(わくい かおる、1948年12月1日 - )は、日本のアナウンサー。札幌テレビ放送(STV)に在職ののち、札幌映像プロダクション(旧:オフィス・サッポロ 札幌テレビ系)所属・STV専属フリーアナウンサー。 血液型はAB型、身長は177cm、70 kg。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。早稲田大学第一文学部社会学科卒業。 元々は人前で話をするということが大の苦手だったとのことだが、大学入学後にアナウンス研究会に入会してから、人前で話すということに魅了されてゆく。アナウンス研究会の1年後輩にくり万太郎、2年後輩に吉田照美らがいる。札幌オリンピックを前に札幌の美しさが紹介されていたのを見て魅力を感じ北海道の放送局への入局を志すこととなった。
清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は… 清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島市立舟入高等学校を経て中央大学法学部卒業後、1971年入局。北は北海道から南は沖縄まで全国各地で勤務。趣味はゴルフ、映画鑑賞。定年後も広島放送局の番組に出演していたが、2021年3月限りで退職した。
平松 邦夫(ひらまつ くにお、1948年11月15日 - )… 平松 邦夫(ひらまつ くにお、1948年11月15日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。第18代大阪市長。
井馬 博(いま ひろし、1948年11月9日 - )とは、ば… 井馬 博(いま ひろし、1948年11月9日 - )とは、ばんえい競馬の元実況アナウンサーである。有限会社井馬企画 代表。 北海道生田原町 出身、北見市在住。 子供のころからスポーツのアナウンサーに憧れていた。帝京大学卒業 後はサラリーマンをしていたが、友人の結婚式の余興で行った競馬の実況が関係者の目にとまり転職。1980年、30歳を過ぎてからの遅咲きの実況デビューとなった。その後はばんえい競馬のアナウンサー一筋、2004年に病気のため初めて休養 するまで24年間休まず実況を務めるなど、30年以上にわたりほぼ一人でレース実況を担当してきたが、2012年3月に「声が出なくなる前に若い人に経験を積んでもらいたい」と声明を発表、同年3月26日の実況を最後に勇退。
白井 静雄(しらい しずお、1948年11月2日 - 、東京… 白井 静雄(しらい しずお、1948年11月2日 - 、東京都出身)は、日本のフリーアナウンサー。元文化放送アナウンサーで、元 編成局報道制作部デスク。法政大学文学部国文学科卒業。 1971年4月1日に、アナウンサーとして文化放送に入社。同期アナウンサーは中田秀作(2001年退社)。1981年に報道部へ異動してからは、お昼のニュースや『ニュース・パレード』のキャスターを務める一方で、記者の立場で取材リポートを随時担当していた。 2001年からアナウンス部長を務めた後に、2007年7月から報道制作部へ再び異動。2008年9月25日までデスクを担当した後に、同年11月30日で文化放送の定年(60歳)を迎えたことを機に退職した。
上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、… 上野 泰夫(うえの やすお、1948年10月3日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元秋田放送アナウンサー。 小学生時代からアナウンサー志望。秋田県立大曲高等学校、1971年、駒澤大学文学部社会学科卒業。同年4月秋田放送(ABS)アナウンサーとなる。テレビ「ズームイン!!朝!」(当時は県内では未放送の裏送り)、ラジオ「ヤスオとミナコのなまなま歌謡曲」をはじめ、数々のラジオ・テレビ番組を担当。「日本テレビ系列アナウンス賞」受賞。その後、ABS在職時より講演、研修会講師や結婚披露宴、祝賀会、パーティー、舞台などの司会をしている。 かつて「アフター・バス」(湯上がりの男)というニックネームを持っていたことがあり、1980年代には「アフターバスをはげます会」を発足させて活動していたことがあった。
