犬山 紙子(いぬやま かみこ、1981年12月28日 - )… 犬山 紙子(いぬやま かみこ、1981年12月28日 - )は、日本のコラムニスト、エッセイスト、ラジオパーソナリティ。大阪生まれで、幼少時代を大阪府と兵庫県で過ごし、中学時に宮城県へ移住。仙台市の出版社で編集者として勤務するが介護離職し、その後マガジンハウスからブログ本「負け美女」を出版する。作家デビュー後は雑誌、ラジオなどのメディアなどに出演し、TVでコメンテーターとしても活動している。 友人達から聞いた「美女にもかかわらず負けている恋愛エピソード」を収集してブログのネタにしていた。「負け美女」は自称ではなく、自分は含まれないとたびたび明言している。のちにブログなどで『負け美女』の表題について、人を勝ち負けでくくってしまったことへの反省を綴る。
あいはら ひろゆき(相原 博之、1961年 - )は、日本の… あいはら ひろゆき(相原 博之、1961年 - )は、日本の絵本作家、エッセイスト。宮城県仙台市出身。早稲田大学卒。
末永 史(すえなが あや、1949年 - 2018年1月1日… 末永 史(すえなが あや、1949年 - 2018年1月1日)は、日本の元漫画家、イラストレーター、エッセイスト、精神保健福祉士。宮城県仙台市出身。漫画家としては特に1970年代に活動していた。東京都立南多摩高等学校を経て武蔵野美術大学、中央大学中退後、「ヤングコミック」や「りぼん」に連載していた。その後は医療に従事するかたわら、イラストやエッセイの活動が中心になっていた。 別のペンネームに末永あや子、いとう絢子がある。 (上記全て、末永あや子または末永あやこ名義作品)
畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - … 畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会」」(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)の代表を務めた。 中国・上海に生まれる。父親は会社員だったが、第二次世界大戦終戦後、故郷の舞根()(宮城県唐桑町)へ戻り牡蠣養殖を始めた。周辺に子供が少なく、重篤は海川でハゼ釣りや小エビ捕り、山でキジを追う少年時代を送った。1962年、宮城県気仙沼水産高等学校卒業。家業である牡蠣養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて、宮城県では初めて帆立の養殖に成功した。 日本は高度経済成長期を迎えていた1964年頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて赤潮が発生するようになり、それに染まって売り物にならない「血ガキ」が相次ぎ、廃業する漁師が続出するようになった。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2… 秋山 ちえ子(あきやま ちえこ、1917年1月12日 - 2016年4月6日)は、日本のラジオパーソナリティ、エッセイスト、時事評論家。本名、橘川ちゑ(きっかわ ちえ)。 宮城県仙台市出身。1935年に東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業後、聾唖学校の教師となる。この時、取材に訪れた川端康成と知り合い、北条誠を川端に紹介する。結婚後、中華民国に4年滞在。1948年(昭和23年)から1956年(昭和31年)まで、NHKラジオ番組『私の見たこと、聞いたこと』のレポーターを担当し、主婦の視点から見た日本の現状をわかりやすく説明した。1954年(昭和29年)にラジオ番組「私の見たこと聞いたこと」で第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(書籍ではなく、ラジオ番組に対しての授与)。