スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本… 近 裕崇(こん ひろたか、1988年3月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 新潟県岩船郡関川村出身。新潟県立村上高等学校に入学してバレーボールを始めた。東海大学へ進学。2009年全日本インカレでブロック賞を獲得し、東海大学バレーボール部3年ぶりの全日本インカレ優勝とシーズン5冠達成を経験した。 大学在学中の2009年に豊田合成トレフェルサの内定選手になり、2010年に入団した。 2012/13シーズンではアタック決定率58.2%を記録し、スパイク賞及びベスト6に輝いた。 2025年3月、2024-25シーズン限りでの現役引退が発表された。6月24日に引退選手として公示。
相馬 嘉(そうま よしみ、1979年6月23日 - )は、日… 相馬 嘉(そうま よしみ、1979年6月23日 - )は、日本のゲートボール選手・指導者。朝霞市ゲートボール連盟会長。新潟県村上市出身。 3歳頃からゲートボールを始め、6歳から大会等に出場。村上市の3世代交流大会で7歳で初監督を務める。村上高校を経て、東海大学に進学。大学卒業後24歳でTKEに所属する。主力選手を務め、全日本選手権大会の優勝を収めるなど功績を残した。その後、仕事やゲートボール関係などで埼玉県ゲートボール連盟に移籍し、現在は朝霞市ゲートボール連盟の会長を務める。2018年時点で埼玉県立朝霞高等学校ゲートボール部監督。 一番弟子は新潟県出身の金井都造選手。金井選手は師匠である相馬を追いかけ、2023年8月新潟県から埼玉県に移住し、埼玉県ゲートボール連盟の選手となる。
近正 宏光(こんしょう ひろみつ、1971年 - )は、日本… 近正 宏光(こんしょう ひろみつ、1971年 - )は、日本の篤農家。 農業生産法人越後ファーム株式会社代表取締役。雪室籾貯蔵から精米する「今摺り米」と自然農法米づくりによる中山間地域再生に尽力している。 1971年、新潟県村上市で生まれる。1989年、新潟県立村上高等学校を卒業。1993年、明海大学を卒業。2006年3月5日、農業生産法人越後ファームを設立。2013年2月20日、日本橋三越本店に、6次産業化プロジェクトによる直営・米ショップ第1号店の『越後ファーム 田んぼネットワーク』を出店。新精米工場、雪蔵の米管庫が竣工。2016年3月より、『雪蔵今摺り米』コシヒカリが日本航空に国際線ビジネスクラス機内食として提供される。
高橋 邦芳(たかはし くによし、1959年〈昭和34年〉9月… 高橋 邦芳(たかはし くによし、1959年〈昭和34年〉9月11日 - )は、日本の政治家。新潟県村上市長(3期)。 新潟県村上市出身。1975年(昭和50年)3月、村上市立村上第一中学校卒業。1978年(昭和53年)3月、新潟県立村上高等学校卒業。1980年(昭和55年)4月、村上市・岩船郡町村伝染病院組合に採用される。1982年(昭和57年)4月、岩船地域広域事務組合に勤務。 2008年(平成20年)4月1日、旧制の村上市は荒川町・神林村・朝日村・山北町と合併し、新制「村上市」が誕生した。これに伴い岩船地域広域事務組合は解散。4月1日、村上市役所に入所、総務課長補佐、村上市議会事務局長。 2015年(平成27年)5月、同市役所を退職。
鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、… 鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、日本の水泳指導者、北京オリンピック競泳代表チームヘッドコーチ。 新潟県村上市生まれ。小学校入学前に岩船港近くの日本海で泳ぎを覚えた。中学時代は姿三四郎にあこがれて柔道部に入った。新潟県立村上高等学校で水泳部に入部したがその後プールが使用できなくなり先輩部員から麻雀の手ほどきを受けた。卒業後水泳指導者になろうと順天堂大学体育学部体育学科へ入学した。しかし大学内にプールがないことや水泳部も休眠状態であったため新入生同士で泳ぎ始め市立船橋高等学校など近くの高校のプールへ出かけて練習を続けた。新潟県で教職に就くことを目指していたが教員採用試験に落ちてしまったところ、同級生からスイミングクラブが指導員を探していることを聞き、1972年、当時まだ創業2年目のセントラルスポーツにアルバイトとして入社。
大滝 信孝(おおたき のぶたか、1950年2月9日 - )は… 大滝 信孝(おおたき のぶたか、1950年2月9日 - )は、新潟県村上市寒川出身の元プロ野球選手(投手)。 村上高時代は速球投手として知られた。 1968年、サンケイアトムズへドラフト外で入団。 経歴とプロ向きの性格から『土橋二世』と期待されたが、コーチによるフォーム改造の際、肩を骨折。一旦退団した後復帰しロッテ・オリオンズへ移籍するも、肩の回復はならず一軍戦出場なく引退した。 引退後は東京で会社員をしていたが、帰郷し飲食店を開いた。帰郷後も日本プロ野球OBクラブ新潟県幹事及び少年野球指導者・飲食店店主として活動している。
