栃清龍 勇気(とちせいりゅう ゆうき、1995年4月26日 … 栃清龍 勇気(とちせいりゅう ゆうき、1995年4月26日 - )は、岐阜県岐阜市出身で、春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名は長尾 勇気(ながお ゆうき)。身長173.8cm、体重137.4kg、血液型はB型。最高位は西幕下7枚目(2021年7月場所)。 兄は同じ春日野部屋に所属する栃岐岳。 兄(栃岐岳)の影響で4歳の時から地元の岐阜木曜クラブで相撲を始めた。岐阜市立常磐小学校3年次に全日本小学生相撲優勝大会4年生以下の部で優勝、4年次にわんぱく相撲全国大会で優勝してわんぱく横綱のタイトルを獲得したほか、小学生優勝大会でも準優勝、5年次にわんぱく相撲全国大会で3位入賞した。岐阜市立青山中学校在学中は兄の通っている岐阜農林高校で稽古をつけてもらっており、これが縁となって中学校卒業後は同高校に進学した。
良安 大宜(よしやす まさたか、1994年5月12日 - )… 良安 大宜(よしやす まさたか、1994年5月12日 - )は、岐阜県大垣市出身で、木瀬部屋所属の現役大相撲力士。本名は田邉 大宜(たなべ まさたか)。身長190.5cm、体重135.3kg。最高位は西幕下8枚目(2023年1月場所)。 小学校4年時から大垣ジュニアクラブ花木道場で相撲を始めた。金沢学院東高校2年時に金沢大会3位、3年時に宇佐大会2位、国体団体3位の成績を残した。高校卒業後は金沢学院大学人間健康学部スポーツ健康学科に進学し、西日本学生相撲選手権大会では2年時と3年時に団体2位、4年時に団体優勝、金沢大会で4年時に団体3位の成績を残している。 大学卒業後は大相撲の木瀬部屋に入門して、2017年3月場所で初土俵を踏んだ。
恵那司 千浩(えなつかさ かずひろ、1979年7月9日 - … 恵那司 千浩(えなつかさ かずひろ、1979年7月9日 - )は、岐阜県恵那市(旧明智町)出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 千浩(みずの かずひろ)。 最高位は西幕下20枚目(2004年9月場所)。身長179cm、体重140kg、得意手は押し、左四つ、寄り。 血液型はB型。趣味は温泉サウナ巡り、食べ飲み歩き。 2歳の時に父を亡くし、母と兄の3人家族に育つ。小学生の頃は新聞配達を手伝った。中学卒業後に入間川部屋に入門し、1995年5月場所において初土俵を踏んだ。2000年3月場所において幕下へ昇進するものの、関取への昇進は果たせず、現役晩期は幕下と三段目との往復が続いていた。また、相撲甚句を担当していた。
恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )… 恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )は、岐阜県恵那郡坂下町(※現役当時、現・同県中津川市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は早川 徹(はやかわ とおる)。最高位は西前頭筆頭(1990年11月場所)。現役時代の体格は180cm、135kg。得意手は右四つ、突っ張り、押し。 一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。 岐阜県立恵那北高等学校(※2007年3月限りで廃校となり、岐阜県立中津高等学校へ統合)を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、押尾川親方(元大関・大麒麟)から勧誘を受けた時に「力士になれば、ちゃんこ料理を作れるよ」と言われた事だという。
飛騨乃花 成栄(ひだのはな しげよし、1953年12月13日… 飛騨乃花 成栄(ひだのはな しげよし、1953年12月13日 - )は、岐阜県大野郡朝日村(現役当時、現・同県高山市)大字浅井出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は平林 修(ひらばやし おさむ)。最高位は西前頭筆頭(1981年11月場所)。身長182cm、体重140kg。得意手は右四つ、上手投げ。 中学校を卒業後に上京して二子山部屋へ入門し、1969年3月場所で初土俵を踏んだ。 取的時代が長く、上位に進むきっかけにと「飛騨乃花」に落ち着くまで6回も改名するほど苦労したが、部屋に関取衆が多くて稽古相手に恵まれ力を付けた。 1979年7月場所で十両昇進、そして1980年9月場所で新入幕を果たした。
4代 木村 正直(よんだい きむらまさなお、1953年8月3… 4代 木村 正直(よんだい きむらまさなお、1953年8月3日 - 2013年1月29日)は、大相撲の元三役格行司である。朝日山部屋所属。 岐阜県多治見市出身。本名は山内幸久(やまうち ゆきひさ)。 3代木村正直(後の立行司24代式守伊之助)に入門。1969年5月場所、木村幸久の名で初土俵。1971年7月に2代木村正義(まさよし)。1984年1月に幕下格ながら4代木村正直襲名。1990年1月に十両格、2003年1月には幕内格、2008年9月に三役格に昇格。 甲高く、ややしゃがれた声が印象的であり、声量が豊かだった。所作は師匠よりも派手で、この独特の所作は賛否両論であった。その所作が災いしたり、年齢を重ねてきたせいもあって、微妙な一番で差し違いが多く見られた。
蜂矢 敏行(はちや としゆき、1950年11月16日 - 2… 蜂矢 敏行(はちや としゆき、1950年11月16日 - 2001年1月27日)は、岐阜県本巣郡根尾村(※現役当時、現在の同県本巣市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じく蜂矢 敏行。最高位は西前頭6枚目(1984年11月場所)。現役時代の体格は180cm、110kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 地元・根尾村の中学校を卒業後、愛知県犬山市のスーパーマーケットに勤務していたが、1967年7月に相撲見物に行った事を切っ掛けに相撲取りになる事を決意。しかし、体重が規定の75kgより下回っていたため、その後故郷に戻って体重増加に努めた。 1年後、春日野部屋への入門を許され、1968年9月場所で初土俵を踏んだ。
栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - … 栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - 1992年1月11日)は、岐阜県岐阜市出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。最高位は西十両9枚目。本名は臼井 仁志(うすい ひとし)。身長187cm、体重133kg。得意技は押し。 旧大日本帝国海軍の海軍相撲で鳴らした父の影響で、岐阜市立明郷中学校2年生より相撲を始める。春日野部屋からスカウトされたが、進学を条件に上京し、明治大学附属中野高等学校に入学、春日野部屋に住み込みながら高校生活を送る。 高校時代には、1963年、1964年に全国高等学校相撲選手権大会で2連覇。明治大学に進学するも1年途中で退学し春日野部屋に正式に入門。1966年1月場所に初土俵を踏む。
荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 19… 荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 1986年9月5日)は、岐阜県岐阜市弥八町出身(出生地は徳島県徳島市)で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は永野 正(ながの ただし)。最高位は東前頭11枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は177cm、142kg。得意手は左四つ、寄り。 中学校卒業後、時津風部屋へ入門し、1955年3月場所で初土俵を踏んだ。 その後、1960年5月場所で十両昇進、1961年3月場所で入幕を果たした。 しかし、新入幕時に右足を骨折する等、負傷に悩まされた。幕内では結局、1度も勝ち越す事ができなかった。 現役晩年は幕下まで陥落し、1963年5月場所限り、23歳の若さで廃業。
若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没… 若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没年不明)は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 照夫(いとう てるお)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。 16歳の時、元前頭3枚目・大ノ海が率いる芝田山部屋に入門し、1953年3月場所で初土俵を踏んだ(その後、師匠の年寄名変更に伴い、同年5月より所属の部屋名が花籠部屋となる)。 2年近く幕下10枚目以内にあって足踏みをしたが、四股名を「照錦」から「若乃國」に改めた1959年1月場所では東幕下2枚目で7勝1敗と大きく勝ち越し、翌3月場所で十両に昇進。
前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - … 前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - 1979年11月30日)は、岐阜県大野郡上枝村(現在の高山市赤保木町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は三野谷 春夫(みのや はるお)→清水 春夫(しみず はるお)。身長175cm、体重88kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東前頭18枚目(1958年7月場所)。 小学校3年生の時に母を病で亡くし、以後は、父の手1つで育てられた。 地元・上枝村の青年相撲で活躍していた頃、巡業で高山市内を訪れた横綱・前田山に見出され、彼が所属する高砂部屋にスカウトされた。 1949年10月場所で初土俵を踏み、四股名を本名の「三野谷」から「前ヶ潮(ゲン担ぎとして改名、先輩の四股名をそのまま襲名)」と改めた1953年1月場所で三段目優勝を遂げ、幕下も4場所で突破して1954年3月場所で十両に昇進した。
羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年… 羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年)4月23日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山内 昌乃武(やまうち まさのぶ)。身長176cm、体重120kg。最高位は西張出関脇(1956年(昭和31年)3月場所)。得意手は左四つ、櫓投げ、上手投げ。 一時期「羽島山」、「岐阜錦」を名乗った。 17歳の時に出羽海部屋へ入門し、1939年(昭和14年)5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「山内」。以来順調に出世し、1945年(昭和20年)6月場所で新入幕を果たした(その間、初名の「山内」から「羽嶋山」→「羽島山」と2度四股名を変えた。
長良川 彦三郎(ながらがわ ひこさぶろう、1898年12月9… 長良川 彦三郎(ながらがわ ひこさぶろう、1898年12月9日 - 没年不明)は、岐阜県羽島市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉村 彦三郎。最高位は十両11枚目。 出羽ノ海部屋に入門し、「長良川」の四股名で1918年5月初土俵を踏む。1923年1月十両に昇進、3勝6敗と負け越し、幕下に落ちる。1925年5月再十両となるも1勝4敗1預と負け越し再び幕下に落ちた。「金華山」と改名後の1927年1月、十両に復帰したが2場所連続で負け越し、四股名を「長良川」に戻した後の同年10月は3勝8敗と負け越し、1928年10月に廃業した。 長良川→金華山→長良川
国ノ音 治三郎(くにのおと じさぶろう、1880年(明治13… 国ノ音 治三郎(くにのおと じさぶろう、1880年(明治13年)1月25日 - 1960年3月20日)は、明治時代の大相撲力士。本名は大野 治三郎。年寄楯山。 岐阜県席田郡仏生寺村(現在の本巣市)出身。愛知相撲の三ツ湊に入り、緑島と名乗る。その後三ツ湊により東京相撲の友綱に預けられ、1900年1月友緑で序ノ口。1903年5月国ノ音に改名。1905年1月三段目、その年日露戦争に従軍し、勲八等白色桐葉章となる。小柄で出世に乏しかったが、現役時代に師匠の姪を妻とした。年寄の資格は幕下以上と当時制限されていたが、1910年6月友響と改名し、好成績で1911年2月幕下に昇進し、その場所限り引退。年寄楯山となる。
大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉… 大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉永5年5月7日) - 1911年)は、明治時代の大相撲力士。本名:沼波銀之助。 現在の岐阜県大垣市出身。京都相撲から高砂の門下となり1879年5月に序ノ口。1885年の新聞記事では阿武松和介門弟となっている。その後高砂部屋所属となった。 1884年5月には幕下に昇進したが幕下中位で10年一進一退だった。1891年5月最高位の幕下15枚目。1896年頃からは三段目が定位置となっている。 1893年頃からは3日ほど出場し残り2日を休場しており、若者頭を兼務していたようである。1905年頃からは常に三段目中位から下位に位置しており、若者頭を兼務しているためと思われる(同時期ののちに若者頭となった若梅も同様に三段目中位から下位に記されている)。