中川 真依(なかがわ まい、1987年4月7日 - )は、日… 中川 真依(なかがわ まい、1987年4月7日 - )は、日本の元飛び込み選手。 石川県小松市出身。小松市立高等学校、金沢学院大学経営情報学部スポーツビジネス学科卒業。金沢学院大学大学院修了。2015年現在、石川ダイビングクラブ所属。兄と姉がいる。 中学3年の時に世界ジュニア選手権に初出場を果たす。 高校1年からインターハイ、国体を2年連続で制覇。高校2年から日本選手権の高飛び込みで2連覇を達成するが、翌年当時中学生の浅田梨紗(JSS宝塚。現:立命館大学)に大会3連覇を阻止される。高校の先輩でもある山下美沙子(北國銀行)と組んだシンクロ高飛込みでは、2005年世界選手権で9位となった。東アジア大会で銅メダルを獲得。
東 小雪(ひがし こゆき、1985年2月1日 - )は、日本… 東 小雪(ひがし こゆき、1985年2月1日 - )は、日本のLGBT[注 1]活動家、舞台俳優、文筆家。本名同じ。2005年から2006年までは「あうら真輝」(-まき)の芸名で宝塚歌劇団花組に男役として所属。退団後の2010年秋よりLGBT支援に携わっている。
山下 美沙子(やました みさこ、1983年5月4日 - )は… 山下 美沙子(やました みさこ、1983年5月4日 - )は、石川県出身の元飛び込み選手。寺井町立寺井中学校(現・能美市立寺井中学校)、小松市立高等学校、早稲田大学教育学部教育学科卒業。大学卒業後の所属は北國銀行。160 cm、52 kg。 飛び込みを始めたのは小学4年生の時で、始めて1年足らずで全国ジュニアオリンピック11歳以下男女混合の部で優勝。寺井中学3年の時に、1998年の日本選手権の3m飛板飛び込みで優勝するなど国内のトップ選手として活躍。 しかし、山下の現役当時は実力者がひしめいていたこともあり、オリンピックと世界選手権のいずれも出場できずにいた。後に、世界選手権には、2005年大会と2007年大会に出場している。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月… 駒井 志づ子 (こまい しづこ、1903年(明治36年)2月18日 - 1978年(昭和53年)1月2日)は、大正・昭和期に活動した、石川県出身の女性運動家、政治家、歌人。 1951年(昭和26年)に女性初の石川県議会議員となり、以降5期25年にわたって在任した。 当時金沢市議会議員(後の第6代金沢市長)であった飯尾次郎三郎の長女として生まれる。 1918年(大正7年)、石川県立金沢第一高等女学校(現在の金沢二水高等学校)を卒業。 1920年(大正9年)に法学士の駒井粂吉と結婚したが、1934年(昭和9年)に死別した。夫の粂吉は、読書家で政治に関心を持っており、このことが妻の志づ子にも影響を与えたとされる。
川崎 悦行(かわさき えつこう、かわさき えつぎょう、190… 川崎 悦行(かわさき えつこう、かわさき えつぎょう、1901年 - 1923年11月12日)は、戦前の日本の政治運動家、初期の共産主義運動家である。 石川県輪島市出身。本名川崎 憲次郎。輪島男児尋常高等小学校を経て、1915年石川県立金沢商業学校に入学。在学中弁論部員として活動するかたわら、社会運動に関心をもち中途退学した。帰郷して總持寺祖院に入り、禅僧となって「悦行」の僧名を受けた。 1921年、上京して暁民会に参加、のち日本社会主義同盟の機関紙編集にたずさわった。1922年7月15日の日本共産党の結成に参加した。 1923年2月4日の党第2回大会で、共産青年同盟の組織準備委員に任命され、4月5日創立された日本共産青年同盟の初代中央委員となった。
土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1… 土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1日 - 1967年(昭和42年)6月26日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鳳至郡剱地村(門前町剱地を経て現輪島市門前町剱地)で、土井太郎、ユウ夫妻の三男として生まれる。1915年(大正4年)小学校を卒業し足尾銅山で働く。1919年(大正8年)に上京して芝浦製作所(現東芝)に入社し電気工として務め、友愛会芝浦支部に加わり、1920年の芝浦争議に参加して解雇された。1922年(大正11年)日本労働学校を卒業した。 1925年(大正14年)日本労働総同盟(総同盟)調査部員、1928年(昭和3年)から総同盟調査委員に就任し、1940年(昭和15年)の組織解散まで各地の労働争議を指導した。
