スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
伊藤 亮太(いとう りょうた、 1993年6月11日 - )… 伊藤 亮太(いとう りょうた、 1993年6月11日 - )は、NHKのアナウンサー。 山形県新庄市出身。山形県立新庄北高等学校、茨城大学人文学部卒。 2016年、福島テレビに入社し活動していたが、「NHKで地域職員という働き方があると知った時、ふるさとの山形でアナウンサーの仕事ができるというのはなかなかないチャンス」と思ったのがきっかけで、NHKに応募し、見事採用内定を受け、福島テレビを退職後、2022年4月、地域職員(キャリア採用枠)としてNHKに入局。初任地は地元・山形放送局。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
熊谷 瞳(くまがい ひとみ、1977年9月21日 - )は、… 熊谷 瞳(くまがい ひとみ、1977年9月21日 - )は、山形テレビ (YTS) のアナウンサー。 山形県最上郡鮭川村出身。山形県立新庄北高等学校、福島大学教育学部小学校教員養成課程卒業。学生時代に打ち込んでいたスポーツはバレーボールで、小学校在学時から高校卒業まで続けていた。 大学4年時に「ミス花笠」に選ばれ、山形花笠まつりのPR活動に従事する。それが縁で山形テレビの関係者から声をかけられ、卒業後の2000年に同局の契約リポーターになる。そしてその翌年に入社し、同局のアナウンサーになる。 山形テレビが地上アナログ放送を行っていた頃には、アナウンス業務と並行して地上デジタル放送推進大使も務めていた。
ベン山形(べんやまがた、1975年6月3日 - )は、吉本興… ベン山形(べんやまがた、1975年6月3日 - )は、吉本興業に所属しているピン芸人。山形県新庄市出身 山形県立新庄北高等学校、文化服装学院卒業。 地元で働いていたが、2009年に脱サラし、半ば家出の様な形で山形から上京。村上ショージに弟子入りする。 2015年4月から吉本興業の活動の一環として「住みますアジア芸人」としてタイに移住した。だが、1年経たずで「海外が苦手だった」という理由で帰国した。 2018年1月19日に『ベン山形ディナーショー〜酩酊状態〜』を開催。 一輪車芸、手品などのネタを行うが失敗して、共演している芸人にツッコまれることが多い。たまに成功するネタもある。
あべ 美佳(あべ みか、1971年6月30日 - )は、日本… あべ 美佳(あべ みか、1971年6月30日 - )は、日本の脚本家、作家。旧名義は阿部 美佳。山形県尾花沢市出身。 山形県立新庄北高等学校を卒業後に上京。文教大学国際学部卒業。郷土の方言に愛着を持っており、NHK山形放送局のローカルバラエティー番組『今夜はなまらナイト』を生み出すきっかけを作った[要出典]。 2000年の夏、会社勤めの傍ら、シナリオ教室に通いだす。2002年、初めて書いた1時間もののシナリオ「沈まない骨」が、日本テレビシナリオ登龍門で優秀賞を受賞。神木隆之介主演でドラマ化される。 2006年、ふるさと山形の外国人妻問題を題材にした作品『かあちゃんが来た』(『曲がれない川』から改題)で、NHK創作テレビドラマ脚本懸賞最優秀賞受賞。
冨樫 義博(とがし よしひろ、本名同じ、1966年(昭和41… 冨樫 義博(とがし よしひろ、本名同じ、1966年(昭和41年)4月27日 - )は、日本の漫画家。妻は同じく漫画家の武内直子、弟は同じく漫画家の冨樫。1987年(昭和62年)に『『週刊少年ジャンプ』Winter Special』に掲載された「とんだバースディプレゼント」でデビューし、1989年(平成元年)から『週刊少年ジャンプ』で開始した「てんで性悪キューピッド」で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍。代表作『幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER』『レベルE』はいずれもテレビアニメ化され人気を博している。『幽☆遊☆白書』により1993年(平成5年)、第39回小学館漫画賞少年部門受賞。
