吉田 悦章(よしだ えつあき、1971年 - )は日本の銀行… 吉田 悦章(よしだ えつあき、1971年 - )は日本の銀行家、地域研究博士。イスラム金融の第一人者。ウズベキスタン共和国情報通信省副大臣を経て、同志社大学大学院ビジネス研究科教授。 神奈川県生まれ。群馬県立太田高等学校を経て、1995年一橋大学商学部卒業、日本銀行入行。大学在学中1993年から1994年までハーバード大学に留学し経済学を専攻。日本銀行で国際金融市場分析等を担当したのち、2007年から国際協力銀行アフリカ室兼中東担当調査役を務め、イスラム金融等を担当。 国際協力銀行外国審査部参事役、同部第3ユニット長等を務める傍ら、2008年から早稲田大学ファイナンス研究センター客員准教授、2015年から京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科グローバル地域研究専攻特任准教授。
深井 彰彦(ふかい あきひこ、1960年〈昭和35年〉11月… 深井 彰彦(ふかい あきひこ、1960年〈昭和35年〉11月3日 - )は、日本の銀行家。群馬銀行頭取を務める。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校(78期)を経て、1984年(昭和59年)に早稲田大学政治経済学部を卒業し、4月に群馬銀行に入行。 初配属は東京支店。1990年には銀行の留学制度を利用してスタンフォード大学のビジネススクールに留学し、92年に経営学修士(MBA)を取得。その際のクラスに冨山和彦(経営共創基盤創業者)がいた。ニューヨーク支店で5年4か月勤務したのち、総合企画部でリスク管理や中期経営計画の策定といった業務に携わり、企画畑が長い。大阪支店長、桐生支店長、太田支店長、常務、専務を歴任。
小山 五郎(こやま ごろう、1909年〈明治42年〉3月25… 小山 五郎(こやま ごろう、1909年〈明治42年〉3月25日 - 2006年〈平成18年〉3月2日)は、日本の銀行家。三井銀行(現:三井住友銀行)の社長、会長を歴任した。位階は従三位。 群馬県新田郡鳥之郷村(現・太田市)に、大島戸一の五男として生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1932年(昭和7年)に東京帝国大学経済学部卒業。三井銀行に入行。 三井銀行では数寄屋橋丸の内支店長などを経て1955年(昭和30年)総務部長、さらに1959年(昭和34年)取締役となり東京支店長に就任。1961年(昭和36年)大阪支店長を兼任して大阪事務所長委嘱、1963年(昭和38年)常務取締役となる。
秋元 順朝(あきもと なおとも、1905年3月13日 - 1… 秋元 順朝(あきもと なおとも、1905年3月13日 - 1967年9月18日)は、日本の経営者、銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。群馬県館林市出身。 秋元春朝子爵の長男として生まれる。1928年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に高文行政科に合格し、1929年には大蔵省に入省。 1932年に茨木税務署長、大阪税務監督局管内茨木税務署所轄内相続税審査委員。1933年に淀川税務署長、大阪税務監督局轄内淀川税務署所轄内相続税審査委員。1934年に北税務署長、大阪税務監督局管内北税務署所轄内相続税審査委員。 1940年に関税等不服審査会幹事、阿片委員会幹事、台湾関税等不服審査会委員、不当廉売委員会幹事。
赤石 二郎(あかし じろう、1892年4月22日 - 197… 赤石 二郎(あかし じろう、1892年4月22日 - 1977年3月27日)は、日本の経営者、銀行家。群馬県前橋市出身。 1919年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に加島銀行に入行。1929年に野村銀行に転じ、1938年に庶民金庫理事を経て、1948年に近畿無尽社長に就任。1963年に会長を経て、1967年4月には相談役に退いた。 1958年に黄綬褒章を受章し、1965年に勲四等瑞宝章を受章。 1977年3月27日心不全のために死去。84歳没。
二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7… 二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7月4日〈1856年8月4日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月12日)は、日本の政治家、銀行家、名望家、群馬県多額納税者、地主。群馬県新田郡太田町長(初代)。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)出身。質店を営んだ初代澁澤金蔵の長男で、1887年に父から家政を譲られた。前名を直次郎と呼び1889年、家督を相続して二代目金蔵を襲名した。 商業、金銭貸付業を営んだ。上毛実業銀行顧問、上野銀行、新田銀行各取締役、群馬商業銀行監査役などをつとめた。 町村制実施と同時に太田町初代町長となり、太田消防組第一回の組頭として以来町政に貢献し、また町議として活動した。
左右田 金作(そうだ きんさく、1849年11月23日(嘉永… 左右田 金作(そうだ きんさく、1849年11月23日(嘉永2年10月9日) - 1915年(大正4年)3月26日)は、幕末から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。開港した横浜で両替商を始めて成功し、銀行を興した。 越後の豪農を祖とする左右田金兵衛の二男として、上野国緑野郡鬼石村(群馬県緑野郡鬼石町、多野郡鬼石町を経て現藤岡市鬼石)に生まれる。左右田信二郎の義兄。1872年(明治5年)1月、分家する。 高崎の染絹問屋、鬼石の酒造業者などで奉公したのち、1863年(文久3年)13歳の時、横浜に移り、蚕糸商中里商店で働いたが製糸家を目指して帰郷するも種紙の製造に失敗し、再び横浜に出て、空びん回収や露天商で糊口をしのぐうち、衣類の質入れで作った金で1867年に両替商(ドル屋)「松野屋」を開く。
江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1… 江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1848年10月8日〉 - 1928年〈昭和3年〉2月19日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員、群馬県会議員、群馬銀行頭取。幼名は治三郎。 江原家は元々上野国勢多郡河原浜村(現・群馬県前橋市河原浜町)の出で、江戸時代の前半に前橋へ出て米穀商を営み、その2・3代後から醤油醸造業を始めたという。江原家が富豪となったのは芳平の父芳右衛門が横浜開港に伴い生糸業を始めたことによるという。 芳平は上野国群馬郡前橋新町(群馬県東群馬郡前橋町字新町を経て現前橋市)出身。「穀芳」として知られた江原芳右衛門の三男として生まれる。
小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843… 小暮 英三郎(こぐれ えいざぶろう、天保14年9月〈1843年〉 - 1926年〈大正15年〉1月24日)は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。号・梅園。 小暮清之、房子の長男として上野国佐位郡太田村(佐波郡三郷村を経て現伊勢崎市)に生まれる。矢野正任、市川左近に儒学を、尾高高雅、海上胤平に国学を学ぶ。1871年(明治4年)旧伊勢崎藩主の酒井忠彰により副戸長を、同年8月には伊勢崎県庁より太田村正心学校頭取を命じられた。1874年(明治7年)伊勢崎町製糸共研究会頭取となり、訓導を経て、群馬県会議員、所得税調査委員、三郷村長などを歴任した。ほか、伊勢崎銀行頭取を務めた。和歌を能くし万葉集の研究をした。