片岡 達也(かたおか たつや、1967年〈昭和42年〉1月2… 片岡 達也(かたおか たつや、1967年〈昭和42年〉1月2日 - )は、日本の実業家、銀行家。横浜銀行代表取締役頭取。コンコルディア・フィナンシャルグループ代表取締役社長、全国地方銀行協会副会長。 神奈川県横浜市出身。浅野高等学校を経て、1990年(平成2年)に東京理科大学理学部応用数学科卒業。同年横浜銀行に入行し、個人営業部長・2018年コンコルディア・フィナンシャルグループ執行役員・2019年東日本銀行取締役を経て2022年に横浜銀行の取締役に就任する。2022年に大矢恭好の後任として横浜銀行代表取締役頭取に就任した。 2022年6月の株主総会を経てコンコルディア・フィナンシャルグループの代表取締役新社長に就任した。
工藤 禎子(くどう ていこ、1964年〈昭和39年〉5月22… 工藤 禎子(くどう ていこ、1964年〈昭和39年〉5月22日 - )は、日本の銀行家、実業家。三井住友フィナンシャルグループ取締役代表執行役副社長兼三井住友銀行代表取締役副頭取。2023年6月までトヨタ自動車取締役(社外取締役)。 フェリス女学院中学校・高等学校を経て、1987年慶應義塾大学経済学部経済学科(理論経済学:福岡正夫研究会)を卒業後、住友銀行 (現 : 三井住友銀行)に女性総合職1期生として入行。2年間の支店勤務を経て、国際業務部に異動。 2014年、三井住友銀行初の女性執行役員に就任し、2017年常務執行役員。2018年にはトヨタ自動車社外取締役も兼務する (トヨタで初の女性取締役)。
大矢 恭好(おおや やすよし、1962年(昭和37年)4月1… 大矢 恭好(おおや やすよし、1962年(昭和37年)4月19日 - )は、日本の銀行家。コンコルディア・フィナンシャルグループ代表取締役社長、横浜銀行代表取締役頭取、全国地方銀行協会会長、全国銀行協会副会長。 神奈川県出身。1985年に一橋大学商学部を卒業し、横浜銀行に入行。事務統括部長やリスク統括部長、経営企画部長、執行役員などを歴任したのちに、2012年には取締役となる。2015年には代表取締役常務へ昇進した。 2016年に横浜銀行と東日本銀行との経営統合で両行の親会社としてコンコルディア・フィナンシャルグループが設立されると、横浜銀行の代表取締役を降りて取締役に就任する代わりに、元横浜銀行頭取の寺澤辰麿や当時の東日本銀行頭取の石井道遠とともに、コンコルディア・フィナンシャルグループの代表取締役に就任している。
笠原 慶久(かさはら よしひさ、1962年(昭和37年)1月… 笠原 慶久(かさはら よしひさ、1962年(昭和37年)1月5日 - )は、日本の実業家、銀行家。肥後銀行代表取締役頭取や九州フィナンシャルグループ社長を務める。 東京都出身。父は同栄信用金庫(現:さわやか信用金庫)の理事長を務めた笠原慶彰。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業。1984年に富士銀行(現:みずほ銀行)に入行して同行の熊本支店長や法人業務部長などを務め、2011年にみずほ信託銀行へ転籍する。同行では北嶋信顕の後任として信託総合営業第一部長を務め、常務執行役員に昇進する。 2015年に肥後銀行に入行して同行の取締役常務執行役員に就任。翌2016年に鹿児島銀行の非常勤取締役や九州フィナンシャルグループの取締役を兼任する。
横田格(よこた いたる、1948年(昭和23年)10月11日… 横田格(よこた いたる、1948年(昭和23年)10月11日 - )は、日本の銀行家。前富山第一銀行代表取締役頭取。 神奈川県横須賀市出身。慶大経済学部卒業後、日本銀行に入行する。横浜支店長等を経て、金融機関の検査を担当する考査局において次長、発券局長時代には2千円札の発行に携わり、日銀の意思決定機関である政策委員会で室長を務めたまた、総裁であった白川方明とは同期入行で親交も深く、齊藤栄吉富山銀行頭取は、横田が経営企画課長を務める折、直属の部下として仕えた。 2008年(平成20年)には後任含みの顧問として富山第一銀に入行。2010年(平成22年)4月、29年あまりトップを務めた金岡純二の後を受け頭取に昇格した。