信夫 隆生(しのぶ たかお、1966年〈昭和41年〉4月9日… 信夫 隆生(しのぶ たかお、1966年〈昭和41年〉4月9日 - )は、日本の農林水産官僚。 山形県新庄市出身。家業は農家で、幼少の頃から「長男だから家業を継ぐのは当たり前」と言われて育ち、小学校4年生から高校3年生まで牛糞の片付けや田んぼの手伝いなど、家業の手伝いをしていた。そんな日常を過ごしていく中で、周囲の友人が遊んでいる姿を横目で見ながら「農家の長男だからといって、なぜこんな辛い経験をしなければならないのだろう」と、農業に対して疑問に抱くようになった。その後、山形県立新庄北高等学校を経て、1990年(平成2年)3月、早稲田大学法学部を卒業。大学卒業後は国家公務員を志望し、官庁訪問をしていく中で、上述の農業に対する疑問が湧き上がり、同様の問題意識を抱いている農水省とフィーリングが合い、1991年(平成3年)4月、農林水産省に入省(Ⅰ種・法律)。
江口 聡(えぐち さとし、1965年10月27日 - )は、… 江口 聡(えぐち さとし、1965年10月27日 - )は、日本の倫理学者。京都女子大学教授。 もともとキェルケゴールをはじめとした実存主義や19世紀の哲学を研究していたが、現在では応用哲学、応用倫理学(パーソン論、生命倫理学、セックスの哲学など)の諸テーマも研究対象としている。
岸 善幸(きし よしゆき、1964年(昭和39年)- )は日… 岸 善幸(きし よしゆき、1964年(昭和39年)- )は日本の演出家、テレビプロデューサー、映画監督。山形県最上町出身。 山形県立新庄北高等学校を経て早稲田大学教育学部に入学。シナリオ研究会に入部して映画製作に没頭する。 1987年(昭和62年)大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。同期に是枝裕和がいる。日本テレビ『アメリカ横断ウルトラクイズ』のスタッフなどを務め、毎日放送『世界ウルルン滞在記』の原型となった『地球ZIGZAG』において企画・発案を担い、演出デビューを果たす[要出典]。 このほか、フジテレビ『NONFIX』では是枝らと共に番組のコンセプトワークに貢献。毎日放送『情熱大陸』でもコンセプトワークに関わる[要出典]。
小林 武史(こばやし たけし、1959年〈昭和34年〉6月7… 小林 武史(こばやし たけし、1959年〈昭和34年〉6月7日 - )は、日本の音楽プロデューサー・ソングライター・編曲家・キーボーディスト。烏龍舎代表取締役社長。ap bank代表理事。日本音楽制作者連盟理事。 Bank Band、Reborn-Art Session、YEN TOWN BAND、Lily Chou-Chou、BRADBERRY ORCHESTRAのメンバー。また、My Little Loverの元メンバー。 サザンオールスターズやMr.Childrenを手がけ、日本の音楽業界を代表するプロデューサーとして広く知られている。 5歳からクラシックピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った。
武田 晃(たけだ あきら、1957年(昭和32年)5月 - … 武田 晃(たけだ あきら、1957年(昭和32年)5月 - )は、日本のトランペット奏者、指揮者。元陸上自衛官。2019年(令和元年)6月現在、武蔵野音楽大学および尚美ミュージックカレッジ専門学校非常勤講師。 山形県出身。山形県立新庄北高等学校を経て、1980年 武蔵野音楽大学卒業(トランペット専攻)。同年、陸上自衛隊に音楽科幹部要員として入隊し、陸上自衛隊のセントラルバンドである陸上自衛隊中央音楽隊に配属される。以後、同隊において演奏班長、教育科長などを務めるとともに、第2混成団音楽隊、第1音楽隊、東北方面音楽隊の隊長を歴任。2007年に中央音楽隊長に就任し、2017年に退官するまで務めた。 2019年6月現在、日本吹奏楽指導者協会会員、日本スーザ協会会長、21世紀の吹奏楽“響宴”実行委員会会員、アメリカン・バンドマスターズ協会名誉会員。
山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月3… 山尾 順紀(やまお じゅんき、1952年(昭和27年)8月30日 - )は、日本の政治家、僧侶。元山形県新庄市長(4期)、元新庄市議会議員(2期)。 山形県新庄市の真言宗智山派の円満寺に生まれる。新庄市立沼田小学校、新庄市立明倫中学校、山形県立新庄北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、大正大学仏教学部卒業。同年4月、新庄市役所に入庁。1998年(平成10年)12月31日、同市役所を退職。 1999年(平成11年)5月、新庄市議会議員に就任。2003年(平成15年)、再選。同年12月、円満寺の住職となる。 2007年(平成19年)8月9日、新庄市長の高橋榮一郎が膵腫瘍のため任期中に死去。これに伴って9月30日に行われた市長選挙に出馬し、前副市長の八鍬長一を破り初当選を果たした(山尾:12,460票、八鍬:10,491票)。
柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は… 柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は、山形県新庄市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名:高山 安彦。出囃子:『御所のお庭』。紋:『羽団扇』。 落語家になる前は信用金庫に勤めていた。 1973年4月に十代目柳家小三治に入門し、一番弟子となる。前座名は「小りた」。初高座は1974年11月2日、上高田寄席で「道灌」。 1978年9月、古今亭菊弥、林家正雀、立川談之助と共に二ツ目昇進、「〆治」と改名。 1987年3月に金原亭馬治、古今亭菊龍、菊弥改め古今亭志ん彌と共に真打昇進。
新田 孝彦(にった たかひこ、1951年 - )は、日本の倫… 新田 孝彦(にった たかひこ、1951年 - )は、日本の倫理学者。北海道大学大学院文学研究科教授。カント倫理学を主な研究対象としている。応用倫理学研究も行っており、北海道大学に設置された応用倫理研究教育センター長を務める。 山形県生まれ。山形県立新庄北高等学校卒業後、北海道大学文学部入学。在学中、イマヌエル・カント研究者として知られる宇都宮芳明の薫陶を受ける。1977年、同大学大学院文学研究科(哲学専攻)博士後期課程中退。愛知県立大学文学部講師などを経て現職。1994年 北海道大学博士(文学)。論文の題は「カントと自由の問題」。 1986年10月から1987年3月、および1999年12月から2000年8月の間、ミュンヘン大学にて在外研究を行う。
ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師… ビートきよし(1949年12月31日 - )は、日本の漫才師、お笑い芸人、コメディアン、俳優。本名、兼子 二郎(かねこ にろう)。旧芸名は松鶴家二郎、空きよし、兼子きよし、ビートキヨシ。 漫才ブーム(MANZAIブーム)全盛時から現在まで活動を続ける人気漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役であり、たけしの毒舌に対するツッコミの「よしなさい!」は流行語になり、今も世間で使われている。神奈川県横浜市在住。 ボケ役である相方のビートたけし(北野武)のことは親しみを込めて相方と呼ぶ。かつてはダテ企画の所属だったが、2014年4月から相方の所属のオフィス北野所属となった。しかし相方の独立に伴い、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになった。
元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1… 元木 洋介(もとき ようすけ、1948年〈昭和23年〉4月1日 - )は日本の政治家。元山形県最上郡鮭川村長(5期)。 新庄北高等学校農業科卒業。鮭川村商工会長や全国商工会青年部連合会副会長を歴任。1999年に鮭川村議会議員に初当選し、鮭川村議会総務常任委員長などを務めた。 2006年(平成18年)に鮭川村長に初当選、平成22年に再選、平成26年に三選、平成30年に四選、令和4年に五選。 2026年(令和8年)3月22日投開票の鮭川村村長で、元村役場職員かつ元村議会議員の西野桂一と一騎打ちとなり、落選した。 ※当日有権者数:3,112人 最終投票率:79.98%(前回比:-0.46pts)
岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 … 岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 - 2017年(平成29年)10月16日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期) 。位階は従三位。旭日重光章。 参議院厚生労働委員長・政治開発援助等に関する特別委員長・予算委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、山形県最上郡金山町長(7期)、金山町議会議員(1期)を務めた。 山形県最上郡金山町の山林地主である岸家の一族に生まれる。1964年に早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業後、金山中学校助教諭や町教育委員会の事務嘱託を務めた。 