菅原 ななこ(すがわら ななこ、2001年1月16日 - )… 菅原 ななこ(すがわら ななこ、2001年1月16日 - )は、宮城県仙台市出身の女子競輪選手。日本競輪選手会宮城支部所属、ホームバンクは宮城県自転車競技場。日本競輪選手養成所第120期生。師匠は三澤勝成(83期)。 東北高等学校で自転車競技をはじめ、2018年インターハイ女子2kmインディヴィデュアル・パーシュート3位。2017全日本選手権ロードライムトライアル17歳以下1位となるなど実績を残した。 2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回技能試験に合格。養成所競走成績は13位(0勝)。 2021年5月1日、静岡競輪場でデビューし3着。初勝利は同年5月3日の静岡競輪場で挙げた。 2025年4月24日、高知FIIで初優勝。
阿部 拓真(あべ たくま、1990年11月3日 - )は、宮… 阿部 拓真(あべ たくま、1990年11月3日 - )は、宮城県仙台市出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第107期生。日本競輪選手会宮城支部所属、ホームバンクは宮城県自転車競技場。師匠は荻原尚人(89期)、弟子は木村佑来(119期)。 母校は黒松小、八乙女中、仙台商業高校で、サンドウィッチマンの伊達みきおと全く同じ。高校2年生の時に、「団体競技より個人競技が向いている」と父親に言われてサッカーから自転車競技に転向。部の監督の薦めで法政大学へ進学し自転車部に入部する。在学中の2012年には、第47回全国都道府県対抗自転車競技大会・成年男子ケイリン優勝、第68回全日本大学対抗選手権自転車競技大会・男子ケイリン2位という結果を残した。
阿部 力也(あべ りきや、1988年3月22日 - )は、宮… 阿部 力也(あべ りきや、1988年3月22日 - )は、宮城県仙台市出身の競輪選手。旧日本競輪学校(以下、競輪学校)第100期生。師匠は高浜裕一(競輪学校第69期生)。 東北高等学校時代、高体連チームの一員として、片折亮太、中野彰人とともに、2005年の全日本自転車競技選手権大会・チームスプリントで優勝に貢献。日本大学時代には、全日本アマチュア自転車競技選手権大会・スプリントを2008年、2009年と連覇した。 その後、日本大学を中退し、競輪学校に入校。同校卒業記念レース優勝者となった。在校競走成績は第9位(27勝)。 2011年7月18日、いわき平競輪場でデビュー。初勝利は同年同月19日の同場。
菅田 壱道(すがた かずみち、1986年5月9日 - )は、… 菅田 壱道(すがた かずみち、1986年5月9日 - )は、宮城県出身の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第91期卒業。日本競輪選手会宮城支部に所属。 父は、競輪学校第47期生の菅田彰人(引退)。また、弟の菅田謙仁(109期)、伯父の菅田順和(36期、引退)、従兄弟の菅田和宏(88期)・菅田賀子(104期、引退)も競輪選手という、競輪一家で育つ。 仙台商業高校に進学してから本格的に自転車競技に取り組み、2004年のジュニア世界選手権自転車競技大会のチームスプリント(ロサンゼルス)において、柴崎淳、大西祐とのトリオで2位に入る。1回戦で記録した47秒110は、250mバンクのジュニア日本記録である(2011年時点)。
早坂 秀悟(はやさか しゅうご、1986年1月22日 - )… 早坂 秀悟(はやさか しゅうご、1986年1月22日 - )は、宮城県仙台市出身の競輪選手。日本競輪学校第90期卒業。日本競輪選手会茨城支部に所属。師匠は相原健樹。父親は日本競輪学校第49期生の早坂悟。 2003年、仙台市立仙台商業高等学校在学中に佐世保競輪場で開催された全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)のチームスプリントで優勝(長田、早坂、菅田)。同年、全国都道府県対抗自転車競技大会では、1kmタイムトライアルで優勝。 同校卒業後の2004年、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会では、ジュニア部門で1分6秒493の大会新記録を出し、1kmタイムトライアルを制し、ケイリンでも優勝した。
大熊 正太郎(おおくま しょうたろう、1972年9月24日 … 大熊 正太郎(おおくま しょうたろう、1972年9月24日 - )は、元競輪選手。宮城県仙台市(旧 泉市)出身。日本競輪学校第78期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。 宮城県仙台第三高等学校を経て陸上自衛隊・第一空挺団に入隊。自衛隊時代はラグビー選手として国民体育大会に出場。 その後は盛田広美(宮城・27期)に師事して日本競輪学校に合格し第78期生として入学。在校競走成績は3勝を挙げ68位。1996年8月16日、立川競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 デビューからしばらくは徹底先行選手として鳴らし、2001年から2003年頃までは常時特別競輪(現在のGI)へ出場していた。 2013年6月9日の前橋競輪場第8R・A級特選で4着となった後、同月27日にA級1班在位のまま選手登録を消除し引退。
