山本 卓卓(やまもと すぐる、1987年6月9日 - )は、… 山本 卓卓(やまもと すぐる、1987年6月9日 - )は、日本の劇作家・演出家。劇団「範宙遊泳」主宰。山梨県出身。本名は山本 卓(読み同じ)。 舞台上に投影した文字・写真・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、海外公演や共同制作も活発に行う。 『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。『うまれてないからまだしねない』で第59回、『その夜と友達』で第62回、『バナナの花は食べられる』が第66回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート、第66回で受賞。
奥秋 泰男(おくあき やすお、1965年11月2日 - )は… 奥秋 泰男(おくあき やすお、1965年11月2日 - )は、日本の演出家、映画監督、CMディレクター、実業家である。 桑沢デザイン研究所卒業後、広告代理店勤務を経て、1999年に株式会社ヌーヴォを設立し、代表に就任。 大手企業のプロモーション映像からミュージッククリップやCMなど数多くの作品を手掛ける。 2015年、劇場映画「かぐらめ」にて長編監督デビュー。 2021年、劇場映画「藍に響け」にて長編2作目監督 2021年、株式会社ナチュラルキャンバス設立、代表に就任 2021年、山梨県都留市にワーケーショングランピング施設THE FOREST設立 ■劇場映画「かぐらめ」 ・第39回モントリオール世界映画祭 ・第24回セントルイス国際映画祭 ・Japan Film Fastival Los Angels 2015 ・Canada Film Fe stival 2016 Royal Reel Winners ■劇場映画「藍に響け」 ・第24回上海国際映画祭 ・28th キネコ国際映画祭 国際審査員ティーンズ部門長編グランプリ
飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は… 飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は、日本の現代美術家、演出家、劇作家、アートパフォーマーである。動物商であったこともあり、Twitterのプロフィールには、自分の職業がわからないとも書いている。 山梨県甲府市生まれ。神奈川県育ち。神奈川県立小田原高等学校卒。高校の演劇部在籍中は安部公房、唐十郎の戯曲を演出。1978年(17歳)唐十郎の「状況劇場(紅テント)」に参加、5年間、音響を担当。1983年に独立し「東京グランギニョル」を旗揚げ。当時庭師であった嶋田久作やバイト先の同僚、ミュージシャンのコシミハルなど演劇未経験者を起用しながら、発語と音楽、物と身体を等価にあつかうような、その「残酷劇」は、当時の小劇場の中でも異質な存在として注目されるも、4作品で解散。
石原 慎一(いしはら しんいち、1960年5月26日 - )… 石原 慎一(いしはら しんいち、1960年5月26日 - )は、日本の男性歌手、俳優、声優、ナレーター、作曲家、演出家。山梨県甲府市出身。血液型はA型。愛称は「慎ちゃん」など。 幼い頃より、キーボードなどの音楽教育を受ける。大学2年在学中から片桐和子、山口英治にヴォーカルを師事し、本格的に歌のレッスンを始める。大学卒業後、1983年に東京ディズニーランドのスモールワールド・ステージ「キッズ・オブ・ザ・キングダム」のプリンス役でデビュー。翌年1984年、ディズニーから離れ、「超電子バイオマン」のカバーをソニーからリリースし歌手デビュー。その後、アメリカ遊学等を経て、1985年より千葉繁が主宰の劇団バーストマンに参加(2000年に解散)。
赤羽 博(あかばね ひろし、1951年7月4日 - )は、テ… 赤羽 博(あかばね ひろし、1951年7月4日 - )は、テレビドラマ、映画作品の監督・演出家である。山梨県甲府市出身。 1951年7月、山梨県甲府市生まれ。 専修大学法学部法律学科に入学したが、自分には「法学」が合わないと思い、卒業後の就職先として、映像制作を志し、その頃バイトしていたTBSの報道部の部長にドラマ制作現場を紹介してもらい面接を受けた。1975年、専修大学法学部法律学科卒業後、木下プロダクションと連携しているある番組制作会社に就職した。その当時親や親戚は故郷の山梨県庁に就職するように勧めていたので猛反対されたがそれをバネに努力してきた。 テレビドラマのチーフ助監督になるべく、約4年の下積みの後、1979年、退社してフリーによるテレビドラマの助監督(AD)となり、自己の演出技能を磨くため、当時の民放各局のメイン・ディレクターたちと一緒に仕事をして能力を高め、人脈を築いていった。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。