千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日… 千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の外交官。 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課地域調整官、在デンパサール総領事、駐バヌアツ大使などを経て、2023年11月退官。
青森県:6人
千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日… 千葉 広久(ちば ひろひさ、1958年〈昭和33年〉4月9日 - )は、青森県五所川原市出身の日本の外交官。 アジア大洋州局南部アジア部南東アジア第二課地域調整官、在デンパサール総領事、駐バヌアツ大使などを経て、2023年11月退官。
長谷川 晋(はせがわ すすむ、1955年(昭和30年)10月… 長谷川 晋(はせがわ すすむ、1955年(昭和30年)10月14日 - 2020年(令和2年)9月8日)は、日本の元外交官。青森県八戸市出身。欧州や中東など計7か国で特命全権大使などを歴任した。2018年退官。 青森県立八戸高等学校を経て、1979年(昭和54年)東京大学教養学部を卒業し、外務省に入省する。大学時代はレスリング部主将を務めた。1980年から82年までグルノーブルでフランス語研修。 フランス、イスラエル、タイなどの在外公館で勤務したほか、在フランス日本国大使館一等書記官、外務省領事移住部邦人特別対策室長などを経て、防衛庁で運用局訓練課長を務めた。在イスラエル日本国大使館参事官、在オーストラリア日本国大使館公使、ウィーン国際機関日本政府代表部公使、2007年(平成19年)12月、メルボルン総領事を経て、2010年(平成22年)から2012年(平成24年)までイラク駐箚特命全権大使。
長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日… 長内 敬(おさない たかし、1948年(昭和23年)3月8日 - )は、日本の外交官。ロシア公使などを経て、初代駐ラトビア特命全権大使。 青森県藤崎町出身。1966年青森県立弘前高等学校卒業、1974年一橋大学社会学部卒業。1976年外務省入省。ソヴィエト連邦勤務を希望し、ロシア語研修を受ける。 1988年国際連合日本政府代表部一等書記官、1990年在ソヴィエト連邦日本大使館一等書記官、1992年在ロシア日本国大使館一等書記官、1993年参事官。 1993年欧州復興開発銀行日本理事代理、1997年大蔵省関税局調査保税課長。 1999年外務省大臣官房通信課長、2001年外務省大臣官房外務参事官兼総合外交政策局(軍備管理・科学担当)、2002年在ロシア日本国大使館公使。
山中 千之(やまなか かずゆき、1877年1月23日 - 1… 山中 千之(やまなか かずゆき、1877年1月23日 - 1949年)は、明治・大正期日本の外交官。元国際連盟委任統治委員。 青森県弘前市笹森町生まれ。1896年青森県第一尋常中学校(現青森県立弘前高等学校)卒業。1900年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1902年同専攻部銀行科卒業。 同期に出淵勝次元駐米大使、鈴木榮作元シドニー総領事、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。また、在学中青森県出身学生のための寮として初めて東京に設立された修養社で佐藤尚武元外務大臣とともに住み、佐藤はのちに山中の紹介で山中の叔父佐藤愛麿の娘婿となった。 1903年在ホノルル領事館領事官補。
佐藤 愛麿(さとう あいまろ(よしまろ)、1857年4月22… 佐藤 愛麿(さとう あいまろ(よしまろ)、1857年4月22日〈安政4年3月28日〉 - 1934年〈昭和9年〉1月12日、満76歳没)は、日本のメソジスト派牧師、外交官(特命全権大使)、宮中顧問官。 弘前藩家老山中逸郎泰靖の次男として生まれる。幼名は次郎。勘定奉行佐藤清衡の養子になり、20歳の時に愛麿と改名。 1875年(明治8年)ジョン・イングより洗礼を受け、弘前バンドの一人として伝道に従事。東奥義塾創設と同時に入学し、弘前公会の設立に参画した。 1876年(明治9年)に菊池九郎、本多庸一、イングに引率されて、東北巡幸中の明治天皇に謁見し、珍田捨巳、伊東重らと共に英文演説を奉呈した。 1877年(明治10年)イングの紹介で、珍田捨巳らとともにアメリカのインディアナ・アスベリー大学(現・デポー大学)に留学し、Bachelor of Arts 及び Master of Philosophy を取得。
珍田 捨巳(ちんだ すてみ、1857年1月19日〈安政3年1… 珍田 捨巳(ちんだ すてみ、1857年1月19日〈安政3年12月24日〉- 1929年〈昭和4年〉1月16日)は、日本の外交官。侍従長・枢密顧問官・外務次官。位階・勲等・爵位は従一位勲一等伯爵。キリスト教牧師(メソジスト派)。 弘前藩の下級藩士・珍田有孚の長男として、現在の青森県弘前市で生まれる。藩校の稽古館を経て、東奥義塾に学び、本多庸一の薫陶を受けて学び卒業。本多庸一校長の下で1874年(明治7年)東奥義塾の職員になる。1877年(明治10年)勇躍渡米しインディアナ・アスベリー大学で4年間学び、25歳のときに帰国した。当時、アメリカ事情と語学への通暁者は貴重な存在だった。1886年(明治19年)メソジストの弘前教会(現在の日本基督教団弘前教会教会堂)の副牧師になった。