伊部 菊雄(いべ きくお、1952年11月15日 - )は、… 伊部 菊雄(いべ きくお、1952年11月15日 - )は、日本の技術者。新潟県柏崎市出身。カシオ計算機株式会社の技術者。G-SHOCKの開発で知られる。 1952年(昭和27年)11月15日、 新潟県柏崎市で生まれる 。幼稚園の時に東京都の池袋の椎名町に引っ越す。もともと医師を目指していたが、血を見るのが好きではなかったことなどもあり断念する。その後、東京都立練馬高等学校に進学する。1976年(昭和51年)に上智大学理工学部機械工学科を卒業。同年にカシオ計算機株式会社に入社し、時計設計部でデジタル時計の構造開発を担当する。 1981年(昭和56年)、自身の腕時計が壊れた経験から、「落としても壊れない時計」というテーマを掲げ、2年をかけ「G-SHOCK」として商品化に成功。
内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は… 内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長だった。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年宇都宮大学工学部工業化学科卒業。部活動では自動車部に所属した。1977年宇都宮大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本ケミカルコンデンサー入社。1997年KDK新潟工場長。2001年日本ケミコン取締役。2002年日本ケミコン材料事業部本部長。2003年から日本ケミコン代表取締役社長を務め、研究開発への投資を進めるなどした。2019年日本ケミコン代表取締役会長。2021年6月、退任。
野澤 英之助(のざわ えいのすけ、1951年<昭和26年>2… 野澤 英之助(のざわ えいのすけ、1951年<昭和26年>2月22日 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。元新潟県土木部長。瑞宝小綬章受章。 新潟市出身。法政大学工学部土木工学科卒業後、1974年 新潟県庁入庁。主に砂防畑を歩み、2004年 (平成16年) 4月 村上地域整備部長、2005年4月 砂防課長、2007年4月 道路管理課長、2008年4月 土木部長。就任時に防災へのこだわり、公共事業費が右肩下がりの中ハード対策だけで生命・財産を守るには限界がありソフト対策が大切であること、次代の担い手づくりの重要性を説いた。県庁退職後、株式会社興和。
近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は… 近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社リコー代表取締役社長・最高経営責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校を経て、1973年新潟大学工学部卒業、リコー入社、厚木事業所電送機器事業部配属。1998年画像システム事業本部プリンタ事業部長。1999年画像システム事業本部副事業本部長。2000年執行役員画像システム事業本部長。2002年上席執行役員。2003年常務取締役。2004年MFP事業本部長。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役社長執行役員 CEO。2013年代表取締役会長執行役員。2016年代表取締役会長、東北電力取締役。
南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は… 南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は日本のエンジニア、実業家。横浜ゴム代表取締役会長、日本ゴム工業会会長、渋沢栄一記念財団名誉顧問。タイヤ開発に長年携わり主に技術畑を歩んだ。新潟県生まれ。
猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、… 猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、日本の技術者、実業家。日立メディコ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 新潟県長岡市出身。1961年新潟大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、那珂工場配属。1980年日立製作所那珂工場医用機器設計部長。1991年日立製作所那珂工場長。1995年日立製作所計測器事業部長。1997年日立製作所取締役計測器事業部長。1999年日立製作所上席常務取締役計測器グループ長&CEO。2001年日立メディコ代表取締役社長。2005年日立メディコ取締役会長。2006年日本画像医療システム工業会会長、日本医療機器産業連合会副会長。
