木村 文洋(きむら ぶんよう、1979年12月28日 - )… 木村 文洋(きむら ぶんよう、1979年12月28日 - )は、日本の映画監督。 なお、映像美術の木村文洋は別人である。 青森県弘前市出身。1998年、京都大学法学部在学中より自主映画制作を開始。2000年度より、京都国際学生映画祭の創成期のメンバーの一人として運営に参加する。2003年に運営委員長となる。大学卒業後、同世代の自主映画作家の現場に参加し、映画監督の佐藤訪米、井土紀州に師事。2008年、スピリチュアル・ムービーズの桑原広考、高橋和博らと、青森県を舞台に六ヶ所村核燃料再処理工場に言及した『へばの』(西山真来・吉岡睦雄主演)を自主制作で初長編監督。第32回カイロ国際映画祭デジタルコンペ部門でシルバー・アワードを受賞、第38回ロッテルダム国際映画祭 bright future部門出品。
山谷 亨(やまや あきら、1976年5月8日 - )は日本の… 山谷 亨(やまや あきら、1976年5月8日 - )は日本の映画監督、演出家、脚本家。青森県青森市出身。 青森県立青森高等学校を卒業後、成蹊大学文学部日本文学科に進学。大学卒業後、制作会社にてテレビ番組、映画、オリジナルビデオ等の演出・撮影・編集・助監督等を務める。 その後フリーの演出家として映画・オリジナルビデオ・CMなどの制作に従事。他に、題字・字書きとして映画・CM美術などに多数参加している。実相寺昭雄の株式会社コダイ所縁の服部光則・高橋巖 (映画監督)・清水厚との仕事が多い。 セサミストリート:ELMO IN JAPAN〜(2015年~2016年) ラインプロデューサー
バイロン・ハワード(Byron Howard、1968年12… バイロン・ハワード(Byron Howard、1968年12月26日 - )は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに所属する映画監督、アニメーターである。 日本の青森県三沢市出身。アメリカ合衆国ワシントン州イサクアで育ったハワードはエバーグリーン州立大学へと進学した。 ハワードは1994年にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに入社し、アニメーターとして『ポカホンタス』、『ムーラン』、『リロ・アンド・スティッチ』、『ブラザー・ベア』などに参加した。 ハワードが最初に監督した作品は『ボルト』である。クリス・ウィリアムズと共同監督を務めたこの作品は2008年のアカデミー長編アニメ映画賞にノミネートされた。
下山 天(しもやま てん、1966年3月6日 - )は、日本… 下山 天(しもやま てん、1966年3月6日 - )は、日本の映画監督、映像ディレクター。 青森県東津軽郡平内町出身。松竹シナリオ研究所卒業。 兄はロボコン指導者の下山大。 高校時代から自主映画を撮り始め、在学中に上京。 1984年(18歳)、松竹シナリオ研究所に入学。半年後、松竹大船撮影所に契約助監督として入る。 1986年、フィルムリンク・インターナショナルに入社。映画の演出部だけでなく撮影部・照明部・特機部を経験する。 2年後に退社、フリーの助監督・撮影助手を経てミュージックビデオの世界へ。 1989年、久保田利伸『Be Wanabee』でMV監督デビュー。以来、桑田佳祐・サザンオールスターズ・B'z・EXILE・GACKT・大塚愛・JUJU・湘南乃風、他多数のMV・ライブビデオを監督。
五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は… 五十嵐 匠(いがらし しょう、1958年9月16日 - )は、日本の映画監督。 青森県出身。青森県立弘前高等学校卒業後、立教大学に入学。在学中に自主製作映画『幻影肢』が長谷川和彦の目に留まり池袋の映画館で上映されることとなった。卒業後は、テレビ業界入りしてTBSのドキュメンタリー番組『兼高かおる世界の旅』の製作に携わった。映画界入りした後は四宮鉄男に師事する。