1967年(昭和42年)、故郷・金山町の町議会議員に初当選する。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日… 菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日本の俳優・タレント。宮崎県出身。所属事務所はGMBプロダクション。シニアタレントとして数多くのテレビ番組・CM・プロモーションビデオなどに出演。身長155cm。かつては麗タレントプロモーション、ジンズ・キャストに所属していた。 CM制作会社太陽企画株式会社にて清掃員として勤務。職務中に個性的なキャラクターが某ディレクターの目に留まり、2001年にマツモトキヨシのCMに出演が決まる。70歳でのデビューであった。 2005年より『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に「ピカデリー梅田」として準レギュラー出演していたことで知られる(初登場は次長課長河本準一の七変化コーナー。
伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年… 伊藤 茂(いとう しげる、1928年3月2日 - 2016年9月11日)は、日本の政治家。 運輸大臣(第67代)、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第12代)、社会民主党副党首、同幹事長、同政策審議会長を歴任した。 山形県最上郡舟形町出身。舟形小学校、新荘中(現:山形県立新庄北高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍(久保亘、高沢寅男、奥田敬和らと同期)。復員し旧制山形高等学校を経て、1952年東京大学経済学部経済学科を卒業。大学在学中に日本社会党に入党し、恩師大内力東大教授の勧めにより党本部に勤務する。社会党本部職員時代は安保改定阻止国民会議事務局次長、党中央執行委員、国民運動局長を歴任。
近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉… 近岡 理一郎(ちかおか りいちろう、1926年〈大正15年〉9月7日 - 2016年〈平成26年〉6月8日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 山形県最上郡真室川村(現・真室川町)の造り酒屋に生まれ、1944年3月6日に陸軍士官学校入校(第60期)。 戦後は県議だった父・理吉、貴族院多額納税者議員・県議だった伯父・近岡理三郎の影響もあり、31歳で真室川町議となる。1959年に山形県議会議員に当選。以後6期連続で当選し、在職中には県議会議長も務めた。 1980年6月22日、松沢雄蔵の後継として第36回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、初当選した。以後第42回衆議院議員総選挙まで7期連続当選した。
庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月… 庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月6日 - 2015年〈平成27年〉9月15日)は、日本の俳優。本名:庄司 永建(しょうじ ながたけ)。娘はフリーアナウンサーの庄司麻由里。 山形県出身。上智大学卒業。 1948年(昭和23年)、民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入り、俳優デビュー。1970年(昭和45年)に民藝を退団してフリーとなる。プロダクションエムスリーを経て、希楽星に所属していた。 日活時代に3度共演した石原裕次郎の信任が厚く、『西部警察』での捜査係長・二宮武士警部補役が当たり役となる。 晩年は俳優業以外にも山形の民話の語り部として、故郷で毎年民話を伝承していた。
