秋月 直道(あきづき なおみち、1949年 - )は、日本の… 秋月 直道(あきづき なおみち、1949年 - )は、日本の建築家。会津若松市の建築家として、一級建築士事務所桃李社を主宰。日本建築学会、福島県建築士会会員。日本建築家協会登録建築家。福島県会津若松市生まれ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
古市 徹雄(ふるいち てつお、1948年8月11日 - 20… 古市 徹雄(ふるいち てつお、1948年8月11日 - 2019年11月11日)は日本の建築家、都市計画家。福島県出身。 丹下健三事務所時代はアフリカ・ナイジェリアの新首都アブジャ計画で現地に3年滞在し、フランス・カンヌやイタリアのボローニャ計画でローマに滞在し、中近東のサウヂ・アラビアやカタール滞在し、東南アジアに滞在し、東京都新都庁舎プロジェクトでは中心的な役割を果たす。11年の勤務後、独立した。主に公共建築を中心に幅広く設計活動をした。1995年、日本建築家協会JIA新人賞を受賞した。2004年、2005年と連続で日本建築学会選奨を受賞した。長崎県佐世保市の浄土宗九品寺計画でアメリカ建築家協会AIA「Business Week/Architectural Record Award」を受賞した。
大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 201… 大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 2010年8月20日)は日本の建築家、都市計画家。福島県三春町出身。 福島県三春町に生まれる。祖父が三春藩士で河野広中をリーダーに自由民権運動の激しい戦いに身を投じ、苦難の境涯に屈することはなかったが、運動はもはやこれまでと自ら命を絶ったとされ、大高の父は、これを隠して弾圧を逃れる生活を送り、大高の生後間もなく福島市近郊に移った。 1940年旧制福島県立福島中学校(現福島県立福島高等学校)卒業。在学中器械体操部のマネージャーと美術部部長をつとめる。このころや少年時代のもっとも楽しかった想い出は、風景を水彩で写生したことだという。 41年旧制浦和高等学校理科入学。
遠藤 新(えんどう あらた、1889年6月1日 - 1951… 遠藤 新(えんどう あらた、1889年6月1日 - 1951年6月29日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った。 1889年、福島県宇多郡福田村(現:相馬郡新地町)に生まれる。相馬中学校、第二高等学校を経て東京帝国大学建築学科卒業。卒業の翌年には、建築界の大御所だった辰野金吾設計による東京駅建築の批判を発表した。明治神宮の建設に関わった後、1917年、帝国ホテルの設計を引き受けたライトの建築設計事務所に勤務。1919年にライトとともに渡米、翌年帰国、1921年までを帝国ホテル設計・監督中のライトの助手として働く。翌1922年、建築事務所を開設。
長郷 泰輔(ちょうごう たいすけ/なごう たいすけ/ながさと… 長郷 泰輔(ちょうごう たいすけ/なごう たいすけ/ながさと やすすけ、1849年2月11日(嘉永2年1月19日)- 1911年(明治44年)7月15日)は、明治時代に活動した日本の建築家。ニコライ堂の建設で知られる。 陸奥国会津郡(現・福島県会津若松市)に生まれる。父は会津藩士の長郷佐平で、その三男だった。戊辰戦争に従軍後、敗戦により函館に移り、そこでイギリス領事の知遇を得る。 明治4年2月(1871年3月 - 4月)に上京。上京翌年の1872年(明治5年)には、長郷(当時は古田姓を名乗る)は、ロシア正教会大主教・ニコライ・カサートキンに従者として仕え、正教を受洗して「イリヤ」の洗礼名を授かっていた。
水越 美枝子(みずこし みえこ)は、日本の一級建築士、建築家… 水越 美枝子(みずこし みえこ)は、日本の一級建築士、建築家、インテリアコーディネーター。一級建築士事務所「アトリエサラ」共同主宰。日本女子大学非常勤講師、NHK文化センター講師。 住宅の設計からインテリア、収納計画までを統合した住まいづくりの提案を専門とし、これまでに11冊(改訂版含む)の著作を上梓している。 茨城県生まれ。福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業。 1982年、日本女子大学家政学部住居学科を卒業後、清水建設に入社。商業施設やマンションの設計業務に従事した。1991年から1997年までタイのバンコクに滞在し、現地の住宅設計やインテリアデザインに従事。現地でのインテリア講座開催やジム・トンプソン博物館のガイド活動などを行った。