及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の… 及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の映画監督。日本映画監督協会会員、日活芸術学院主任専任講師。城西国際大学准教授。 青森県青森市出身。青森県立青森高等学校を経て1982年に早稲田大学教育学部を卒業後、にっかつ撮影所演出部に入り、加藤彰に師事。『白バラ学院 わいせつな放課後』(監督: 北村武司、出演: 麻生かおり、渡辺玖未、南理香子)などの助監督時代を経て、1990年にベルリン国際映画祭・アジア太平洋映画祭出品の児童向け作品『夏のページ』(出演: 三浦浩一、小林かおり、佐野史郎)で監督デビューを果たしたが評価は厳しく、その後の監督作はテレビやビデオの数作にとどまった。日活芸術学院主任講師となってからはそれもほとんど見られなくなったが、2000年にはその日活芸術学院の創立25周年記念作品『「紅の拳銃」よ永遠に』(出演: 黒部弘康、中丸シオン、宍戸錠、布施博)で実に10年ぶりの映画界復帰を果たした。
佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007… 佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007年9月4日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。 東京都立富士高等学校、東京大学文学部哲学科卒業。 青森県弘前市で生まれる。 2歳で家族が上京。千葉県松戸市のマンモス団地で物心付き、東京都練馬区石神井で育つ。 東京大学在学中より水俣病の運動に関わり、香取直孝監督の『無辜なる海 1982年・水俣』の助監督となる。1984年に、その映画の自主上映の途中で、阿賀野川とそこに暮らす人々と出会い、映画作りを決意する。 各務洋一監督に私淑した後、1989年からスタッフ7人と新潟に2年間移り住んで住民と密着して暮らし、1992年に初の監督作品『阿賀に生きる』を完成させ、絶賛される。
倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022… 倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022年10月7日)は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、映画監督、実業家である。大ヒットした映画『佐賀のがばいばあちゃん』を監督したことで知られる。映像製作会社アマゾンの創立者であり、(株)アマゾンラテルナの代表取締役会長である。ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)理事長(2012年 - )。 青森県青森市(当時は南津軽郡浪岡町)出身。テレビマンユニオンに所属し『アメリカ横断ウルトラクイズ』などの制作に関わる。1985年のテレビ制作会社ネクサスの設立に参加。 1988年4月1日、東京都港区にテレビ番組制作会社として株式会社アマゾンを設立、以来、テレビ作品を中心に、数多くの映像作品を生み出す。
川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 19… 川島 雄三(かわしま ゆうぞう、1918年2月4日 - 1963年6月11日)は、日本の映画監督。 青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)生まれ。家は代々伝わる商家(酒屋)で、もともとは近江商人の出。父・徳蔵、母・ヨシの三男として生まれる。ヨシは下北半島の大畑八幡神社の娘で、川島が5歳のとき死亡。その後は義母に育てられる。運動は駄目だったが、成績優秀で本を読むのが好きな子供だった。 青森県立野辺地中学校(現:青森県立野辺地高等学校)卒業。明治大学専門部文科文芸科に入学、学生時代は映画研究部に在籍。大学卒業後、松竹大船撮影所監督部に入社。撮影所前の松尾食堂に入り浸り、居候となる。食堂の娘と縁談話が持ち上がったが、子供を作れない体であることを理由に断る。
小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日… 小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日 - 1996年(平成8年)2月5日)は、日本の脚本家、映画監督。青森県八戸市出身。 青森県八戸市柏崎新町の母の実家玉内家で誕生。旧制八戸中学校(現・青森県立八戸高等学校)時代に同郷の友、松下正寿の兄・正臣の影響で武者小路実篤の作品に傾倒し、小説を実篤に送るなど文学に目覚めた。実篤の勧めで日本バプテスト神学校(現・関東学院大学)に進学し卒業。白樺派の影響を受け、実篤主宰の新しき村に参加する。関東大震災に遭遇し帰郷するも、「大震災救援」のための演劇活動に精力を注いだ。 1929年(昭和4年)に実篤の紹介で日活太秦撮影所に助監督として入社。