坂本 結愛(さかもと ゆい、1996年4月22日 - )は、… 坂本 結愛(さかもと ゆい、1996年4月22日 - )は、神奈川県出身の女子ソフトボール選手(捕手・内野手)。戸田中央メディックス埼玉所属。ソフトボール日本代表。 横浜市立橘中学校1年生の時に本格的にソフトボールを始めた。神奈川県立厚木商業高等学校1年生の時にインターハイ優勝。 高校卒業後、2015年に日本リーグの戸田中央総合病院に入団。2020年まで同チームの正捕手としてプレー。2017年、2019年には日本リーグのベストナイン賞(捕手)を受賞した。 2021年に日立サンディーバに移籍。初年度から内野手のレギュラーとして活躍し、2022年にはJDリーグの最多本塁打賞(11本)とベストナイン(三塁手)を受賞した。
西山 麗(にしやま れい、1984年3月8日 - )は、神奈… 西山 麗(にしやま れい、1984年3月8日 - )は、神奈川県横須賀市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元ソフトボール日本代表。2008年北京オリンピック金メダリスト。 中学時代に心臓弁移植を行ったことから、臓器移植を行った日本で唯一のオリンピック金メダリストとなる。 神奈川県横須賀市の生まれで実家は釣り船屋である。決して恵まれた環境とは言えなかったものの小さい頃から運動をすることが大好きで、小学生時代はバスケットボールをしていた。 ただ、生後1ヶ月に大動脈弁狭窄(きょうさく)・閉鎖不全症と診断され、医師より激しい運動を禁じられ持久走や吹奏楽などは特に禁じられていた。 横須賀市立常葉中学校進学時に医師に「激しい運動をやめるように」と言われたことを受けて、攻守があり休みが取れるということからソフトボールに転向した。
山田 恵里(やまだ えり、1984年〈昭和59年〉3月8日 … 山田 恵里(やまだ えり、1984年〈昭和59年〉3月8日 - )は、神奈川県藤沢市出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元ソフトボール日本代表。2004年アテネオリンピック銅メダリスト、2008年北京オリンピック金メダリスト、2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 卓越したソフトボールセンスから「女イチロー」の異名を持つ。日本女子ソフトボール史上最高の打者。 神奈川県藤沢市出身。小学1年生で野球を始め、中学3年生の時には男子野球部で不動の1番バッターとして活躍。神奈川県立厚木商業高等学校に進学後にソフトボールに転向した。 2002年、地元神奈川県の日立ソフトウェアに入団。ルーキーイヤーに日本リーグの本塁打王・打点王・ベストナイン賞・新人賞の4冠を獲得。
三科 真澄(みしな ますみ、1982年3月12日 - )は、… 三科 真澄(みしな ますみ、1982年3月12日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。元ルネサス高崎所属。元ソフトボール日本代表。アテネオリンピック銅メダリスト、北京オリンピック金メダリスト。 神奈川県茅ヶ崎市出身。茅ヶ崎市立北陽中学校、神奈川県立厚木商業高等学校を卒業。 2004年アテネオリンピック銅メダリスト。2008年北京オリンピック金メダリスト。 2009年12月、現役引退を発表。 2010年4月、東京国際大学に新たに設けられた女子ソフトボール部の監督に就任した。東京国際大学ではアテネオリンピックの日本代表監督であり、ルネサス高崎のシニアアドバイザーでもあった宇津木妙子とまたもコンビを組むこととなった。
髙山 樹里(たかやま じゅり、1976年10月21日 - )… 髙山 樹里(たかやま じゅり、1976年10月21日 - )は、神奈川県横須賀市出身の女子ソフトボール選手(投手)、ボブスレー選手、スケルトン選手。元ソフトボール日本代表。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト、2004年アテネオリンピック銅メダリスト。 トータル・オリンピック・レディス会 会長、日本車椅子ソフトボール協会 会長、NPO法人 ソフトボール・ドリーム 理事、全日本アーチェリー連盟 理事、日本ハンドボール協会理事、日本アンチ・ドーピング機構 アスリート委員、日本プロ野球OBクラブ理事、神奈川県スポーツ推進審議会審議委員、ソフトボールの講習会(主にピッチング指導)やYouTubeやテレビのゲスト出演もしている。
小林 良美(こばやし よしみ、1968年8月11日 - )は… 小林 良美(こばやし よしみ、1968年8月11日 - )は、神奈川県出身の女子ソフトボール選手(外野手)・指導者。右投右打。元日立高崎所属。シドニーオリンピック銀メダリスト。日立マクセル女子ソフトボール部監督、東京国際大学女子ソフトボール部監督を務めた。 神奈川県立平塚商業高等学校を卒業。 シドニーオリンピックではライトで伊藤良恵と併用される。日本リーグでは最優秀打撃賞を2度も獲得するほどの選手であったが、シドニーオリンピックでは伊藤の起用が優先された。 アテネオリンピックでは、コーチングスタッフとして代表チームに加わった。