梅津 正樹(うめづ まさき、1948年10月1日 - )は、… 梅津 正樹(うめづ まさき、1948年10月1日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。 現在は獨協大学非常勤講師で、NHK日本語センター講師。 獨協大学卒業後、1972年入局。佐賀、青森、室蘭、広島、京都、大阪、鳥取、東京アナウンス室と渡り歩き、これまでに様々なジャンルの番組を担当してきた。 2006年には後輩アナウンサー5人とともに『みんなのうた』の楽曲製作プロジェクトにかかわり、リードボーカルを務めた。 2008年9月30日付で定年。嘱託職員としてNHKに籍を残す。 ことばに関わる番組にも多く出演し、特に『お元気ですか日本列島』や『つながるラジオ』内の「ことばおじさんの気になることば」は2012年9月まで続いた。
大塚 範一(おおつか のりかず、1948年〈昭和23年〉9月… 大塚 範一(おおつか のりかず、1948年〈昭和23年〉9月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者。元NHKアナウンサー。 東京都江戸川区小岩出身。 信条は「身の丈程の放送を背伸びせず、縮こまらず、のびやかに」。趣味はゴルフ、ドライブ。2014年時点で結婚していない。 江戸川区立小岩第三中学校卒業後、東京都立両国高等学校に入学。高校在学中は新聞部に所属していたほか、進学校である同校で落ちこぼれとなっていたことがあり(後述の2013年4月発表の闘病記での記述より)、高校卒業後は1年浪人して早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。 早稲田大学政治経済学部教授の岩井方男と坪井善明は高校の同級生。
辰巳 平一(たつみ ひらかず、1948年9月25日 - )は… 辰巳 平一(たつみ ひらかず、1948年9月25日 - )は、北陸放送の元アナウンサー。 石川県能美郡寺井町(後の能美市佐野町)出身。石川県立小松高等学校卒業。 1972年に北陸放送に入社し、同局のアナウンサーになる。同期に、同じくアナウンス職に就いた西川章久と記者職に就いた矢田富郎がいる。 定年退職してからも、引き続きMROラジオ『げつきんワイド!おいね★どいね』のパーソナリティを務めていた。また社外では、北陸学院大学社会学科の非常勤講師、能美市町会連合会総会の会長、石川県教育文化財団の理事を務めている。
斎藤 恒雄(さいとう つねお、1948年9月24日 - )は… 斎藤 恒雄(さいとう つねお、1948年9月24日 - )は、福岡放送(FBS)の元男性アナウンサー。 千葉県習志野市出身。獨協大学卒業。1972年福岡放送に入社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
村島 章恵(むらしま あきよし、1948年〈昭和23年〉9月… 村島 章恵(むらしま あきよし、1948年〈昭和23年〉9月14日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立江戸川高等学校、慶應義塾大学卒業後の1972年4月、NHKにアナウンサーとして入局。初任地の宮崎を振り出しに、盛岡、新潟、東京アナウンス室、山形、沖縄、北九州と各地を転勤した。 2008年9月に定年退職したが、同年10月からはディレクターとしてNHKラジオ第1放送の深夜番組『ラジオ深夜便』を担当している。
高橋 雄一(たかはし ゆういち、1948年8月8日 - )は… 高橋 雄一(たかはし ゆういち、1948年8月8日 - )は、神奈川県大和市出身のフリーアナウンサー。 中央大学卒業後に一般企業勤務を経て、1973年1月に福島テレビ(FTV)へ入社。同期には榎本文克がいる。 福島競馬の実況アナウンサーとして一部の競馬ファンにおなじみであった。特に1993年の七夕賞では「ツインターボ全開だ、ターボエンジン。逃げ切った!」とツインターボの逃げ切り勝ちを実況して、今でも語り草となっている。 2006年7月1日付の人事異動において、営業業務局専任局長に就くことになったため、アナウンサー職を離れた。アナウンサーとして最後の仕事は、その1週間後に行われた福島競馬の七夕賞の実況だった。
