西出 則武(にしで のりたけ、1954年8月26日 - )は… 西出 則武(にしで のりたけ、1954年8月26日 - )は、日本の国土交通技官。第24代気象庁長官。 石川県小松市出身。石川県立小松高等学校を経て、1979年(昭和54年)東京大学大学院理学系研究科修了後、気象庁入庁。札幌管区気象台技術部長、地震火山部地震津波監視課長、地震火山部管理課長、総務部企画課長、福岡管区気象台長、地震火山部長を経て、2014年4月1日付で前任の羽鳥光彦の後任として就任。 2016年3月末で長官を退官。東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻固体地球物理学講座特任教授。
竹中 博康(たけなか ひろやす、1950年 - )は、日本の… 竹中 博康(たけなか ひろやす、1950年 - )は、日本の地方公務員。石川県商工労働部長や、石川県教育委員会教育長、石川県副知事を経て、石川県信用保証協会会長。瑞宝中綬章受章。 石川県七尾市生まれ。石川県立七尾高等学校を経て、1973年専修大学経営学部卒業、石川県入庁。管財課長として石川県庁の移転を担当したのち、企画振興部次長や、商工労働部長、石川県教育委員会教育長を経て、2012年から副知事を務め、雪害対策などにあたった。2020年任期満了退任、石川県信用保証協会副会長。同年 同協会長。石川県音楽文化振興事業団理事長なども務めた。 2021年4月 令和3年春の叙勲で地方自治功労により瑞宝中綬章を受章。
北出 武夫(きたで たけお、1944年2月9日 - )は、日… 北出 武夫(きたで たけお、1944年2月9日 - )は、日本の国土交通技官。気象庁長官を務めた。理学博士。 石川県金沢市出身。1966年に京都大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1998年4月に仙台管区気象台長、20年4月に予報部長を経て、2003年4月から2004年4月までに長官を務めた。 2014年4月に瑞宝重光章を受章。
鶴来 紘一(つるぎ こういち、1939年または1940年 -… 鶴来 紘一(つるぎ こういち、1939年または1940年 - )は、日本の地方公務員。神戸市都市計画局長、同市建設局長、同市助役、同市住宅供給公社理事長を歴任。瑞宝小綬章受章。 石川県立金沢泉丘高等学校卒業、金沢大学工学部土木工学科卒業。神戸市役所入庁後、都市計画畑を歩み、都市計画局計画部計画課長、土木局西土木事務所長、都市計画局計画部長、企画調整局参与(技術担当)などを歴任後、1995年 (平成7年) 1月17日 阪神・淡路大震災発生。同月25日 市都市計画局長だった鶴来は建設省幹部に対し新長田駅南側について区画整理と再開発を要望。スピード重視の計画策定の中心を担った。1997年4月 都市計画局長を松下綽宏と交代し市田清弘の後任として建設局長、同年11月 前野保夫とともに神戸市助役。
杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 -… 杉山 栄太郎(すぎやま えいたろう、1923年2月18日 - 2023年4月25日)は、日本の地方公務員。石川県副知事を務めた。 石川県金沢市出身。旧松任農学校(現・石川県立翠星高等学校)卒業後、従軍を経て1947年に石川県庁に入庁。 秘書課長、総務部長などを経て1979年12月より県副知事を務める。 1991年、副知事を退職し石川県知事選挙に立候補したが、現職の中西陽一に約1万1000票及ばず落選した。 1997年、勲二等瑞宝章を受章。 2019年時点では世界連邦運動協会石川県連合会の名誉会長を務めていた。 2023年4月25日、誤嚥性肺炎のため死去。100歳没。
箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月1… 箸本 太吉(はしもと たきち、1892年(明治25年)7月16日 – 1961年(昭和36年)7月25日)は、衆議院議員(立憲政友会)、外務参与官。ジャーナリスト。 石川県金沢市出身。日本大学で学んだ後、『中外商業新報』政治部記者となり、ロンドン特派員を務めた。その後『萬朝報』に入社し、常務取締役営業局長・編集局長、専務取締役・主筆を歴任した。また平沼騏一郎日本大学総長の秘書や日本大学講師を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に石川県第1区から出馬し、初当選。合計で5期務めた。その間、平沼内閣で外務参与官に就任した。 1946年(昭和21年)、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となった。
村井 長八郎(むらい ちょうはちろう、1881年(明治14年… 村井 長八郎(むらい ちょうはちろう、1881年(明治14年)2月28日 - 1945年(昭和20年)11月9日)は、大正・昭和期の農林技官、華族(男爵)。加賀八家村井家第12代当主。 加賀藩重臣村井長在の嫡男村井又六の子として金沢に生まれる。1900年、父の隠居により家督を継ぎ、同年5月9日に祖父長在の明治維新における功績により男爵に叙爵された。 金沢第一中学校、盛岡高等農林学校を卒業。1909年、農商務省に入り福島・長野・水戸各営林署長等を歴任した。1935年、退官し前田侯爵家嘱託に就いた。