玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - … 玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - )は、日本の小説家、臨済宗の僧侶。福島県在住。東日本大震災復興構想会議委員。 福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の長男として生まれる。カトリック系の三春幼稚園、地元の小中学校を経て福島県立安積高等学校卒業。この間モルモン教、統一教会、天理教などに触れる。小学校3年の頃、いずれ来たるべき「死」を想って毎晩のように泣いた。また中学3年で罹った日本脳炎のため、3日間の昏睡状態を経験。意識不明中の妄想の記憶と、あとで聞かされた行動などから、あらためて「死」について考えた。高校時代は毎年家出。高三のとき出逢った哲学者星清から後の出家への動機付けを得た。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、190… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、1902年〈明治35年〉3月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。 衆議院議員。農林大臣(第12・14・16代)、行政管理庁長官(第6代)、自由党総務会長・幹事長、民主自由党幹事長、財団法人青葉学園理事長、青葉学園短期大学初代学長を歴任した。位階・勲等は正三位勲一等瑞宝章。 福島県石川郡玉川村生まれ。生家は曹洞宗の寺院大安寺。苦学し曹洞宗大学(後の駒澤大学)仏教学部中退。当時広川は、藤田俊訓らと共に同大学の単科大学昇格運動に積極的に参加していたため「風紀を乱す」として大学に目をつけられており、退学理由についても「当時の学長である忽滑谷快天の怒りを買った」ためとする説がある。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。農林大臣、国務大臣行政管理庁長官、日本自由党総務会長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。
箱崎 文應(はこざき ぶんおう、1892年(明治25年)4月… 箱崎 文應(はこざき ぶんおう、1892年(明治25年)4月7日 - 1990年(平成2年)2月6日 )は、天台宗の僧侶。比叡山延暦寺の千日回峰行を戦前満行した行者として知られる。天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。 福島県石城郡小名浜町(現・いわき市)に生まれる。出生時の名は箱崎作。 1930年、海難事故に遭い遭難者の菩提を願い比叡山に入る。翌年、大乗院住職、小森文諦の門弟となり、文応を名乗る。 四度加行の満行(1932年)、入壇灌頂履修(1933年)を経て、1934年より回峰修行に入る。1938年10月25日より11月2日の間、断食・断水・不眠・不臥の堂入修行をおこなった。