太田 公子(おおた きみこ、1948年8月 - )は、日本の… 太田 公子(おおた きみこ、1948年8月 - )は、日本のアナウンサー、福祉ジャーナリスト、政治家。旧姓、中川(なかがわ)。 東京都出身、神奈川県川崎市育ち。東京都立新宿高等学校を経て共立女子短期大学英語学科卒業。福島中央テレビ、テレビ神奈川にて初代アナウンサーとして在職後にフリーアナウンサーに。その後、川崎市議会議員(1期)を歴任した。 高校での現代国語の授業での朗読でのセンスを買われ担当教師からアナウンサーへの道を勧められる。短大に通いながらアナウンスアカデミーにて勉強の末、1970年4月1日、福島中央テレビにアナウンサーとして入社、放送界入り。1972年、テレビ神奈川初代アナウンサーを経てフリーアナウンサーとして活動。
田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、… 田中 俊雄(たなか としお、1948年7月28日 - )は、中国放送(RCC)の元アナウンサー、フリーパーソナリティ。広島県大竹市出身。 日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1971年RCCに入社。血液型はO型、星座はしし座。今までにレコードを三枚出しており、「大竹ひとり」「今が青春」はともに6,000枚以上の売上を記録した。「歌えるアナウンサー」というキャッチフレーズを持っている。2008年9月30日にRCCを定年退職したが、担当中の番組には引き続き出演していた。2008年10月1日から2012年9月30日まではRCC契約アナウンサー、2012年10月1日からはフリーパーソナリティ。2018年3月24日の放送をもって全てのRCCの番組から卒業した。
岩崎 真純(いわさき ますみ、1948年7月25日 - 20… 岩崎 真純(いわさき ますみ、1948年7月25日 - 2009年10月5日)は、日本のアナウンサー。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 國學院大學卒業後、1971年アナウンサーとしてフジテレビに入社、アナウンサーとして勤務した。同期入社は須田哲夫ら。 フジテレビを退社しフリーに転身後、1977年10月から1984年3月30日まで山本文郎とともに『テレポートTBS6』(TBS/関東ローカル)のキャスターを担当、八千草薫似の美貌とさわやかな語り口で茶の間の人気を集めた。『テレポートTBS6』出演中、TBSアナウンサーの小口勝彦と結婚し二児の母親となった。ともに番組を担当した山本が2008年に再婚した際、その披露パーティーに駆けつけて受付を買って出た。
緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )… 緒方 昭一(おがた しょういち、1948年6月20日 - )は、日本のフリーアナウンサー、事件レポーター。 福岡県出身。1972年に上智大学卒業後、福島中央テレビに入社。後に同社を退社し『プロポーズ大作戦』(朝日放送)のコーナー司会などを経て、フジテレビ専属のレポーターとなる。また、オフィスCHKに所属していた時期がある。フジテレビで約28年に渡り事件レポーターを務めた。また、全日空61便ハイジャック事件に遭遇し、番組向けにリポートをしていた。2011年10月をもって『とくダネ!』の事件レポーターを降板。以後は複数のアナウンス学校や声優養成学校のにてアナウンス講師を務めている。
野村 啓司(のむら けいじ、1948年〈昭和23年〉6月9日… 野村 啓司(のむら けいじ、1948年〈昭和23年〉6月9日 - 2024年〈令和6年)3月12日)は、関西を中心に活動していたフリーアナウンサー。元・毎日放送(MBS)アナウンサーで、同局からの定年退職(2008年6月)後も、ラジオパーソナリティとして2013年9月まで専属契約を結んでいた。ニックネームは「啓ちゃん」。 京都府京都市の出身で、京都府立山城高等学校から関西学院大学へ進学した。 大学時代には、放送部(関学総部放送局)で活動するかたわら、生田教室でアナウンス技術の研鑽に励んでいた。安藤豊(元RKB毎日放送アナウンサー)は、関学総部放送局での1年先輩である。野村の同級生で、学内の合唱団に所属していた佐藤誠(NHK大阪放送局専属パーソナリティ、NHKの元エグゼクティブアナウンサー)は、野村の誘いをきっかけに生田教室へ通い始めたという。
丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和2… 丹内モモコ(丹内百子)(たんない ももこ、1948年〈昭和23年〉5月30日 - )は、元秋田放送アナウンサー・フリーアナウンサー。 秋田県秋田市出身。女子美術大学短期大学部デザイン科卒業後、秋田放送入社。 アナウンス部次長からラジオ局ラジオ制作部次長(ディレクター・パーソナリティ)を経て、2008年(平成20年)12月に退職。 退職後は、同じく秋田放送アナウンサーだった参議院議員・松浦大悟の秋田事務所秘書として勤務した[要出典]。
鞍田 朝夫(くらた あさお、1948年4月7日 - )は、日… 鞍田 朝夫(くらた あさお、1948年4月7日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。元北日本放送(KNB)常務取締役、元ケイエヌビィ・イー(KNB*E)代表取締役社長。 富山県高岡市太田生まれ。 高岡市立太田小学校、高岡市立伏木中学校、富山県立氷見高等学校卒業。 1972年(昭和47年)に早稲田大学法学部を卒業し、朝日放送(ABC)へ入社。植草貞夫に師事し、主にスポーツアナウンサーとして活動していたが、家庭の事情により1976年(昭和51年)4月に退社。5月にKNBへ入社。スポーツ中継実況のほか、クイズ番組の司会、ニュースキャスターなどを担当。ローカル番組のみならず、全国ネット番組も担当した。
一丁田 修一(いっちょうだ しゅういち、1948年3月28日… 一丁田 修一(いっちょうだ しゅういち、1948年3月28日 - )は、日本の男性アナウンサー。血液型はA型。 東京都武蔵野市出身。成蹊大学卒業。 1970年代より日本短波放送(NSB)アナウンサーとして中央競馬実況に携わったのち、1977年に読売テレビ(YTV)へ移籍入社。以来、主にスポーツ実況を担当し、プロ野球では1985年の日本シリーズ・阪神対西武第5戦、1989年の日本シリーズ・近鉄対巨人第7戦を担当した。1999年頃、人事異動によりアナウンス職から離れた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
竹鼻 純(たけはな じゅん、1948年3月24日 - )は、… 竹鼻 純(たけはな じゅん、1948年3月24日 - )は、元ミヤギテレビアナウンサー・解説委員。岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。 宮城県仙台第三高等学校、武蔵大学を卒業し、大学卒業後は茨城放送(現在のLuckyFM茨城放送)に入社した。1972年にミヤギテレビに入社した。スポーツ観戦を趣味としており、宮城県サッカー協会理事、ベガルタ仙台市民後援会の顧問を務める。また、地域スポーツ文化講座のコーディネーターを務めたこともある。 お酒がまったく飲めない。宮城学院女子大学の情報処理の講師も務めている。 定年により、2008年3月28日をもって「OH!バンデス」のニュースコーナー「NEWSリアルタイムミヤギ」のキャスターを卒業し、4月以降は解説委員として出演した。
山根 基世(やまね もとよ、1948年(昭和23年)3月22… 山根 基世(やまね もとよ、1948年(昭和23年)3月22日 - )は、日本のアナウンサー。NHKアナウンス室長を務めた。本名・戸張 基世(とばり もとよ)。 香川県高松市生まれ。2、3歳のころ山口県山口市へ移り、5歳からはおもに山口県防府市で育った。公式的には「山口県生まれ」としている。山口県立防府高等学校、早稲田大学卒業後、1971年に日本放送協会入局。「本当に楽しかった」と語る3年間の大阪勤務を経て、1974年より東京勤務。 チーフアナウンサー、1997年エグゼクティブアナウンサー(局次長級)、同理事待遇を経て、2005年6月の人事異動で、全国でおよそ500人のアナウンサーを統括するヘッド、アナウンス室長に就く。
山下 末則(やました すえのり、1948年3月14日 - )… 山下 末則(やました すえのり、1948年3月14日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。株式会社パーフェクト・スピーチ代表取締役社長、株式会社ヤマシタルーム代表取締役。株式会社ウェザーニューズ顧問。みやざき大使。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、北九州大学(現:北九州市立大学)外国語学部米英語学科を卒業後、1970年4月に宮崎放送(MRT)へ入社、同社アナウンサーを経て、1981年4月に日本テレビ放送網(日テレ)へ入社した。同期に小倉淳、菅家ゆかりがいる。 日テレ入社後は主にプロ野球・読売ジャイアンツ(巨人)戦中継の実況を担当し、セントラル・リーグ公式戦では、1990年9月8日に吉村禎章が打ったサヨナラホームランで優勝決定した試合(対ヤクルトスワローズ戦。
