登龍亭 獅鉃(とうりゅうてい してつ、1990年1月12日 … 登龍亭 獅鉃(とうりゅうてい してつ、1990年1月12日 - )は、岐阜県大垣市出身の落語家・俳優。名古屋市中村区在住。本名∶稲垣 僚祐。 岐阜聖徳学園大学付属高等学校卒業。名城大学人間学部人間学科卒業。 2018年11月26日、雷門獅篭に入門。「字音亭ザク」と命名される。 2019年1月26日、ソーネおおぞねで行われた第1回大曽根獅篭の会において「道灌」で初高座。2月28日「雷門獅鉃」と改名する。(大須赤門28寄席において改名式を行う)3月1日より大須演芸場へ楽屋入りし、5月2日より大須演芸場定席興行で開演時刻より前に高座に上がる(以後毎月)。 2020年4月1日、師匠らとともに亭号を登龍亭に改め「登龍亭獅鉃」。
柳家 燕弥(やなぎや えんや、1977年3月14日 - )は… 柳家 燕弥(やなぎや えんや、1977年3月14日 - )は落語協会所属の落語家である。出囃子は『郡上踊り』。本名∶中島 康貴。岐阜県岐阜市出身。 愛知大学文学部在学中より、落語研究会に所属。 2000年11月、三代目柳家権太楼に弟子入り。前座名は柳家さん太。 2004年7月、柳家さん弥、柳家初花、林家ほや平と共に二ツ目に昇進し柳家右太楼と改名。 2015年3月に三遊亭司、柳家小傳次、四代目桂右女助、柳家海舟、四代目入船亭扇蔵、二代金原亭馬治、二代目金原亭馬玉、三代目柳家さん助、柳家燕弥、三遊亭彩大で真打昇進、「燕弥」を襲名。 書道が趣味であり、書宗院理事長の高橋蒼石に師事(大師匠五代目柳家つばめが書道の方で益を受けた比田井南谷の弟子)。
登龍亭 幸福(とうりゅうてい こうふく、1972年4月1日 … 登龍亭 幸福(とうりゅうてい こうふく、1972年4月1日 - )は、岐阜県各務原市生まれの落語家。本名∶高安 淳。 同じ元落語立川流の立川志加吾(現:登龍亭獅篭)と同時に雷門小福の門下に移っている。これは幸福が岐阜県各務原市出身、獅篭が静岡県浜松市出身、獅篭の元妻が三重県出身ということから、その中間として愛知県を選んだからという。
雷門 幸福(かみなりもん こうふく、1972年4月1日 - … 雷門 幸福(かみなりもん こうふく、1972年4月1日 - )は、岐阜県各務原市生まれの落語家。本名は高安 淳(たかやす あつし)。
林家 卯三郎(はやしや うさぶろう、1970年2月2日 - … 林家 卯三郎(はやしや うさぶろう、1970年2月2日 - )は、上方落語の落語家。本名∶小川 祐之介。岐阜県羽島郡笠松町出身。酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業。1995年獣医師免許取得。 出囃子∶『うさぎ』。紋∶ぬの字うさぎ。 中学生の頃から落語を聞くようになる。岐阜県立羽島北高等学校卒業。大学では落語研究会に入部。1994年に酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業後、岡山県の家畜保健衛生所に獣医師として勤務。4年間畜産の防疫業務に携わるが、落語という長年の夢が捨てきれず1999年に上方落語家の林家染丸に入門する。2002年年季(修行)明けを許される。現在は獣医師の免許を封印し、天満天神繁昌亭や各地域寄席に出演するほか大阪、北海道、岡山などで定期的に「卯三郎の会」を催す。
入船亭 扇治(いりふねてい せんじ、1962年(昭和37年)… 入船亭 扇治(いりふねてい せんじ、1962年(昭和37年)10月24日 - )は岐阜県美濃市出身の落語家。本名は児山 智明(こやま ともあき)。落語協会会員。出囃子は「お前とならば」。上智大学文学部卒業。
三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 -… 三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 - 2005年10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。生前は落語芸術協会に所属。本名∶渋谷 滉。出囃子は『筑摩祭』。 錦城商業学校卒業。映画カメラマンの成島東一郎は中学時代の同級生。 幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線に転向する。
立川 小談志(たてかわ こだんし)は落語の名。当代は二代目。… 立川 小談志(たてかわ こだんし)は落語の名。当代は二代目。 二代目 立川 小談志(1976年9月8日 - )は、岐阜県揖斐郡生まれの落語家。本名∶寺田 政春。 1999年3月、愛知大学経済学部卒業。在学中は落語研究会に所属し、同期に柳家権太楼門下の柳家燕弥がいた。 1999年5月、落語立川流Aコースに入門し、立川 談吉と命名される。2002年5月21日、第三次前座全員破門騒動により立川流を破門となるが、その翌月、破門騒動により前座が一人しかいないという事態に対し立川談志の判断により、立川流一門共有前座という形で復帰。「談一」と改名する。同年7月には「千弗」に改名する。 2007年7月、立川キウイ、立川談大、立川平林、立川吉幸、立川談奈、立川らく里、立川志らべ、立川らく次と共に二ツ目昇進し「泉水亭 錦魚」に改名する。