徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は… 徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は、山形県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長は167cm。 明倫中学から羽黒高校へ進むと、2年の時に高校選手権78kg超級の決勝で土浦日大高校2年の塚田真希に敗れて2位だった。2000年にはコマツの所属となると、2001年の実業個人選手権では決勝でダイコロの柳花美鈴を破って優勝を飾った。2002年の実業個人選手権では決勝でミキハウスの木屋好絵に敗れて2連覇はならなかったが、全国女子体重別では決勝で大阪府警の山本恵を破って優勝を果たした。2003年の体重別では東海大学4年の塚田に敗れるも2位となった。アジア選手権では3位になった。
飛塚 雅俊(とびつか まさとし、1977年6月25日 - )… 飛塚 雅俊(とびつか まさとし、1977年6月25日 - )は、90kg級の柔道家。身長184cm。得意技は大外刈、小外刈
伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 197… 伊藤 四男(いとう かずお、1898年11月8日 - 1974年3月20日)は日本の柔道家(講道館9段・国際武道院(英語版)名人10段)。 戦後、講道館の中で東京高師閥と共に興盛を誇った三船久蔵閥の主力人物であり、警視庁や日本体育大学、東洋大学等で柔道師範を務めた。その後北米や欧州各国で柔道指導を行い、柔道の国際的発展にも貢献している。 晩年は講道館の9段位に列せられたほか、国際武道院を主宰して師の三船に次ぐ名人10段位を名乗った。 山形県新庄市下金沢町の伊藤家に四男(よんなん)として出生し、警察官を退官後に町役場吏員を務める父・一から柔道の手解きを受けた。後の市立日新小学校を卒業後は1913年に旧制佐世保中学校(後の長崎県立佐世保北高校および同南高校)に入学して柔道を修行、その後は佐世保の海兵隊に進んで同隊在籍中の1920年4月に講道館へ入門した。
尾形 源治(おがた げんじ、1892年9月9日 - 1978… 尾形 源治(おがた げんじ、1892年9月9日 - 1978年8月6日)は日本の柔道家(講道館9段)。 京都武専や講道館で修業したのち選手として昭和天覧試合や全日本選士権大会等で活躍する一方、指導者としては大日本武徳会や三重県警察部を経て生まれ故郷の山形に道場を構え多くの門人をの育成に当たり、山形柔道界の大家と知られた。 山形県山形市は宮町3丁目の生まれ。山形第三小学校高等科2年の頃、叔父が柔術の先生をしているという小柄な友人西村辨蔵が休み時間に体操場で五六人を前に見様見真似で大柄な友人三沢栄助に後ろから両手で抱き着かせたのを外し投技を仕掛けたところ、大きい体が風車の様に飛んで地響きをうって転倒し目を廻しながら気絶してしまい友人一同びっくり仰天。
阿部 新二(あべ しんじ)は、山形県出身の日本の柔道家。階級… 阿部 新二(あべ しんじ)は、山形県出身の日本の柔道家。階級は65kg級。 加茂水産高校3年の時にインターハイの軽量級決勝で宇土高校の林田祐司を破って優勝した。新人体重別では3位だった。 日本大学1年の時には全日本学生選手権の軽量級で3位となった。2年の時には全日本学生選手権の軽量級で2位にとどまったものの、新人体重別の65kg級では東海大学の原口謙一を破って優勝した。3年の時には講道館杯の65kg級で3位となった。全日本学生選手権ではまたも2位だったが、リオデジャネイロで開催された世界学生では決勝で韓国の選手を破って優勝を飾った。ハンガリー国際とチェコ国際でも優勝した。4年の時には講道館杯と体重別でそれぞれ3位に入った。