近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8… 近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8月10日 - 2007年(平成19年)6月3日)は、日本の洋画家。 1914年(大正3年)山形県新庄市に生まれる。1931年(昭和6年)山形県立新荘中学校(現・山形県立新庄北高等学校)を卒業。1933年(昭和8年)文化学院美術部にて、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎に学ぶ。1946年(昭和21年)一水会優賞を受賞。1956年(昭和31年)文部省留学生として渡欧した後、帰国。1960年(昭和35年)一水会会員となる。1961年(昭和36年)太平洋地域絵画展に日本代表として出品(「飛びの森の天狗」)。1963年(昭和38年)第6回安井賞受賞。
白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3… 白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉5月29日)は、山形県出身の日本の武道(合気道)家、 合気道開祖・植芝盛平の高弟。 1912年(明治45年)山形県に生まれる。旧制・新荘中学(現・新庄北高校)では柔道部の大将を務めていた。 1931年(昭和6年)の暮れ上京。父親が大本の信者だった縁で、植芝盛平(守高)の開設間もない皇武館道場に入門、内弟子となる(19歳)。当時の写真によると太い首とがっちりした肩幅を持つ偉丈夫である。米俵(一俵=60kg)を両手に一つずつ持ち、拍子木のように打ち付けることが出来たという話もある。素性の分からない道場破りが来ると必ず白田が応対し、相手を徹底的にたたき伏せるのが常であったという。
斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月… 斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月15日 - 1968年(昭和43年)8月30日)は、昭和時代の労働運動家、労働評論家。 北海道長万部町生まれ。1930年山形県立新庄中学校(現山形県立新庄北高等学校)卒業。 1931年秋田で農民運動に参加。1932年全農全国会議秋田地方委員会を組織、日本共産党に入党。同年11月に治安維持法違反で検挙されて懲役5年の判決を受け、1939年に出獄。 敗戦後の1945年、共産党に再入党。1946年の結成時から産別会議の書記となり、党フラクションの責任者として労働運動を指導。1947年の二・一スト挫折の渦中に立つ。 1949年に労働組合政策をめぐって党中央と対立し、産別会議を離れ、共産党東京都委員に就任。
松沢 雄蔵(松澤 雄藏、まつざわ ゆうぞう、1910年12月… 松沢 雄蔵(松澤 雄藏、まつざわ ゆうぞう、1910年12月3日 - 1983年6月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(9期)、第39代行政管理庁長官。真室川村村長。1981年勲一等旭日大綬章。1983年正三位。 山形県最上郡真室川村(現在の真室川町)に、300年以上続く庄屋の三男として生まれる。旧制新荘中学校(現在の山形県立新庄北高等学校)を経て、満蒙学校本科を卒業。1935年南満州鉄道の系列会社である同和自動車工業に入社、1940年に昭和通商に転じる。1941年より同社の支那代表部に勤務、大戦中は中国大陸で過ごした。 戦後の1947年、真室川村長に当選。当時は豪雨による河川の氾濫が相次ぎ、水害克服のため奮闘、県庁や中央官庁にも度々陳情を行った。
高橋 喜一郎(たかはし きいちろう、1909年(明治42年)… 高橋 喜一郎(たかはし きいちろう、1909年(明治42年)10月31日 - 2001年(平成13年)9月16日)は、日本の政治家。山形県新庄市長(5期) 。位階は正五位。 山形県最上郡新庄町(現・新庄市)出身。1927年、山形県立新荘中学校(現・山形県立新庄北高等学校)卒。1947年、新庄町議会議員に当選。1949年、新庄町の市制施行により、新庄市議会議員となる。市議会議長を2期務めた。1965年、新庄市長に当選する。3期務めた後、1977年に落選。4年後の1981年に市長に返り咲き、2期務め、1989年に退任した。ほか、新庄体育協会、新庄市社会福祉協議会各会長、山形県体育協会理事を歴任した。
佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 199… 佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、日本の映画監督。法政大学本科国文科中退後、松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。 1908年、秋田県平鹿郡沼館村(のち雄物川町、現・横手市)沼館の大地主の家に生まれる。山形県立新荘中学校時代に映画に興味を持ち、1929年法政大学在学中に清水宏の助監督として松竹に入社。清水の盟友の小津安二郎組に移り、1931年助監督の身分のまま『受難の青春』で監督デビュー。