田沢 真(たざわ まこと、1947年9月21日 - )はNH… 田沢 真(たざわ まこと、1947年9月21日 - )はNHKの元アナウンサー。 新潟県立村上高等学校を経て早稲田大学卒業後、1970年入局。
大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本の… 大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、著作家。 新潟県に生まれ、新潟県立村上高等学校を卒業した。早稲田大学教育学部を卒業し、1964年に、産経新聞社に入社した。以降は新聞と雑誌の両部門で経歴を積み、『週刊サンケイ』編集長、『新しい住まいの設計』編集長、特集部編集委員、『正論』編集長、編集局編集委員を歴任した。特別記者を経て、2009年に退社し、以降はフリージャーナリストとして活動。 1990年に『正論』編集長となった大島は、読者投稿欄の拡充を皮切りに誌面の改革をおこない、9万部だった部数を、最盛期には15万部にまで伸張させた。読者投稿欄は、最も多い時期で50ページ超となったという。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明… 稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明治42年〉11月19日 - 1992年〈平成4年〉8月15日)は、日本の政治家、文部大臣(第94代)、法務大臣(第34代)、衆議院議員(14期)。法学博士。 兄の稲葉圭亮も政治家で衆議院議員だった。長男は元衆議院議員の稲葉大和。 1909年11月19日、現在の新潟県村上市に生まれる。村上中学、旧制山形高校といずれの学校でもいわば武勇伝(中学では生徒会長として祭りの日に学校を休みにしろと同盟休校を主導したため、高校ではカンニングが発覚したため)での中途退学を経て、1936年中央大学法学部独法学科を卒業。1940年中央大学大学院を修了。1945年中央大学教授に就任。
大智 浩(おおち ひろし、1908年〈明治41年〉8月10日… 大智 浩(おおち ひろし、1908年〈明治41年〉8月10日 - 1974年〈昭和49年〉7月18日)は、日本のグラフィックデザイナーである。岡山県出身。 旧制新潟県立村上中(現:新潟県立村上高等学校)、長岡高等工業学校を経て、東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、当時第二次世界大戦下で情報及び宣伝要員として活動した。戦後に独立し自身のデザイン事務所を設立し、多くの企業のCIマークの制作に携わる。1954年(昭和29年)にはニューヨークで開催された個展で大智の作品が出品され、デザイナー団体の日本代表に選出される等外でも有名となった。 その後は誠文堂新光社のデザイン雑誌『アイデア』のアートディレクターや東京教育大学や金沢美術工芸大学、実践女子大学の教授、国際デザイン交流協会会長を務めるなど、学生や海外のデザイナー対しての交流を深めた。
東海林 稔(しょうじ みのる、1903年〈明治36年〉11月… 東海林 稔(しょうじ みのる、1903年〈明治36年〉11月7日 - 1967年〈昭和42年〉10月1日)は、日本の地方公務員(群馬県庁職員)、政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 新潟県岩船郡瀬波町(現・村上市)出身。旧制新潟県立村上中学校(現・新潟県立村上高等学校)を経て、1927年(昭和2年)に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業。 農林省に入り、台湾総督府技師・陸軍ジャワ司政官となり、ジャカルタ州経済部長となる。この時妻子を台湾に残した。戦後の1946年(昭和21年)に帰国。翌1947年(昭和22年)に群馬県庁に入り農地部長・経済部長などを歴任した後、1956年(昭和31年)に退職。
藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8… 藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8月21日 - 1971年(昭和46年)12月7日)は、大正から昭和期の柔道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。講道館柔道七段。 佐賀県東松浦郡、のちの唐津市で藤生利太郎の長男として生まれる。1898年(明治31年)家督を相続。唐津中学校を退学、門司の豊国中学校から東京外語学校に進み、1918(大正7年)東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語科を卒業した。一年志願兵として入営し、陸軍歩兵伍長となった。 その後、新潟県立村上中学校(現新潟県立村上高等学校)、陸軍士官学校、警視庁、東京高等学校、拓殖大学の嘱託教師・柔道師範を務めた。この間、北白川宮永久王、竹田宮恒徳王、朝香宮鳩彦王、李王の柔道師範となる。
佐藤 祐四 は、日本の男性俳優。新潟県出身。