土屋(つちや、1992年12月10日 - )は、グレープカン… 土屋(つちや、1992年12月10日 - )は、グレープカンパニーに所属する日本の男性お笑い芸人。お笑いコンビ「孫ダッシュ」(まごダッシュ)のメンバー。本名、土屋 慧(つちや けい)。スクールJCA22期生。2022年12月までプロダクション人力舎に所属していた。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡工業高等学校卒業。千葉工業大学を中退後、2013年にスクールJCAに22期生として入学。卒業後は同期の河田祥子と男女コンビ「ブラットピーク」を結成。M-1グランプリに出場し、2016年・2018年大会では3回戦まで進出した。 2019年6月18日、河田の引退に伴い当日付けでコンビを解散、ピン芸人となり本名から「土屋」に改名し活動を開始。
タツキ・マイアミ(本名及び旧芸名:髙橋 竜基、1991年12… タツキ・マイアミ(本名及び旧芸名:髙橋 竜基、1991年12月2日 - )は、日本のお笑い芸人、筋肉タレント、元プロレスラー。山形県寒河江市出身。 芸人としてはグレープカンパニーに所属し、2021年5月31日まで吉村和彬とお笑いコンビ「あがすけ」として活動していた。 プロレスラーとしてはココ夏三郎(ココなつさぶろう)の名前で活動していた。 2012年、山形南高校の同級生である吉村和彬と「あがすけ」を結成。 事務所ライブをはじめ、単独ではVシネマに出演していたが、芸人とは思えぬ筋肉量から、日清シスコ「ココナッツサブレ」発売50周年を記念したキャンペーンキャラクター「ココ夏三郎」の中の人に就任決定。
南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14… 南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年〈昭和26年〉7月14日 - 2024年〈令和6年〉1月20日)は、日本のコメディアン、パフォーマー。電撃ネットワークメンバー。ダチョウ倶楽部初代リーダー。 本名は佐藤 道彦(さとう みちひこ)。愛称は南部ちゃん。身長168cm。血液型RHマイナスO型。既婚。オフィス電撃ネットワーク所属。メディア関係は主に、芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント(株式会社BBE)」に委託していた。芸名の名付け親は市原悦子。 山形県鶴岡市出身。実家は佐辰輪店という自転車屋。高崎経済大学中退。 第一生命営業マンを経て渡仏。帰国後、ロシア音楽舞踏団を経て、コント赤信号がいるテアトル・エコーに参加する。
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師… ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。 漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。 ボケ役である相方のビートたけし(北野武)のことは親しみを込めて相方と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月2… 谷村 昌彦(たにむら まさひこ、1927年〈昭和2年〉2月25日 - 2000年〈平成12年〉8月6日)は、日本の俳優、タレント、コメディアン。山形県山形市出身。血液型はB型。旧芸名は谷村伸一。本名は武田忠。 1941年に上京。文化座に入団。 浅草公園六区の舞台で役者としての活動を始め、同時に高輪工業学校(現・高輪中学校・高等学校)に通ったが、最終的には中退。 1944年に森川信一座へ入団。その後は空気座に所属し、1954年に金星プロに所属。 田舎訛りのキャラクターや東北弁を使っているのが受けて、刑事ドラマや時代劇のレギュラーとして活躍。 日本喜劇人協会の理事も務めていた。 『Gメン'75』には多くゲスト出演があったが、晩年に古田刑事としてレギュラーに迎えられる。