上杉 純雄(うえすぎ すみお、1948年(昭和23年)10月… 上杉 純雄(うえすぎ すみお、1948年(昭和23年)10月4日 - 2020年(令和2年)3月4日)は、日本の銀行家、実業家。UCカード社長、みちのく銀行代表取締役会長等を歴任した。 神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高等学校、早稲田大学法学部を卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)に入行。 同行時代は、主に証券、リテール部門を担い住宅ローンや、現在のみずほマイレージクラブの原型といえる富士ファーストクラブのほか、全店規模におけるデータベース構築にも携わり、常務執行役員等を歴任。 2002年、UCカード社長に転じ、銀行との関係強化、他のカード会社との事務処理共同化を進めたほか、日本クレジットカード協会会長も務めた。
岡野 光喜(おかの みつよし、1945年(昭和20年)2月5… 岡野 光喜(おかの みつよし、1945年(昭和20年)2月5日 - )は、日本の銀行家。スルガ銀行頭取、会長を歴任した。 静岡県出身。スルガ銀行創業家に生まれ、曾祖父である岡野喜太郎は同行初代頭取、父は同行第三代頭取を務めた岡野喜一郎。2016年7月に死去した実弟である岡野喜之助は同行副社長兼COOを務めた。 慶應義塾大学卒業後、富士銀勤務を経て入行。1985年当時には、地銀業界で最年少となる40歳でトップに就任。個人向けリテール業務への推進に舵を切り、頭取の呼称を社長に変えた。2016年6月、世代交代を鮮明にし若返りを図るため会長に退いたが、今後も経営を支えて行くとしていた。 2018年9月7日、シェアハウスオーナーへの融資に端を発する不正融資問題の調査において、最も責任が重いと第三者委員会の報告書において指摘されたことを受けて、代表取締役会長CEOを引責辞任した。
杉田 力之(すぎた かつゆき、1942年(昭和17年)10月… 杉田 力之(すぎた かつゆき、1942年(昭和17年)10月13日 - 2008年(平成20年)3月30日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。第一勧業銀行会長兼頭取、みずほホールディングス初代社長、みずほフィナンシャルグループ名誉顧問、日本カントリークラブ理事長などを務めた。 神奈川県立小田原高等学校を経て、1966年(昭和41年)東京大学経済学部を卒業後、当時の日本勧業銀行に入行。後にシンガーソングライターに転身した小椋佳は東大・勧銀の同期である。 人事部時代からの部下には後藤高志(西武ホールディングス社長)がおり、「ぶれない、逃げない人でした」と言う。部下の失敗も自ら後始末した。巨額の不良債権を生んだ住専問題では、担当常務として処理にあたった。
西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月1… 西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月18日 - 2006年(平成18年)8月1日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。日本興業銀行元頭取、みずほホールディングス元会長。 政治家・安倍晋太郎は異父兄であり、その次男・安倍晋三及び同三男・岸信夫は甥にあたる。 1999年、大手銀行に約7兆4,500億円もの公的資金が注入されたが、各行がこの受け入れに尻込みする中、注入の申請を真っ先に表明して流れを作る場面もあった。同年にはみずほフィナンシャルグループ発足に動き、非金利収入の拡大や投資銀行ビジネスの推進を訴えるなど、2000年前後の金融ビッグバンの牽引役の一人であった。 みずほフィナンシャルグループをみずほコーポレート銀行とみずほ銀行へ分割するグループ編成を考えた。
伊原 隆(いはら たかし、1908年6月5日 - 1976年… 伊原 隆(いはら たかし、1908年6月5日 - 1976年9月24日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵省理財局長、横浜銀行頭取、全国地方銀行協会会長、横浜商工会議所会頭などを歴任した。 1908年(明治41年)6月5日、神奈川県に生まれる。神奈川師範学校附属鎌倉小学校、神奈川県立湘南中学校、第一高等学校文科乙類を卒業したのち、1928年(昭和3年)に東京帝国大学法学部法律学科に入学。1931年に卒業したのちは大蔵省に入省、理財局に勤務した。京橋税務署長、大蔵大臣秘書官、内閣総理大臣秘書官(兼任)などを歴任し、1945年5月19日に金融局資金統制課長。1946年2月2日に理財局国庫課長。同年8月31日に理財局次長となり、1947年9月2日から1951年5月1日までは理財局長を務めた。