高井 正憲(たかい まさのり、1948年3月13日 - )は… 高井 正憲(たかい まさのり、1948年3月13日 - )は、日本のフリーアナウンサー・団体役員。元テレビ朝日アナウンサー。 新潟県見附市生まれ。見附市立見附小学校、東京都立城北高等学校から日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1971年4月1日に、日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)へ入社。当時は新潟県出身者が在京民放キー局のアナウンサーになる事自体が珍しく、NETでは前年に入社したさとう一声に次いで2人目だった。局内で最も長くアナウンス室に在籍していたNET時代からのアナウンサーだったが、2004年に番組審査室の室長となりアナウンサー職を離れた。2008年3月、テレビ朝日を定年退職。 退社後はフリーアナウンサーとして活動の他、社会福祉法人テレビ朝日福祉文化事業団事務局長、社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団の理事も務めていた。
武知 邦明(たけち くにあき、1948年3月3日 - )は、… 武知 邦明(たけち くにあき、1948年3月3日 - )は、JRT四国放送の元男性アナウンサー。元アナウンス部長。定年退職後、株式会社四国放送サービス代表取締役社長、社団法人徳島県テレビジョン放送中継施設整備協会専務理事、四国放送監査役を務めた。
原武 博之(はらたけ ひろゆき、1948年2月15日 - 2… 原武 博之(はらたけ ひろゆき、1948年2月15日 - 2025年1月28日)は、熊本県を拠点に活動していた日本のフリーアナウンサーで、熊本放送(RKK)の元アナウンサー。血液型はO型、星座はみずがめ座。 熊本市出身。熊本商科大学付属高等学校、熊本商科大学卒業後、1970年RKKに入社。ラジオ局次長を最後に定年退職。その後も、2017年までRKKラジオでパーソナリティを務めた。 2025年に死去。死去の数年前から体調を崩し、介護施設に入所していたという。 趣味は料理で、菓子作りも得意としていた。 また永年にわたり、毎年10月にアスペクタ(熊本県野外劇場)で開催されていた日本初のカントリー・ミュージックの野外フェスティバル「COUNTRY GOLD」に参加していたことでも知られる。
濱家 輝雄(はまいえ てるお、1948年2月7日 - )は、… 濱家 輝雄(はまいえ てるお、1948年2月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。山陽放送(RSK)元アナウンサー。倉敷芸術科学大学客員教授。
中田 秀作(なかた しゅうさく、1948年2月1日 - )は… 中田 秀作(なかた しゅうさく、1948年2月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元文化放送アナウンサー。 東京都出身。明治学院大学法学部卒業後、1971年文化放送にアナウンサーとして入社。プロ野球、ラグビー、サッカー、陸上競技等の実況を担当し常に「聞いている人が理解できる番組」「聴いていてグランドの状況が目に浮かぶ実況」を心がけて実況を展開。「文化放送ライオンズナイター」の初代キャスターも務めている。また、「セイ!ヤング」「ザ・マンザイクイズ」といった娯楽番組の司会を務めた。1999年には土居まさるの急死を受けて急遽「中田秀作のラヂオデイズ」を同年1月~3月に担当した。その後放送部長となり、2001年3月31日に退職。
井上 俊治(いのうえ しゅんじ、1948年1月25日 - )… 井上 俊治(いのうえ しゅんじ、1948年1月25日 - )は、元NHKアナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。