金山 昌秀(かなやま まさひで、Dr. Masahide K… 金山 昌秀(かなやま まさひで、Dr. Masahide Kanayama, 出生名:金 昌秀(キム・チャンス、김창수)、1962年9月8日 - )は、日本のキリスト教伝道者、医師。インターナショナル・マーケットプレイス・ミニストリー(IMM JAPAN)創立者。2015年から2017年にかけて起きた寺社連続油被害事件のうち複数の事件を起こし、10年以上の国外逃亡の末に逮捕された。 東京都江東区出身。父親・母親ともに在日韓国人。4歳年下の弟がいる。1979年6月19日に帰化。 17歳の時にクリスチャンとなる。 ウィスコンシン大学医学部、メイヨークリニック医学部大学院を卒業後、産婦人科医となる。
阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008… 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。
岡村ふく(おかむら ふく、1899年(明治33年)6月3日 … 岡村ふく(おかむら ふく、1899年(明治33年)6月3日 - 1982年(昭和57年)4月26日)は日本のカトリック教会修道女、福音史家聖ヨハネ布教修道会創立者。 岡村ふくは父・岡村政四郎と母・政子の五番目の子供として東京・京橋に生まれ、1週間後に正教会の洗礼を受けた。ふくは神田のニコライ堂に熱心に通い、1911年、小学校卒業後、香蘭女学校に入学。聖心女子学院に入学しカトリック教会を知る。聖心会修道女から教えを受け、1919年、卒業と共にカトリックに改宗し引き続き学校に残り修道女の助手を務めた。 その後、ふくは病に臥し長い療養を送っていたがある日、ルーマニア人司祭・ウラジミール・ギカが持参したキリストの茨の冠で奇跡的に癒され、彼女は後年まで話さなかった。
秋元 梅吉(あきもと うめきち、1892年8月26日 - 1… 秋元 梅吉(あきもと うめきち、1892年8月26日 - 1975年2月8日)は、日本の社会事業家・教育者・キリスト教指導者・編集者である。 視覚障害当事者として視覚障害者のための福祉ホーム・点字出版社である東京光の家を創設したしたほか、日本初の点字『旧約聖書』シリーズ全巻を刊行した。 1892年 東京・中野の大地主の家に生まれる。先天性の弱視であり、5歳で失明。 1906年(明治39年)、14歳で東京盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に入学した。 1913年(大正2年)、台湾人留学生である同級生から『新約聖書』「マルコによる福音書」を紹介され、一章三節の「荒れ野に呼ばわる者の声す。「主の道を備え、その道を直くせよ」」に「電光を受けたように感銘を受けて」キリスト教に入信した。
バチェラー 八重子(バチェラー やえこ、1884年〈明治17… バチェラー 八重子(バチェラー やえこ、1884年〈明治17年〉6月13日 - 1962年〈昭和37年〉4月29日)は、アイヌの歌人・キリスト教伝道者。「バチラー八重子」とも表記される。 1884年(明治17年)6月13日、北海道伊達町有珠に戸籍名は「向井八重子」、幼名は「フチ」として生まれる。父は、アイヌ豪族の向井富蔵で、アイヌ名はモコッチャロであった。母は、フッチセであった。なお、弟に向井山雄がいる。父の向井富蔵は、イギリス人の聖公会宣教師のジョン・バチェラーを信頼し、娘の八重子の受洗を承認するまでになる。八重子が11歳の時、父の富蔵が亡くなる。13歳の時、ジョン・バチェラーを頼り、札幌に出て、バチェラーが運営する「アイヌ・ガールズ・スクール」に通う。
石坂 美那子(いしざか みなこ、1865年10月18日〈慶応… 石坂 美那子(いしざか みなこ、1865年10月18日〈慶応元年8月29日〉 - 1942年〈昭和17年〉4月10日)は、明治から昭和にかけての日本の中等教育の英語教員、キリスト教伝道者。多摩地方の自由民権運動指導者だった石坂昌孝の長女で、評論家の北村透谷の妻であったことで知られる。 本名は石阪 ミナ。美那子とも書く。苗字は「石阪」「石坂」「北村」とも表記され、文献によってゆれがある。 生涯の精神的なキリスト教に出会い入信し、女学校を卒業した翌年に透谷と結婚する。夫の死後は英語学習と伝道のため、34歳でアメリカに留学。1907年に帰国し、その後は東京府立豊島師範学校(現在の東京学芸大学)、東京府立品川高等女学校(後に東京府立第八高等女学校、現在の東京都立八潮高等学校)などの英語教師を72歳まで続けた。