池崎 祐介(いけざき ゆうすけ、1988年11月7日 - )… 池崎 祐介(いけざき ゆうすけ、1988年11月7日 - )は日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手。 座右の銘は「初志貫徹」。目標とする騎手はクリストフ・ルメールとしていた。 競馬学校第23期生で、同期には浜中俊、藤岡康太らがいる。2007年、美浦・池上昌弘厩舎の所属騎手としてデビュー。同期生から1週遅れとなる3月10日に初騎乗を果たすも、翌日に騎乗停止処分を受ける。 この後も騎乗馬に恵まれず、この年は71戦0勝という結果に終わり、デビューからわずか1年後に未勝利のまま、同厩舎を離れフリー騎手へと転向となった。 デビューから1年2か月を経た2008年5月11日、新潟競馬場第1レースのフジマサルビーにて初勝利を記録、デビュー97戦目での白星を挙げる。
大坪 慎(おおつぼ まこと、1978年6月12日 - )は、… 大坪 慎(おおつぼ まこと、1978年6月12日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・盛岡競馬場橘友和厩舎所属の騎手。神奈川県川崎市出身。 地方競馬教養センター長期騎手課程第71期生。 川崎市内の県立高校を卒業後、仕事をしながら騎手候補生の受験に挑戦し合格。 2000年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得。同年4月15日第2回水沢競馬1日目第5競走サラ系C2条件戦トナンメリーで初騎乗(10頭立て9番人気10着)。同年5月14日第1回盛岡競馬2日目第2競走サラ系C2条件戦をペンタキングで優勝(10頭立て1番人気)し、9戦目で初勝利。 2003年4月28日第2回水沢競馬5日目第10競走第5回大屋梅特別をマルブツシーズで優勝(10頭立て3番人気)し、特別初勝利。
今野 忠成(こんの ただなり、1977年3月4日 - )は、… 今野 忠成(こんの ただなり、1977年3月4日 - )は、地方競馬の川崎競馬場所属の調教師、元騎手である。 川崎競馬の鈴木敏一厩舎所属としてデビューし、1994年10月15日川崎競馬第9競走で初騎乗、このときは7着であった。初勝利は同年12月10日川崎競馬第4競走で挙げた。重賞は2001年の金盃で初勝利を挙げ、翌年の鎌倉記念の勝利が地元重賞の初制覇となった。さらに東京2歳優駿牝馬にも勝利し、南関東公営競馬のG1初制覇となる。2004年9月8日には浦和競馬場でのさきたま杯をロッキーアピールに騎乗して優勝、ダートグレード競走初制覇となる。 2002年に初めて年間100勝以上を記録。NARグランプリ2005ではベストフェアプレイ賞を受賞し、2006年には地元重賞を5勝し、通算1000勝も達成した。
青木 芳之(あおき よしゆき、1977年2月7日 - 201… 青木 芳之(あおき よしゆき、1977年2月7日 - 2012年12月25日)は、神奈川県横浜市出身の元騎手。 競馬学校11期生として石山繁・金折知則・西田雄一郎・西谷誠・野元昭嘉・矢原洋一・山本康志と同期になり、卒業後の1995年に美浦・藤沢和雄厩舎からデビュー。 1年目の1995年は3月5日の中山第1競走4歳未勝利・サーストンフジオー(16頭中13着)で初騎乗を果たし、同12日の中山第2競走4歳未勝利・リッツリーターで初勝利を挙げる 。11月11日の新潟第3競走4歳未勝利では前川清の所有馬ヒゼンズシオーで勝利し、初年度は4勝をマーク。 2年目の1996年には1月6日の東京第3競走4歳未勝利で15頭中12番人気のターフチャンピオンに騎乗して単勝・枠連・馬連万馬券、同27日の小倉第8競走4歳以上500万下では8番人気グリーンパラダイスで逃げ切って枠連・馬連万馬券の波乱を起こす。
後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - 201… 後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - 2015年2月27日)は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属していた騎手である。 テレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属していた。妻はタレントの湯原麻利絵。 少年時代に空手や体操を習っていて、のちにそれらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。相模原市立清新中学校卒業。 母はいわゆる「手に職をつけるべき」という考えをもっており、後藤自身もサラリーマンにはなる気はなかったと述べている。進路を考え始めたときの後藤の考えは自分が好きであった料理を生かしてのフランス料理のコックになることであったが、それを伝えると母はたまたま過去に競馬学校のドキュメンタリー番組を見ていたことから競馬の道に進むことを薦められる。