伊藤 武夫(いとう たけお、1887年〈明治20年〉3月4日… 伊藤 武夫(いとう たけお、1887年〈明治20年〉3月4日 - 1968年〈昭和43年〉3月4日)は、日本の砂防工学者、農林技師。林学博士。東京帝国大学農学部林学科林学第四講座 第3代教授、新潟県立農林専門学校 第2代校長。新潟大学名誉教授。位階は正三位。 1887年(明治20年)3月4日に新潟県古志郡長岡東神田町2丁目(現 長岡市東神田2丁目)の旧越後長岡藩藩士・伊藤亀之助の次男として出生。 1906年(明治39年)3月に新潟中学校を卒業、1907年(明治40年)9月に第一高等学校に入学、1910年(明治43年)7月に卒業、1913年(大正2年)7月に東京帝国大学農科大学林学科を卒業、9月に東京帝国大学農科大学大学院に入学。
安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日… 安倍 邦衛(あべ くにえ、1882年〈明治15年〉3月10日 - 1950年〈昭和25年〉10月19日)は、日本の鉄道官僚、鉄道技術者、土木技術者。位階は正五位。学位は工学博士。 元鉄道省東京鉄道局工務課技師、東京地下鉄道初代技師長、元帝都復興院勅任技師、東京市電気局第4代技術長、元東京高速鉄道顧問技師。日本で最初の地下鉄の設計者。 新潟県中蒲原郡流作場新田(現 新潟市中央区三和町)出身。1900年(明治33年)3月に新潟県中学校を卒業、1903年(明治36年)7月に第四高等学校を卒業、1906年(明治39年)7月に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。 1906年(明治39年)7月に鉄道作業局に技手として入局、1909年(明治42年)12月28日に鉄道院技師に任官、中部鉄道管理局工務課に配属、東海道線の東京 - 横浜間の鉄道の改良工事に従事、以後、東京の国有鉄道の工事を担当。
太刀川 平治(たちかわ へいじ、1877年〈明治10年〉4月… 太刀川 平治(たちかわ へいじ、1877年〈明治10年〉4月7日 - 1966年〈昭和41年〉2月15日)は、日本の電気技術者。工学博士。東京電燈研究所長・技師長・工務部長・常務取締役、東京電力顧問。電気学会名誉員。 新潟県古志郡長岡表五ノ町(現 長岡市表町4丁目)の薬種商・太刀川善蔵の四男として出生。 新潟県尋常中学校を経て、1899年(明治32年)7月に第一高等学校を卒業、1902年(明治35年)7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。 1902年(明治35年)7月に逓信省電気試験所に技手として入所、1903年(明治36年)12月に一年志願兵として陸軍歩兵第1連隊に入隊、日露戦争に応召、1905年(明治38年)6月に陸軍歩兵少尉に任官、戦後、逓信省を退官。
江田 鎌治郎(えだ かまじろう、1872年6月22日(明治5… 江田 鎌治郎(えだ かまじろう、1872年6月22日(明治5年5月17日) - 1957年(昭和32年)5月7日)は、日本の技術者、実業家。速醸酛の発明者として知られ、「酒聖」「酒造界の大恩人」と賞される。 1872年(明治5年)、新潟県糸魚川に生まれる。新潟師範学校、東京高等工業学校応用化学科(現・東京工業大学)卒業。東京税務監督局、大蔵省醸造試験所、大阪工業大学講師などを歴任。1909年、速醸酛を開発した。大蔵省を退官後、1933年(昭和8年)に江田醸造研究所(後の江田醸造株式会社)を設立。1916年に勲六等瑞宝章、1955年に紫綬褒章を受賞。 没後、日本生物工学会による生物工学奨励賞(江田賞)が創設された。
前田 武四郎(まえだ たけしろう、1867年5月14日 - … 前田 武四郎(まえだ たけしろう、1867年5月14日 - 1931年1月21日)は、日本の電気技術者、実業家。日本電気の共同創業者として知られる。 慶応3年4月11日(グレゴリオ暦1867年5月14日)、前田武平の次男として越後国北蒲原郡堀越村大野地(現阿賀野市)で生まれた。実家は裕福な農家であったが前田は郷里で農業を続けることを望まず、1882年(明治15年)に親に無断で上京し、中村正直の同人社に入塾。親もやがて軟化して遊学を許し、前田は2年後に学業を終えて一度帰郷するが、給費付きの学校である電信修技学校のことを知り、1884年(明治17年)に再び上京、入学した。1887年(明治20年)2月に同校を卒業すると逓信省に入省した。
広川 広四郎(ひろかわ こうしろう、旧字体: 廣川 廣四郞、… 広川 広四郎(ひろかわ こうしろう、旧字体: 廣川 廣四郞、1864年10月13日〈元治元年9月13日〉 - 1896年〈明治29年〉10月22日)は、明治期の日本の鉄道技術者、自由民権運動家。 仙石貢らとともに東京市街高架鉄道(現在の山手線および京浜東北線の上野駅・浜松町駅間の高架線区間)および中央停車場(現在の東京駅)の計画、設計をおこなった。広川は計画設計作業従事中に倒れ、32歳で死去した。 越後国三島郡飯塚村(現在の新潟県長岡市飯塚)に、広川甚左衛門とちやの次男として生まれる。[要出典]父は小さい頃に死別し、母のもとで育てられる。1878年(明治11年)、長岡学校(現在の新潟県立長岡高等学校)に入学した。