加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月… 加藤 閲男(かとう えつお、1900年 <明治33年> 9月5日 - 1975年 <昭和50年> 12月5日)は、昭和時代の労働運動家。国鉄労働組合(国労)初代執行委員長。位階は正五位。 熊本県熊本市生まれ。石川県金沢市出身(本籍)。釜山中学校卒業。1920年から国鉄に勤務。敗戦直後は両国駅助役をしていたが、当局の推挙で組合活動に参加。国鉄千葉従組委員長を経て、1946年国鉄東京地方労組委員長に就任。同年7月に運輸省が国鉄7万5000人の整理を発表に対し、9月に国鉄総連合はスト決行の方針で大会を開催し、大阪など5地連はスト延期を主張して退場したが、東京など4地連はストの指令を発した。スト決行前に当局が7万5000人の整理を全面的に撤回したため、争議に勝利した国鉄総連合はスト中止を決定。
館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15… 館 俊三(だて しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15日 - 1964年〈昭和39年〉4月6日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鹿島郡七尾町(現七尾市)で生まれる。1916年(大正5年)石川県立七尾中学校(現石川県立七尾高等学校)を卒業し、小学校准訓導心得となる。 1920年(大正9年)鉄道省に入省し函館駅改札掛に就任。鉄道局書記、鉄道官補、函館駅助役を歴任。1946年(昭和21年)函館駅従業員労働組合の結成発起人となり、また同年5月に結成された国鉄北海道労働組合の委員長に就任。同年4月、第22回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙で北海道第3区から日本社会党所属で出馬して初当選。
松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1… 松谷 與二郎(略字表記「松谷与二郎」、まつたに よじろう、1880年6月4日 - 1937年3月17日)は、日本の政治家、衆議院議員、弁護士、社会活動家。 石川県金沢市生まれ。1903年、明治法律学校卒業。 1914年に弁護士を開業し、虎の門事件で難波大助の国選弁護人を引き受けるなど、社会運動、小作争議の弁護活動に活躍する。 1926年、日本労農党創立に参加、全国大衆党、全国労農大衆党の顧問を務める。1930年、第17回衆議院議員総選挙において東京6区から日本大衆党の候補として出馬し、衆議院議員に初当選する。その後全国大衆党・全国労農大衆党を経て、1932年には社会大衆党の顧問に就く。しかし満州事変の評価をめぐって社大党と対立して離党し、以後新日本建設同盟・国民同盟・日本国家社会党を経て、1934年に勤労日本党総理となった。
小野 太三郎(おの たさぶろう、1840年2月17日(天保1… 小野 太三郎(おの たさぶろう、1840年2月17日(天保11年1月15日) - 1912年(明治45年)4月5日)は、幕末から明治時代の日本の社会事業家・慈善家。名は他三郎とも表記される。 加賀の金沢に生まれる。実家は古本の商店だった。若くして眼の病気を患い、視覚障害者となりながらも盲人を中心に慈善活動に携わった。後に金沢藩に仕え、1864年(元治元年)に発生した加賀の大飢饉で農作物が不作となり貧困に陥った平民に慈善を行った。明治維新後は古着屋を経営し、後に廃藩置県により非藩の小屋が廃止となる。1873年(明治6年)には金沢市内に1棟につき約20人の盲人や窮民を集い、救済活動を始めた。 その後も施設を増築し、1890年(明治23年)までには20棟の慈善施設を建設し、約400人の窮民を集め慈善活動に貢献した事が記録されている。