五ノ井 里奈(ごのい りな、 1999年9月29日 - )は… 五ノ井 里奈(ごのい りな、 1999年9月29日 - )は、日本の元陸上自衛官、柔道指導者である。 宮城県石巻市生まれ、東松島市出身。両親と兄二人がいる。自然分娩ではあったが、「泣き声がしない」ために、仙台赤十字病院に緊急搬送され、しばらく集中治療室で過ごす。「里奈」という名前は、「ふる里」と母親の好きな「奈良」から、一文字ずつを取った。2023年現在は横浜市在住で、好物はアイスクリーム。 五ノ井の母は、流産やがん治療のため臓器摘出などを経験しており、子どもたちに強く生きてほしい思いから、親子で武道教室3件を見学に回る。その後、兄2人が柔道を始めたのをきっかけに、五ノ井本人も柔道に進むことを決めた。
阿部 香菜(あべ かな、1988年4月25日 - )は、宮城… 阿部 香菜(あべ かな、1988年4月25日 - )は、宮城県石巻市出身の日本の元柔道選手。身長は160cm。階級は63kg級。得意技は内股。組み手は左組み。段位は参段。血液型はA型。 柔道は姉の影響で3歳の時にみなと柔道会で始めた。渡波中学3年の時に全国中学校柔道大会70kg級で5位になった。東北高校に進むと、階級も63kg級に変更した。3年の時にはインターハイで2位となった。アジアジュニアでは優勝した。なお、この大会で知り合ったことがきっかけで世田谷学園高校2年の海老沼匡と交際するようになり、後に結婚した。 高校卒業後の2007年には三井住友海上へ入社した。2010年のワールドカップ・ブダペストでは優勝を飾るものの、その後の体重別では初戦で敗れた。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の日本の柔道家、体育学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。 長男はプロ野球の阪神タイガースに所属する佐藤輝明。 仙台育英学園高等学校柔道部から、日本体育大学に進学。日体大では「平成の三四郎」古賀稔彦と同期入学。日本体育大学2年の時に全日本学生柔道優勝大会の準決勝 天理大学戦で当時、小川直也(明治大)と並び学生重量級のホープであった中谷弘を終始攻め、背負投で破る大金星を挙げる。チームは敗れたが3位進出の原動力となる。その後、無差別で争われる全日本学生選手権では86kg級の選手ながら3位となった。4年の時には日体大柔道部の副キャプテンとなる(キャプテンは古賀稔彦)。
東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年… 東 孝(あずま たかし、1949年5月22日 - 2021年4月3日)は、日本の武道家(柔道・極真空手)。打撃系総合武道・空道の創始者。大道塾創立者・代表師範・塾長。NPO法人国際空道連盟・一般社団法人全日本空道連盟理事長、2008年北京武術トーナメント散手日本代表監督。みなと気仙沼大使。大道塾空道九段、極真武道会八段の他、講道館柔道参段を允許されている。 宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼高等学校時代に柔道を習得。卒業後、陸上自衛隊を経て、早稲田大学第二文学部在学中1971年(昭和46年)に極真会館に入門し空手道に取り組む。 早稲田大学極真空手部(早大極真会)創設・初代主将。山崎照朝・佐藤勝昭らに指導を受ける。
神永 昭夫(かみなが あきお、1936年〈昭和11年〉12月… 神永 昭夫(かみなが あきお、1936年〈昭和11年〉12月22日 - 1993年〈平成5年〉3月21日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 全日本選手権大会を3度制し、猪熊功と共に1960年初頭に“神猪時代”を築いた。柔道競技がはじめて採用された1964年の東京オリンピックでは無差別級に出場するも、決勝戦でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れて銀メダルに終わった。 宮城県仙台市出身。東北高校在学中に柔道をはじめたが、恵まれた体格のため、短期間で格段の進歩を遂げる。東北高校在学3年の時、薦められて講道館で昇段試験を受け、そこで19人抜きの快挙をなして即日3段の認定を受けた。これは当時としては破格の扱いであった。
佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - … 佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - 1997年6月13日)は日本の柔道家(講道館9段)、政治家。 宮城県角田市坂津田出身。1928年に旧制東北中学校(現・東北高等学校)を卒業。病弱な体を克服するために柔道を始めて恩師・佐久間弥太郎より厳しい指導を受け、後には高橋喜三郎、高橋勇蔵らにも師事した。記録上の講道館入門は1930年12月8日付だが、関東・東北・北海道柔道大会では同年と翌31年に個人戦・団体戦とも連覇を達成。身長180cm・体重95kgの恵まれた体躯と、得意技である固技や横捨身技が武器であった。 1934年より5年間は仙台鉄道局に籍を置き、1940年より6年間は旧制第二高校(現・東北大学)の柔道師範を務めた。
青柳 力(あおやぎ りき)はスポーツトレーナー、柔道整復師。… 青柳 力(あおやぎ りき)はスポーツトレーナー、柔道整復師。株式会社あおやぎ創業者。「あおやぎ接骨院グループ」総院長。「フィットネススタジオSPORT+」代表取締役社長。「トレーナー活動日本一」を目標に活動している接骨院グループでスポーツ選手のコンディショニングケアに定評がある。また、同門であるBellator MMA所属の総合格闘家ISAO選手のスポンサー及び、「ISAO後援会」事務局代表も務めている。「SPORT+」スタッフには元バレーボール全日本の高橋めぐみらがいる。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
栗原 泰郷(くりはら たいきょう )は、宮城県栗駒町出身の、… 栗原 泰郷(くりはら たいきょう )は、宮城県栗駒町出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。 柔道は中学に入学してから始めた。栗原農業高校から日本大学へ進むと、2年の時に優勝大会で3位となった。4年の時にはプラハで開催された第1回となる世界学生の中量級に出場すると、初戦において東京オリンピック中量級銅メダリストで、天理大学に留学していた西ドイツのヴォルフガング・ホフマンを背負投で破るなどして決勝に進むと、ソ連のブグダン・バガカシビリをも背負投で破って優勝を飾った。団体戦でも決勝のソ連戦で優勢勝ちを収めてチームの優勝に貢献した。なお、日本大学は優勝大会の決勝で中央大学に敗れて2位だったが、今大会は世界学生の直前に行われたこともあって出場できなかった。