吉村 和敏(よしむら かずとし、1967年 - )は、日本の… 吉村 和敏(よしむら かずとし、1967年 - )は、日本の写真家。長野県松本市生まれ。 中学3年の時に友人が所有していたコンパクトカメラで写真を撮りあう内にカメラに興味を覚える。進学した長野県田川高等学校では写真クラブに入部し、学校周辺の人里の風景を撮影していた。 高校卒業後に上京し印刷会社へ就職するが、サラリーマンとしての仕事に疑問を感じ2年後に退職する。高校時代に好きだった写真を仕事にしたいと考えるようになり、カメラマンになるためカナダへ移住。カナダ横断中に立ち寄ったプリンスエドワード島の風景に惹かれ、シャーロットタウンにアパートを借り写真を撮り溜めた。 移住から1年間後に帰国。当初は仕事はなかったものの、プリンスエドワード島の取材が、雑誌『私のカントリー』(主婦と生活社)で特集される。
遠藤 湖舟(えんどう こしゅう、1954年 - )は日本の写… 遠藤 湖舟(えんどう こしゅう、1954年 - )は日本の写真家、現代美術家。「湖舟」は本名。 2007年写真集『宇宙からの贈りもの』(講談社刊)出版。2015年高島屋で大規模巡回写真展が開催され、8万人を動員した。この展覧会では「会場、作品ともにカメラ撮影可能、撮影された画像のSNS発信可能」とし、日本において、展覧会鑑賞者の自由度を高める先駆的役割を果たした。また、龍村美術織物とのコラボレーションで、世界で初めて写真を帯に織り上げた(5種)。写真展は900x1800mmを基本ユニットとし、パネル、アクリル板やガラス板へのダイレクトプリント、テキスタイルへのプリント、映像展示、音声などを駆使した空間構成を特徴とする。
白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日… 白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日本の広告写真家。公益社団法人日本広告写真家協会(APA)会長(2008年 - )。日本写真家協会会員。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、千葉大学工学部写真工学科を卒業。資生堂宣伝部写真部、博報堂写真部(現・博報堂プロダクツ)を経て、1989年に白鳥写真事務所を設立した。博報堂フォトクリエイティブ在籍中、大貫卓也が創作した多くの作品に関わる。 APA賞、毎日広告デザイン賞最高賞、日経広告賞グランプリ、読売広告大賞金賞、朝日広告賞、APAアワード経済産業大臣賞、ACC全日本CMフェスティバル金賞など、多数の賞を受賞した。 人物や商品など被写体の種別・大小を問わず、起こりうる限りのあらゆる広告撮影に精通するため、大手クライアントやアートディレクターからの信頼が厚く、加えて時代に左右されない普遍的な撮影センスによって、博報堂に在籍した1980年代から現在に至るまで、常に日本の広告写真の第一線で活躍する[要出典]。
吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビ… 吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビディレクター、写真家、オルタスジャパン相談役兼ディレクター・プロデューサー。弟はノンフィクション作家・日本ペンクラブ前会長の吉岡忍。 長野県佐久市出身。1968年3月、東京写真大学卒業。フリーの写真家として1969年から1972年の復帰まで沖縄県に転居。コザ暴動など、沖縄が日本に復帰するまで激動の4年間を取材する、1971年11月10日に発生した沖縄ゼネスト警察官殺害事件では、現場に居合わせた吉岡は、火炎瓶の炎に包まれ倒れた機動隊員の姿を撮影、そのことを知った琉球警察(当時)は、証拠写真の押収を目的に「殺人及び公務執行妨害」という容疑で自宅に踏み込み、押収したため、沖縄だけではなく本土のマスコミや、メディアで活躍する人たち、日本社会党の国会議員や市民活動家らが『押収は報道の自由を侵すもの』として反対運動を展開。
中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は… 中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は、日本の報道写真家。敬愛大学・環境情報研究所客員研究員、現代写真研究所副所長、日本写真家協会会員。日本リアリズム写真集団代表理事。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校卒業、中央大学工学部中退。 1970年以降のベトナム戦争の取材を通じて、枯葉剤による人体・環境被害を伝える作品を発表。土門拳らの推挙により、1976年の第1回JRP公募展「視点」大賞受賞を皮切りに、第8回伊奈信男賞など数々の賞を受賞。「母は枯葉剤を浴びた」(新潮文庫)は20年間に27万部余のロングセラーとなった。
木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 20… 木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 2015年1月12日)は、日本の写真家。日本福祉大学客員教授。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。1955年長野県諏訪清陵高等学校卒業。日本福祉大学社会福祉学部を卒業後、中日新聞社、博報堂に勤務し、広告写真などに携わる。音楽好きで演奏会に通ううちに、勤務地の名古屋で開催される音楽演奏会の記録撮影の仕事を得る。これをきっかけに、音楽をめぐる写真を撮影するようになる。1970年『音と人との対話 音楽家 木之下晃写真集』を自費出版。これにより、1971年日本写真協会賞新人賞を受賞。1973年、フリーランスの写真家となる。初期は主としてポピュラー音楽の演奏会を対象に、広告写真での経験を生かし、ブレやゆがみなどの効果を駆使した「音の映像化」というテーマを追求したが、80年代にはクラシック音楽を対象に、音楽家の演奏中のポートレートに取り組む。
行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 20… 行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 2025年10月11日 )は日本の写真家。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)生まれ。長野県永明高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科中退。1955年学習研究社入社。社会部カメラマンから映画部に転じる。1961年退社しフリーランスとなる。
藤本 四八(ふじもと しはち、1911年(明治44年)7月2… 藤本 四八(ふじもと しはち、1911年(明治44年)7月25日 - 2006年8月19日)は、日本の写真家。古美術を撮影した写真作品で知られる。兄は美術雑誌・美術本編集者の藤本韶三。
熊谷元一(くまがい もといち、1909年7月12日 - 20… 熊谷元一(くまがい もといち、1909年7月12日 - 2010年11月6日)は、日本の写真家、童画家。
島田 謹介(しまだ きんすけ、1900年6月28日 - 19… 島田 謹介(しまだ きんすけ、1900年6月28日 - 1994年6月30日)は、日本の写真家。 長野県埴科郡松代町(後の長野市松代)に、医師の息子として生まれ、旧制長野中学(長野県長野高等学校の前身)を卒業する。中学校時代は画家志望であったが、結核にかかり療養を余儀なくされる中で、病床で目にしたシベリア出兵の報道写真をきっかけに、報道カメラマンを志すようになり、1920年に中学校を卒業して上京した。 1920年、朝日新聞東京本社に入社して社会部写真係に所属する報道カメラマンとなり、1923年に『アサヒグラフ』が創刊されるとその写真班員となった。以降、関東大震災(1923年)、五・一五事件(1932年)、二・二六事件(1936年)などの取材にあたった。