服部 敬雄(はっとり よしお、1899年(明治32年)12月… 服部 敬雄(はっとり よしお、1899年(明治32年)12月10日 - 1991年(平成3年)3月14日)は日本の実業家。山形県山形市出身。 父は山形新聞社長の服部敬吉(旧新発田藩士湯浅保之進の子で、現在の新潟県新発田市出身。山形人の服部茂の養子となる。1872年2月〜1952年12月1日)。山形県立新庄中学校を経て早稲田大学政経学部経済科卒業後、同大学大学院へ進学する。在学中は早稲田大学新聞発刊に関わっている。卒業後、朝日新聞社記者を経て、1928年(昭和3年)に父が社長を務める山形新聞の専務取締役として迎えられる。山形新聞は戦時下、県内の中小他紙を吸収合併し県内随一の報道機関に成長する。また、父敬吉と戦時下に進められた県内交通会社の合併の裁定をし、山形交通(現・山交バス)と庄内交通の2社にまとめた。
寺岡 謹平(てらおか きんぺい、1891年3月13日 - 1… 寺岡 謹平(てらおか きんぺい、1891年3月13日 - 1984年5月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 1891年(明治24年)3月13日、山形県東田川郡羽黒町手向(現・鶴岡市)で小学校長・寺岡義秀の二男として生れる。新庄中学校を経て、1912年(明治45年)7月に海軍兵学校(40期)を卒業、少尉候補生となる。 1913年(大正2年)12月、海軍少尉任官。1915年(大正4年)12月、中尉に昇進。1918年12月、大尉に昇進。1919年(大正8年)12月、海軍水雷学校高等科を卒業し、第二艇隊艇長に就任。1920年(大正9年)8月、檜 (桃型駆逐艦)に乗組。1921年(大正10年)6月、菱 (樅型駆逐艦)に乗組。
鈴木 義尾(すずき よしお、1890年(明治23年)11月1… 鈴木 義尾(すずき よしお、1890年(明治23年)11月15日 - 1944年(昭和19年)11月21日)は、日本の海軍軍人。海軍中将。前名は義雄。主な軍歴を第二艦隊に歩み、太平洋戦争において軍令部第二部長、第三戦隊司令官を歴任。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦し、台湾沖で乗艦「金剛」 の沈没時に戦死した。 山形県出身。新庄中学を経て、海軍兵学校40期を卒業。席次は144名中29番。鈴木は海軍大学校航海学生を修了した航海科専攻士官で、重巡洋艦「加古」など4艦の航海長を務めた。 大尉で第一艦隊参謀を務め海大甲種23期を修了。高木武雄、角田覚治、田結穣らが同期生である。中佐時代は欧米出張を経て、日本海軍の前進部隊である第二艦隊の参謀に就任。
永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7… 永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7月30日 - 1967年(昭和42年)12月22日)は、日本の政治家。元山形県議会議員、元上山市議会議長。
清水 鉱治(しみず こうじ、1886年 - 1925年2月2… 清水 鉱治(しみず こうじ、1886年 - 1925年2月25日)は、日本ホーリネス教会の牧師である。離島伝道に従事した。 山形県最上郡豊田村(現・鮭川村豊田)に沓澤家の次男として生まれる。新庄中学(現・山形県立新庄北高等学校)在学時代に、新庄ホーリネス教会清水俊蔵によりキリスト教に入信する。 新庄中学校卒業後に献身し、聖書学院に入学する。また、清水俊蔵の婿養子となる。1912年に妻が死去してから、伊東同盟教会(日本同盟基督教団伊東教会)で伝道する。1914年5月には新島同盟教会(日本同盟基督教団新島教会)に赴任する。 1925年に肺結核のために杉並救世軍病院で死去する。 辞世の歌は「教のため身はすて小舟かへりみで、この荒磯に朽ちはてんとぞ思ふ。
阿部 美佳(あべ みか)は、日本の脚本家。山形県尾花沢市出身… 阿部 美佳(あべ みか)は、日本の脚本家。山形県尾花沢市出身。
古瀬 絵理 は、日本のフリーアナウンサー。元NHK山形放送局… 古瀬 絵理 は、日本のフリーアナウンサー。元NHK山形放送局キャスターで、オフィス・トゥー・ワン所属を経て、ライトハウスと業務提携。「スイカップ」の愛称でグラビアモデルとしても活動している。