松山 将樹(まつやま まさき、1970年6月2日 - )は、… 松山 将樹(まつやま まさき、1970年6月2日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 学生時代は馬主にあこがれ、公認会計士か税理士になろうと思ったことがあったという。神奈川県立川和高等学校を経て明治大学法学部卒業後は牧場で勤務していた。 1997年、7月に日本中央競馬会競馬学校厩務員課程に入学した。 1998年、1月に同校を卒業し、美浦・成宮明光厩舎所属の厩務員となり、のちに調教厩務員となった。 1999年、4月から美浦・平井雄二厩舎所属となり、6月に調教助手に転身した。 2007年、2月に調教師免許を取得する。 2008年、3月1日付で厩舎を18馬房で開業した。
田原 邦男(たはら くにお、1967年10月27日 - )は… 田原 邦男(たはら くにお、1967年10月27日 - )は、日本の実業家、株のディーラー・トレーダー、馬主。 群馬県立高崎高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業し、1991年にゴールドマン・サックスへ入社し、2002年にマネージング・ディレクター就任。2008年にはリーマン・ブラザーズ証券株式会社へ入社するが、リーマン・ショックにより一時的に無職となる。その後、同年バークレイズ証券株式会社を経て、2015年にゆうちょ銀行市場部門常務執行役員、2019年4月1日から2020年6月16日まで同行執行役副社長を務めた。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は水色、黒襷、袖黒二本輪、冠名は特に用いない。
加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神… 加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元騎手・元調教師。 動物が好きな母の影響で、小さい頃から生き物は身近な存在であり、イヌ、ネコ、ハトなども家にいて、加用も自然と動物が好きになった。兄2人は大学に通っていたが、加用は魅力を感じず「早くから手に職を持ちたい」と探していたところ、馬事公苑騎手課程を紹介するテレビを見たことで騎手を志す。父には反対されたが、母の後押しもあって、関東学院附属中学校卒業後に馬事公苑騎手課程へ入所。馬に乗った瞬間は感動し、目線が高くなって景色が変わり「自分が大好きな馬に乗っているんだ」と思うと、嬉しくなった。 馬事公苑2年次より京都・谷八郎厩舎の下で研修に入るが、書類上は八郎の義父である谷栄次郎厩舎であった。
二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )… 二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。神奈川県川崎市出身。東京農業大学卒業。 高校大学時代は馬術部に所属していた。大学時代はアメリカ競馬も見たという。大学卒業後は川崎市内でサラリーマンとして働いていた。 1978年、美浦・橋本輝雄厩舎の調教助手となり、ホースマンとしてのスタートを切る。助手としての代表馬は1987年の東京優駿を制したメリーナイスで、同厩舎の屋台骨を支える敏腕として活躍。 1990年、調教師免許を取得し厩舎を開業する。8度目の挑戦での合格であった。 1994年、優秀調教師賞 (関東) を初めて受賞する。
古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2… 古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。神奈川県横浜市出身。父は騎手の古山喜三郎。 1950年に騎手デビュー。早くより頭角を現し、1950年代から1960年代にかけて第一線の騎手として活動、「戦後派ナンバーワン」との評を取り、コマツヒカリで東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、「走る精密器械」と呼ばれたタカオー、「怪物」タケシバオーといった名馬の主戦騎手を務めた。騎手通算は4409戦619勝、うち八大競走5勝を含む重賞24勝。 1970年より調教師に転身し、美浦トレーニングセンターに所属。2000年の引退までに数々の重賞勝利馬を手掛けた。