曽我 啓菜(そが はるな、2001年3月25日 - )は、日… 曽我 啓菜(そが はるな、2001年3月25日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 新潟県長岡市出身。バレーボール経験者の母の元、7人兄弟の4番目として生まれ、小学1年生のとき姉と一緒にバレーボールを始めた。 地元の秋葉中に進学したものの、バレーボール部員が5人になったことで新潟市にある下山中に転校。それをきっかけに全日本中学選抜メンバーに選ばれ、第29回JOCジュニアオリンピックカップでは優秀選手賞に選ばれる。県外の高校への進学を考えていた中、中学選抜で金蘭会中学校の選手たちと親しくなったことで、同校へ進学。1年生からレギュラーとなり、同期の西川有喜、水杉玲奈らと共に、2016年の第71回・2017年の第72回の国体、2017年の第70回 ・2018年の第71回の春高バレーを、いずれも連覇した同校躍進の原動力となる。
新井 雄大(あらい ゆうだい、1998年6月27日 - )は… 新井 雄大(あらい ゆうだい、1998年6月27日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 新潟県上越市出身。兄の影響で5歳の頃からバレーボールを始める。 2014年、新潟県立上越総合技術高等学校に進学。2016年、アジアジュニア選手権に出場。 2017年、東海大学に進学。1年時の春季関東大学リーグで優勝に貢献し、新人賞を受賞。ユース日本代表にも選出され、世界ジュニア選手権(U-21)と世界U-23選手権にも出場した。 2018年、AVCカップの日本代表に選出され、同大会に出場した。全日本大学選手権大会(全日本インカレ)でベストスコアラー賞を受賞した。 2019年、ユニバーシアード競技大会に出場。
近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本… 近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 新潟県岩船郡関川村出身。新潟県立村上高等学校に入学してバレーボールを始めた。東海大学へ進学。2009年全日本インカレでブロック賞を獲得し、東海大学バレーボール部3年ぶりの全日本インカレ優勝とシーズン5冠達成を経験した。 大学在学中の2009年に豊田合成トレフェルサの内定選手になり、2010年に入団した。 2012/13シーズンではアタック決定率58.2%を記録し、スパイク賞及びベスト6に輝いた。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。6月24日に引退選手として公示。
飯塚 俊彦(いいづか としひこ、1981年5月19日 - )… 飯塚 俊彦(いいづか としひこ、1981年5月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 新潟県新潟市出身。新潟市立上山中学校入学後、バレーボールを始める。親の転勤に伴い埼玉県に引越し、名門埼玉県立深谷高等学校へ入学する。同級生に、柴田恭平ら。 2000年、東海大学へ進学。同期に酒井大祐ら。同年1年次から大学選抜に選ばれ、同年アジアジュニア選手権4位入賞、翌2001年ジュニア世界選手権にも出場した。2003年4年次にはユニバーシアードに出場し、準優勝。同年の黒鷲旗ではベスト6に選出される。 2004年、JTサンダーズへ入団。同期に酒井、町野仁志。外国人や直弘龍治、内冨寛法の前になかなか出場できなかった。
清水 雅之(しみず まさゆき、1971年1月3日 - )は、… 清水 雅之(しみず まさゆき、1971年1月3日 - )は、日本の元バレーボール選手。 新潟県燕市(旧・西蒲原郡吉田町)出身。法政大学からサントリーサンバーズに入団。2006年3月、現役引退し社業専念。 2015年はサンバーズのチームディレクター、2016年から2019年まではゼネラルマネージャーを務めた。
山下 美弥子(やました みやこ、1962年12月6日 - )… 山下 美弥子(やました みやこ、1962年12月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 新潟県北魚沼郡広神村(現魚沼市)出身。中学1年よりバレーボールを始める。六日町女子高校を経て、1981年に日本リーグの日本電気(当時)に入部。 163cmとレフトとしては非常に小柄だが、豊かなジャンプ力を生かした力強いスパイクで「小さな大エース」と呼ばれた。1986年から1990年までチーム主将を務めた。また日本リーグ通算11シーズンで、通算出場試合数歴代1位をマークしている。第21回日本リーグでは、佐藤伊知子らとともにNEC初優勝の原動力となった。 1988年に全日本入りを果たし、ソウルオリンピックに出場、4位入賞に貢献した。
田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、… 田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。 新潟県岩船郡神林村(現:村上市)出身。村上女子高校卒業後、1980年日本電気バレーボール部に入部。1984年から1986年までチーム主将を務めた。 センタープレーヤーとしては低身長だがブロックを得意とし、在籍10シーズンで日本リーグ歴代3位の通算ブロック決定本数をマークした。 1990年に現役引退。1992年、実業団の北越銀行(本店:長岡市)バレーボール部創部と同時に監督に就任し、1998年チームをV1リーグ(現:チャレンジリーグ)昇格に導いた。 1999年に北越銀行バレーボール部が休部(廃部)になったことに伴い、選手の新たな受け皿として地域バレーボールクラブのベスビアス長岡(現:ベスビアス新潟)を結成した。