野口 あや子(のぐち あやこ、1987年5月23日 - )は… 野口 あや子(のぐち あやこ、1987年5月23日 - )は、日本の歌人。 岐阜県出身。15歳の頃、独学で短歌を作り始める。岐阜県立華陽フロンティア高等学校通信課程を経て、愛知淑徳大学文化創造学部(現、創造表現学部創作表現専攻)を卒業。大学では小説家の諏訪哲史ゼミに学ぶ。2004年に幻桃短歌会、2006年に未来短歌会に入会、2026年3月に退会した旨を自身のXで書いている。 着物愛好家。松村あや、加藤治郎に師事。離婚歴、交際相手からのDVをエッセイなどに記載。 高校在学中(ただし中学卒業後すぐに入学していないので19才)の2005年に作品「セロファンの鞄」30首で第48回短歌研究新人賞次席。翌2006年に作品「カシスドロップ」30首で第49回短歌研究新人賞を受賞。
澤村 斉美(さわむら まさみ、1979年5月7日 - )は、… 澤村 斉美(さわむら まさみ、1979年5月7日 - )は、日本の歌人。岐阜県岐阜市出身。「塔」短歌会所属。 京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程中退。1999年、京都大学短歌会に入会し歌作を始める。2006年に「黙秘の庭」50首で第52回角川短歌賞受賞。2007年、毎日新聞社に校閲記者として入社。2008年、第一歌集『夏鴉』にて第34回現代歌人集会賞、第9回現代短歌新人賞をそれぞれ受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
清水 イチロウ(しみず イチロウ、1971年12月25日 -… 清水 イチロウ(しみず イチロウ、1971年12月25日 - )は、日本の飲食店経営者、俳人。 岐阜県高山市出身、岐阜県立斐太高等学校、早稲田大学卒業。血液型AB型。 姉はタレントの清水ミチコ。 実家は1969年に開店した高山市初のジャズ喫茶。自身は東京で映画監督を目指していたが、従業員不足により実家に呼び戻され、そのまま後を継いだ。 細野晴臣や高田渡のモノマネをこなす。細野のモノマネは細野本人にも気に入られており、細野や矢野顕子、姉ミチコのコンサートにたびたびゲスト出演をしている。矢野顕子の40周年記念コンサートでは、細野晴臣役として姉と共に出演した。 小学校のときのあだ名は、いっちゃん。中学校、高校ではハンドボール部に所属しておりエースだった。
北川 草子(きたがわ そうこ、1970年1月20日 - 20… 北川 草子(きたがわ そうこ、1970年1月20日 - 2000年4月10日)は、岐阜県出身の歌人。本名、村瀬直美。 岐阜県立岐阜北高等学校、早稲田大学第一文学部西洋史学科卒業。大学卒業後は第一勧銀情報システムに入社。 早稲田短歌会を経て「かばん」に入会。早大児童文学研究会にも所属し、「北川想子」の名前で童話の執筆もしていた。 1991年、童話『秋の日のサリちゃん物語』において、毎日新聞主催第8回小さな童話大賞・工藤直子賞を受賞。 1994年、『人魚』で第9回短歌現代新人賞佳作。 2000年に病気により急逝。2001年、歌集『シチュー鍋の天使』が遺歌集として、高柳蕗子を代表とした有志の手によって刊行された。
西田 政史(にしだ まさし、1962年- )は、日本の歌人。… 西田 政史(にしだ まさし、1962年- )は、日本の歌人。 岐阜県美濃加茂市出身。愛知県名古屋市在住。愛知県立大学外国語学部英米語学科を卒業。大学在学中に同級生の荻原裕幸と出会ったことで短歌を始める。歌誌『玲瓏』にて塚本邦雄に師事。1990年に「ようこそ!猫の星へ」で第33回短歌研究新人賞を受賞。1993年に第一歌集『ストロベリー・カレンダー』を刊行。 『ストロベリー・カレンダー』は、記号(コードネームや発音記号、ワープロ文字)を含む歌、カタカナと平仮名を反転させた歌、テレビゲームの空間に入り込んで詠ったバーチャルリアリティの歌などの実験的要素を導入しており、穂村弘、加藤治郎、荻原裕幸らとともに90年代前半の「ニューウェーブ短歌」の一翼を担った。
日置俊次(ひおき しゅんじ、1961年)は、日本の歌人、小説… 日置俊次(ひおき しゅんじ、1961年)は、日本の歌人、小説家、日本近代文学研究者、青山学院大学文学部教授。専門は横光利一、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、窪田空穂、井伏鱒二、太宰治、中島敦、正岡子規、村上春樹、泉鏡花などの作家論のほか、宮崎駿、細田守などを始めとする現代アニメーション論。また、馬場あき子、岩田正などを始めとする現代短歌論。 岐阜県中津川市生まれ。岐阜県立中津高等学校、東京大学文学部国文学科卒業。在学中、サンケイ・スカラシップ奨学生としてフランスへ留学、エクス・マルセーユ第1大学にて言語学を専攻、その後東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程中退。フランス政府給費留学生としてソルボンヌのパリ第3大学大学院博士課程で比較文学専攻、DEA取得。
大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は… 大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、日本の歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。現代歌人協会理事長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。
福永 耕二(ふくなが こうじ、1938年1月4日 - 198… 福永 耕二(ふくなが こうじ、1938年1月4日 - 1980年12月4日)は、日本の俳人。鹿児島県出身。 川辺町生まれ。ラ・サール高等学校在学中より「馬酔木」に投句。1956年、鹿児島大学入学、俳誌「ざぼん」に参加、編集を手がける。1960年、同大学文理学部国文科を卒業、純心女子高等学校に教師として奉職。1965年、能村登四郎の推薦により上京、登四郎の勤める千葉県の私立市川高等学校に勤務する。1969年、「馬酔木」同人。1970年、登四郎の「沖」創刊に参加。同年「馬酔木」編集長。1972年、馬酔木賞、沖賞受賞。代表句に「新宿ははるかなる墓碑鳥渡る」などがあり、青春性、叙情性を湛えた句風であった。