門脇 真由美(かどわき まゆみ、1972年9月21日 - )… 門脇 真由美(かどわき まゆみ、1972年9月21日 - )は、宮城県大崎市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会大阪支部所属、ホームバンクは関西サイクルスポーツセンター。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生(ガールズケイリン第1期生)。師匠は城本量徳(アマチュア指導者であり競輪選手ではない)。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある古川商業高等学校に入学してから自転車競技を始め、同校卒業後はチームミヤタに加入したが、同チームはロードレース主体の活動であり、自らのプレースタイルに合わなかったことから1年で退団。その後、城本量徳に出会い、活動拠点を関西サイクルスポーツセンターのある大阪府に移した。
荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日-… 荒川 秀之助(あらかわ しゅうのすけ、1948年11月4日- )は、宮城県名取市出身で、日本競輪選手会・宮城支部に所属していた元競輪選手。25期。 東北高等学校を経て日本競輪学校第25期生となる。同期には谷津田陽一や、1964年東京オリンピックに出場した山藤浩三や伊藤富士夫らがいる。また、実弟の荒川玄太(31期)も元競輪選手であった。 デビュー戦は1967年9月17日の準地元・いわき平競輪場で迎え6着。初勝利は同年同月18日の同場。 1970年。この年は競輪界のこれまでの図式が大きく変わった年となった。高原永伍時代の終焉が訪れると同時に、高原に加え、伊藤繁、吉川多喜夫らが形成していた「神奈川王国」にも終焉の時代が訪れた。
阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城… 阿部 道(あべ とおる、1948年1月19日 - )は、宮城県仙台市出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。初出走は1966年9月16日の函館競輪場で初勝利も同日。ホームバンクは宮城自転車競技場。 仙台市立仙台商業高等学校出身。4人兄弟の長男で、弟3人も元競輪選手だった。 阿部はデビュー当時から、平間誠記の練習仲間として一緒に練習していたが、実際のところ、平間が阿部ら若手に対して「指導」を行うために練習に付き合わせたという側面が強かった。ロードワーク中に周囲が田んぼに囲まれた場所へとさしかかると平間は突然、「おい!これから競りの練習だ!」といって阿部らの横にピッタリと車を寄せ、ゴリゴリと競りを行い、最後は決まって田んぼの中へ阿部らを突き落としたという。
河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、… 河内 剛 (かわうち つよし、1945年1月4日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会宮城支部に所属していた。 東北高等学校を経て、日本大学に在学中だった1964年の東京オリンピックにおいて、スクラッチ(現在のスプリント)に出場(予選敗退)。 1965年、日本競輪学校第21期生(同期に群馬の田中博、神奈川の伊藤繁らがいる)としていわき平競輪場でデビューし1着。後2日間も勝ち、3連勝完全優勝を果たす。 1972年、日本選手権競輪(西武園競輪場)優勝。ちなみにこのレースでは、連勝単式(枠番連勝単式)車券において同大会決勝戦史上初の万車券決着となった。
平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 196… 平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 1968年8月21日)は、元競輪選手。宮城県刈田郡蔵王町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第13期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。選手登録番号6789。 競輪学校91期生であった元競輪選手の平間一洋の大叔父にあたる。 宮城県立大河原高等学校を卒業後、アマチュア選手としてアジア大会などのスクラッチ(現在のスプリント)種目に出場し数々の優秀な成績を治める。この頃は早稲田大学商学部の聴講生であったが、大学の自転車部が平間を一般学生として登録し出場させていたため、部全体が長期の活動停止処分を受けてしまい、アマとしての活動が難しくなったため、プロである競輪への転向を決断している。