岡部 陽子(おかべ ようこ、1966年〈昭和41年〉7月6日… 岡部 陽子(おかべ ようこ、1966年〈昭和41年〉7月6日 - )は、日本の書家。山形県鶴岡市出身。雅号は朗響。現代書道研究所教育部師範。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山形県:6人
岡部 陽子(おかべ ようこ、1966年〈昭和41年〉7月6日… 岡部 陽子(おかべ ようこ、1966年〈昭和41年〉7月6日 - )は、日本の書家。山形県鶴岡市出身。雅号は朗響。現代書道研究所教育部師範。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2… 國井 誠海(くにい せいかい、1917年〈大正6年〉 - 2009年〈平成21年〉12月27日)は日本の書家。現代書を開拓した巨匠で、産経国際書展を設立し、産経国際書会の副理事長や最高顧問など歴任した。作品は米国ニューヨーク近代美術館(MOMA)や文部省、伊勢神宮などにも収められている。 山形県生まれ、1935年(昭和10年)山形市立山形商業学校(現・山形市立商業高等学校)卒業、地域電力会社(現・東北電力)に勤務。1940年文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験(文検)に合格。鈴木翠軒に師事した。 太平洋戦争後に生まれた「現代書」の開拓者で、1970年代からフランスパリ、アメリカニューヨークやロサンゼルスなど海外でも個展を開くなど、国内外で書をアートとして広める活躍で、「現代書のパイオニア」と称された。
酒井 忠良(さかい ただなが、1888年〈明治21年〉9月2… 酒井 忠良(さかい ただなが、1888年〈明治21年〉9月22日 - 1962年〈昭和37年〉2月12日)は、日本の華族、詩人、歌人、書家。位階爵位は正三位伯爵。財団法人致道博物館の創設者。 庄内藩11代藩主だった華族の酒井忠篤伯爵の次男で、最後の藩主酒井忠宝(忠篤の弟)の養子にあたる。幼名は小五郎。1915年(大正4年)の忠篤の死去に伴い、酒井佐衛門尉家20代当主となるとともに、2代伯爵位を襲爵した。富裕な華族で、山形県の多額納税者だった。1947年(昭和22年)8月15日、昭和天皇が戦後巡幸した際には、鶴岡市内の邸宅が御泊所となった。 1950年(昭和25年)、地域振興のため所有する庄内藩主御隠殿及び藩校致道館資料を財団法人以文会(現:致道博物館)を設立の上で寄付。
松平 穆堂(まつだいら ぼくどう、1884年(明治17年)1… 松平 穆堂(まつだいら ぼくどう、1884年(明治17年)10月22日 - 1962年(昭和37年)10月15日)は、日本の書家。以文会(現・致道博物館)理事、松平武右衛門家10代当主。黒崎研堂門下では吉田苞竹と双璧をなした。 1884年(明治17年)10月22日、塚原権平の子として、山形県東田川郡松ヶ岡(現・鶴岡市羽黒町)に生まれる。松平武右衛門家9代当主・松平久彰の養子となる。その後、黒崎研堂の門下生となり、書と詩を学ぶ。 1907年(明治40年)山形師範学校を卒業し、最上郡鮭川村小学校に勤務。1908年(明治41年)教員試験に合格し中等教員習字科の免許を取得する。1912年(明治45年)酒田高等女学校(現・山形県立酒田西高等学校)教諭。
宮島 詠士(みやじま えいし、慶応3年10月20日(1867… 宮島 詠士(みやじま えいし、慶応3年10月20日(1867年11月15日) - 昭和18年(1943年)7月9日)は、明治から昭和前期にかけて活躍した能書家、教育家(中国語)。山形県米沢の出身。名は吉美、通称は大八(だいはち)、詠士は字で、号に詠而帰廬主人がある。 詠士は明治37年(1904年)に中国語の教科書『官話急就篇』を刊行し、中国語の私塾・善隣書院を創設して生涯その経営にあたるなど、戦前の中国語教育に大きな足跡を残した。また書家としても著名で、代表作『犬養公之碑』は日本書道史に異彩を放つ楷書碑として尊い。書の門弟に上條信山、藤本竹香がいる。 国立国会図書館 憲政資料室所蔵『宮島誠一郎関係文書』、早稲田大学図書館所蔵『宮島誠一郎文書』、神戸大学附属図書館所蔵『宮島家文書』には一部大八関係の資料が収められている。
黒崎 研堂(くろさき けんどう、嘉永5年2月15日(1852… 黒崎 研堂(くろさき けんどう、嘉永5年2月15日(1852年3月5日) - 昭和3年(1928年)1月16日)は、江戸時代から昭和時代にかけての書家。庄内藩士。鶴岡町会議員、金融機関済急社社長(第3代)、松ヶ岡開墾場総監督。出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)出身。別名は与八郎、馨、聚、敬治、子芳、東瀛。 庄内藩家老・酒井了明の3男として生まれ、後に黒崎友信の養子となる。 藩校致道館で学び、戊辰戦争の際には農兵小隊長として出陣。1870年には酒井忠篤に従い、鹿児島に赴き練兵を学ぶ。帰郷後、松ヶ岡開墾場の経営に従事。この間に黒崎たき(14歳)と結婚した。 研堂は幼き頃から書をよくし、1886年に斯界の第一人者であった日下部鳴鶴が鶴岡を来訪した際に入門した。