平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日… 平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日本の歌人。 岐阜県岐阜市生まれ。実家は金津の遊郭であったという。3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられる。1944年に遊郭がまるごと岐阜市郊外の長森に移転して疎開するという経験をする。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用される。 1960年に小瀬洋喜が岐阜青年歌人会の機関誌として発行した同人誌「斧」の創刊メンバーとなり、2年ほど同誌に拠って活動。60年代の前衛短歌運動を牽引した。1961年に第一歌集『顔をあげる』を発表。その後しばらく歌作から離れるが、冨士田元彦のすすめで「現代短歌 雁」誌上にて復帰し、1976年に第二歌集『前線』を発表。
小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ … 小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ じろう)、 1922年9月13日 - 2006年1月17日)は、俳人。 岐阜県出身。1941年に「馬酔木」に入門。加藤かけい、山口誓子などに師事し、1953年第4回「天狼」賞受賞、1955年「天狼」同人。1958年「河口」を発行、1963年「地表」を創刊、主宰になる。2005年に現代俳句協会の第5回「現代俳句大賞」を受賞する。 瀧実業学校(現滝高等学校)甲種商業科を卒業後、住友本社に入社。1953年より1959年まで胸部疾患により、病臥に臥す。1959年カトリックに受洗し、のち名古屋の出版社黎明書房に入り、定年まで勤める。一時期、広島平和祈念式典に参列した。
柳田 知常(やなぎだ ともつね、1908年5月26日 - 1… 柳田 知常(やなぎだ ともつね、1908年5月26日 - 1995年1月25日)は、日本の国文学者、俳人。 岐阜県大垣市出身。別名読み・ちじょう。1930年東京帝国大学文学部国文学科卒。各地の中学教諭を経て、1947年金城女子専門学校教授、72年から金城学院大学学長、79年定年退任、名誉教授となる。1925年キリスト教入信。倉田百三主宰の「生活者」に参加。また俳誌「橋」を主宰する。
内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 197… 内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 1976年5月12日)は、岐阜県出身の俳人、薬学者。本名は多喜夫。別名に龍膽寺旻、別号に萱雨亭(けんうてい)がある。 岐阜県大垣市生まれ。東京帝国大学薬学科卒。のち名古屋市立大学薬学部長、名城大学薬学部教授などを歴任。岡山六高時代より志田素琴、大須賀乙字に俳句を学び、「獺祭」「草上」「東炎」などに関わる。1946年に「早蕨」を創刊・主宰。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」など、格調の高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風になった。句集に『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』など。また詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説や詩集の翻訳もある。
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉… 下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉、1854年9月29日〈嘉永7/安政元年8月8日 - 1936年〈昭和11年〉10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者、歌人(号は香雪)。女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。祖父は儒学者東条琴台。 美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)にて、岩村藩士平尾鍒蔵と房子(挙母藩武久氏)の長女として生まれる。実弟は平尾鍗蔵。 祖父東条琴台は江戸の医家から平尾家に婿入したが、鍒蔵が生まれた後、藩内学閥との確執から離縁。鉐の幼少期、父鍒蔵(1818–1898)は尊王攘夷論を説いたため、安政4年と明治元年に2度謹慎処分を受け、計10年の蟄居を強いられた。
加藤 素毛(かとう そもう、1825年11月26日(文政8年… 加藤 素毛(かとう そもう、1825年11月26日(文政8年10月17日) - 1879年(明治12年)5月12日)は、江戸時代後期から明治時代初期の俳人である。 名は雅英。幼名は藤平(後に十郎)、号は素毛、周海、米行子、霊之庵、君林舎。 江戸幕府の万延元年遣米使節随行員の一人である。 飛騨国益田郡下原郷下原町村(現・岐阜県下呂市)の名主、加藤三郎右衛門の次男として生まれる。高山で飛騨郡代の公用人となる。当時の郡代であった小野高福から漢学、地役人山崎弘泰(田中大秀の門弟)から国学、山崎弓雄(山崎弘泰の子)から和歌を学ぶ。また小野高福の子である山岡鉄舟とも交流する。 嘉永5年(1852年)に公用人を辞し、関西、九州へ吟行の旅に向かう。