梶原 さい子(かじわら さいこ、1971年1月16日 - )… 梶原 さい子(かじわら さいこ、1971年1月16日 - )は、日本の歌人。「塔短歌会」所属。宮城県出身。詩人梶原しげよは大叔母にあたる。 気仙沼市唐桑町生まれ。実家は早馬神社。高校教員。 1997年 河野裕子に出会い、歌を詠み始める。2006年 抒情文芸最優秀賞を受賞。 2010年 宮城県芸術選奨新人賞を受賞。 2011年 第29回 現代短歌評論賞(『短歌の口語化がもたらしたもの - 歌の「印象」からの考察』) 、第1回 塔短歌会賞を受賞。2015年 第三歌集『リアス/椿』で第11回葛原妙子賞、2014年度 宮城県芸術選奨を受賞。 2014年3月18日から2015年3月15日まで、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館において常設展示が行われた。
髙橋 みずほ(たかはし みずほ、1957年2月12日 - … 髙橋 みずほ(たかはし みずほ、1957年2月12日 - )は歌人。祖父は歌人の髙橋俊人、父は植物育種学者の高橋成人、夫は歌人の吉野裕之。 宮城県仙台市生まれ。仙台市立上杉山中学校、聖ウルスラ学院高等学校を経て、東北学院大学文学部史学科卒業。多賀城跡調査研究所、東北大学工学部附属材料強度研究施設に勤務。 1987年、歌誌「個性」に入会し、加藤克巳に師事(2004年、「個性」終刊)。1994年、第一歌集『凸』を刊行。2002年、今井恵子、吉野裕之と短歌ユニット[BLEND]を始動。雑誌[BLEND]を第10号まで発行し、2007年、解散。その後、結社や同人誌などに拠らず、無所属で活動。 横浜歌人会運営委員を務めている。
岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は… 岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は、日本の法学者、歌人。東北大学名誉教授。専攻は、刑法、近代ドイツ刑法史、犯罪論と刑法哲学。宮城県出身。 宮城県中新田町(現・加美町)で建設業を営む家に生まれ、小中学時代を鳴子町川渡(現・大崎市)で送る。その後、宮城県仙台第一高等学校、東北大学法学部卒業(指導教官は荘子邦雄)。卒業後、助手、助教授、教授を経て大学院法学研究科・法学部教授。2012年定年退官、名誉教授。 伊達政宗に仕えた初代岡本久兵衛義成を始祖とする仙台藩士岡本家の16代目当主。文学にも造詣が深く、東北大学短歌会の顧問をしていた。島田修二(青藍・草木)に師事していたが、現在は「まひる野」に所属。
高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は… 高野 ムツオ(たかの ムツオ、1947年7月14日 - )は、宮城県出身の俳人。本名は高野睦夫。金子兜太の「海程」所属を経て佐藤鬼房に師事、鬼房の跡を継ぎ現「小熊座」主宰。2024年、現代俳句協会会長に就任。 岩ケ崎町(現栗原市)に生まれる。栗駒町立岩ヶ崎中学校、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校を経て、國學院大學文学部文学科を卒業。小学生のころより父に連れられて句会や吟行会に参加。10歳のころ、初の投句が句会で来町していた阿部みどり女の選に入る。中学時代には『河北新報』のみどり女選の俳句欄に投句、高校時代よりみどり女主宰の俳誌「駒草」に投句した。神奈川県の地方公務員として勤務する傍ら、国学院の夜間部では俳句研究会に入会し機関誌を発行。
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日… 小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 1947年、宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)に、大池唯雄(小池忠雄)の長男として生まれる。父の大池は、「兜首」および「秋田口の兄弟」にて第8回直木三十五賞を受賞するなど、小説家として活動していた。 宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学理学部物理学科を卒業。その後、同大学の大学院に進学し、理学研究科修士課程を修了。 1972年、短歌結社「短歌人」に入会。その後、高瀬一誌の薫陶を受ける。1975年、埼玉県の浦和実業学園高等学校へ理科教師として就職。
熊谷 龍子 (くまがい りゅうこ、1943年7月7日 - … 熊谷 龍子 (くまがい りゅうこ、1943年7月7日 - )は、日本の歌人。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県鼎が浦高等学校、宮城学院女子大学日本文学科卒業。歌人の熊谷武雄は祖父。気仙沼市在住。 1967年「詩歌」に参加し前田透に師事。「詩歌」廃刊後は「青天」を経て「礁」に参加。祖父・武雄が師事したのは透の父・前田夕暮であった。 国語教科書に「森は海の恋人」という植林活動を行う漁師・畠山重篤の話が載っており、そのタイトルの由来となったのは熊谷の歌である。「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」が生まれ、地元室根山の森に木を植える活動が始った、と畠山は語っている。1999年 現代歌人協会の選者をつとめる。
菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、… 菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、俳人。 宮城県仙台市生まれ。東北学院大学卒。俳誌「滝」主宰。1974年、藤田湘子の「鷹」入会、76年「鷹」同人。91年「槐」創刊同人。92年「滝」創刊主宰。93年「鷹」同人辞退。1981年、宮城県芸術選奨新人賞、1980年、角川俳句賞。現代俳句協会員。宮城地区現代俳句協会副会長。
菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 19… 菅野 昭彦(かんの てるひこ、1930年12月7日 - 1974年12月12日)は、日本の脚本家、歌人。 宮城県仙台市出身。1945年、短歌雑誌のぬはり社に入り、菊池知勇に師事した。1953年東京大学文学部国文学科卒業。 脚本家として、松竹配給の映画やテレビドラマを多数手掛けた。 1974年12月12日、脳溢血のため死去。44歳没。 ※『ユートピア』以外松竹配給作品
山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 20… 山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 2013年5月18日)は、日本の俳人。 宮城県仙台市生まれ。国語学者・山田孝雄の次女。兄に山田忠雄、山田英雄、山田俊雄がいる。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒業。1957年、石田波郷に師事する。俳誌『鶴』を経て、1979年に『木語』を創刊、主宰する。同誌は2004年に終刊した。門下に石田郷子、本郷をさむなどがいる。1968年、「梶の花」50句で第14回角川俳句賞、1976年、句集『木語』にて第15回俳人協会賞受賞。他の句集に『忘』『木語』『手甲』『草譜』『昧爽』『中今』などがある。2013年5月18日、老衰のため死去した。
安斎 桜磈子(あんざい おうかいし、1886年(明治19年)… 安斎 桜磈子(あんざい おうかいし、1886年(明治19年)2月7日 - 1953年(昭和28年)12月12日)は、宮城県登米市登米町出身の俳人。本名は千里(ちさと)である。 1886年(明治19年)2月7日に御機師の家柄に生まれ、高等小学校を卒業した後に家業を継いだ。 安斎と同じく宮城県登米町出身の俳人菅原師竹に師事し、17歳頃より俳句を作り始める。 1904年(明治37年)頃に従来の五七五調の形にとらわれない新しい新傾向俳句に惹かれる。その後、俳人、随筆家の河東碧梧桐が選者である新聞『日本』の俳句欄に投句し、新傾向派の俳人として注目された。 菅原と共に新傾向俳句を作り、一時期は新傾向俳句の重鎮として師竹・桜磈子時代と呼ばれ、東北の俳壇で称された。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
熊谷 武雄 (くまがい たけお、1883年11月2日- 1… 熊谷 武雄 (くまがい たけお、1883年11月2日- 1936年8月21日)は、日本の歌人(明治~昭和時代前期)。歌人の熊谷龍子は孫。 宮城県本吉郡新月村(現・気仙沼市)生まれ。少年時、及川義亮に歌を学ぶ。郷里・気仙沼で農林業に従事しながら前田夕暮に師事。 1911年(明治44年)「詩歌」創刊に参加し同時に短歌結社「白日社」同人となる。1912年(大正元年) 仙台の文芸誌「シャルル」同人となり、郷土の文学の高揚に尽力した。 1921年 新月村の村会議員に就任。 1924年(大正13年)「日光」に前田夕暮らとともに参加。「詩歌」同人らが自由律口語短歌に転向するなかで定型律文語短歌をまもり、山村生活をうたった。
菅原 師竹(すがわら しちく、1863年(文久3年)8月 -… 菅原 師竹(すがわら しちく、1863年(文久3年)8月 - 1919年(大正8年)3月24日)は日本の俳人。本名は賢五郎。旧姓:伊藤。 陸奥国登米郡登米(現・宮城県登米市)に生まれる。幼少期に元藩儒の中沢敬哉に経史を学ぶ。菅原家に養子になり、農業をする。旧派俳諧に属したが、1904年に安斎桜磈子と知り、共に日本派の俳句入る。1905年から河東碧梧桐の俳句の指導を受ける。新傾向時代初期に活躍し「師竹・桜磈子時代」を画す。「続春夏秋冬」「日本俳句鈔」などに多く句を収め、安斎桜磈子編「師竹句集」がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原 阿佐緒 は、日本の歌人である。阿佐緒と東北帝国大学教授で… 原 阿佐緒 は、日本の歌人である。阿佐緒と東北帝国大学教授であった石原純との恋愛問題は大正時代を代表する恋愛スキャンダルのひとつとされていて、短歌とともに恋愛問題が著名であり、多くの短歌作品も恋愛体験がテーマとなっている。