佐藤 喜一郎(さとう きいちろう、1894年1月22日 - … 佐藤 喜一郎(さとう きいちろう、1894年1月22日 - 1974年5月24日)は、日本の実業家、銀行家。元帝国銀行頭取、三井銀行社長、日本棋院総裁。 神奈川県横浜市出身。横浜一中、一高、1917年東京帝国大学経済学部卒業後、米山梅吉の紹介で、三田会の学閥の色合いが強い戦前の三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。ニューヨーク支店長、大阪支店長など、海外要員として経営中枢からは遠ざけられ、1941年には三井銀行の海外担当取締役、1943年の帝銀発足時も常務にあった。戦後は一転して1946年の公職追放の発表に先立って、万代順四郎会長、入間野武雄頭取(大蔵省出身)はじめ、戦前三井財閥のリーダー池田成彬に、池田の子飼でありかつ万代の後継と目されていた大矢知昇常務も退任したため、佐藤が予期せぬ頭取の座に就任した。
今村 繁三(いまむら しげぞう、1877年(明治10年)1月… 今村 繁三(いまむら しげぞう、1877年(明治10年)1月23日 - 1956年(昭和31年)4月19日)は、日本の銀行家。 相場で財を成した実業家、今村清之助の次男として生まれる。東京高等師範学校附属中学に学び、英国ケンブリッジ市にある全寮制パブリックスクール リース校 (The Leys School) に留学した。この学校は『チップス先生さようなら』のモデルとなった名門で、チャペルには後に今村らが寄付したことを記念して彼らの名前を記したステンドグラスが残っている。また、皇太子時代の昭和天皇が訪問したことでも知られる。 1899年に英国トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)に進学し、1902年に文学士の学位を受ける。
小塩 八郎右衛門(こしお はちろうえもん、1865年12月2… 小塩 八郎右衛門(こしお はちろうえもん、1865年12月27日(慶応元年11月10日) - 1947年(昭和22年)1月17日)は、明治時代から昭和時代初期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。前名は堅作。 小塩八郎右衛門寛蔵利殖の長男として、相模国大住郡戸田村(神奈川県中郡相川村を経て現・厚木市)に生まれる。1883年(明治16年)10月、家督を相続し前名を改め八郎右衛門を襲名した。小笠原東洋に漢学を学ぶ。農業を営み、相川村収入役、同村長、神奈川県会議員、地方森林会議員、県農会副会長、徴兵参事員、所得調査委員を歴任する。ほか、神奈川県農工銀行頭取、産業組合中央会支部長を務めた。
臼井 儀兵衛(うすい ぎへえ、1848年1月25日(弘化4年… 臼井 儀兵衛(うすい ぎへえ、1848年1月25日(弘化4年12月20日)- 1904年(明治37年)11月9日)は明治時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。幼名・嘉吉。 相模国三浦郡西浦賀村(浦賀村、浦賀町を経て現横須賀市)で生まれ、同村の米穀商先代臼井儀兵衛の養子となる。養父の死後、17歳で家督を相続した。22歳の時、同村紺屋町に大黒屋を開業し食塩を商い、巨万の富を得た。1879年(明治12年)浦賀町会議員に当選。ほか、浦賀船渠監査役、浦賀銀行頭取、神奈川県農工銀行設立委員などを歴任した。 1899年(明治32年)神奈川県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年5月8日から翌年の9月5日まで在任した。
梅原 修平(うめはら しゅうへい、1837年(天保8年3月)… 梅原 修平(うめはら しゅうへい、1837年(天保8年3月) - 1910年(明治43年)1月28日)は幕末から明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。別名・太郎兵衛、諱は経忠、号は王渓。脩平の表記もあり。 相模国大住郡尾尻村(南秦野村、南秦野町を経て現秦野市)の名主で醸造業を営む梅原太兵衛の子。林靏梁に漢学を、武蔵町田の小沢安斎から和学を、平戸の萩原太郎に剣術を学び、昌平坂学問所でも学んだ。邸内に道場を設け、青少年に剣術と和漢学を教えた。名主役、戸長を経て、大住、淘綾両郡の区長を務めた。ほか、南秦野村会議員、神奈川県農工銀行、共伸社各頭取を務めた。 1890年(明治23年)神奈川県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。