福留 朗裕(ふくとめ あきひろ、1963年(昭和38年)1月… 福留 朗裕(ふくとめ あきひろ、1963年(昭和38年)1月1日 - )は、日本の銀行家、実業家。三井住友銀行代表取締役頭取。全国銀行協会会長。トヨタファイナンシャルサービス社長などを歴任。 岐阜市出身。岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1985年一橋大学経済学部卒業。 大学のアイスホッケー部の後輩には、みずほフィナンシャルグループの木原正裕社長がおり、1年間一緒にプレーをした。 池間誠ゼミの1年先輩に誘われ、卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。 名古屋営業本部トヨタ担当や、国際金融を長く担当。 2015年には、常務執行役員名古屋法人営業本部長となり、名古屋銀行協会副会長を務めた。
林 信秀(はやし のぶひで、1957年(昭和32年)3月27… 林 信秀(はやし のぶひで、1957年(昭和32年)3月27日 - )は、日本の銀行家。みずほ銀行常任顧問。 岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、東京大学経済学部卒業後、富士銀行入行。いわゆる、みずほ銀行暴力団融資事件を受け、みずほ銀頭取に就任する。 ニューヨークと香港に合計10年以上駐在するなど国際派で知られ、英蘭系の日用品大手ユニリーバや、化学大手の米ダウ・ケミカルのトップとも対等に渡り合ってきた人脈を誇る。その一方で国内リテール業務には必ずしも精通しているとはみなされてはおらず、手腕は未知数だとも報じられている。 自身に課された最大のミッションは、純粋に企業価値と社員満足を上げていく組織をつくること。
村瀬 幸雄(むらせ ゆきお、1956年(昭和31年)12月2… 村瀬 幸雄(むらせ ゆきお、1956年(昭和31年)12月23日 - )は、日本の銀行家。十六銀行頭取。岐阜商工会議所会頭。中部経済連合会副会長。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜県立岐阜高等学校、名古屋大学法学部卒業。 1975年、十六銀行に入行。常務取締役、専務取締役を経て、2013年9月に頭取就任。 同年9月26日の取締役会において、当時頭取の堀江博海からの交代が緊急提案されたため、一部では「クーデターによる頭取就任」と報道されたが「交代はあくまで堀江氏の意思。(他の取締役から)色々意見は出たが、クーデターなどではない」とした。
土屋嶢(つちや たかし、1946年(昭和21年)8月9日 -… 土屋嶢(つちや たかし、1946年(昭和21年)8月9日 - )は、日本の銀行家。大垣共立銀行頭取。大垣商工会議所名誉顧問。2008年(平成20年)藍綬褒章。
早川 周造(はやかわ しゅうぞう、1863年9月20日〈文久… 早川 周造(はやかわ しゅうぞう、1863年9月20日〈文久3年8月8日〉 - 1916年〈大正5年〉4月17日)は、明治時代の政治家・実業家・銀行家。貴族院多額納税者議員。 美濃国安八郡、のちの岐阜県海津郡今尾町(平田町を経て現海津市)出身。早川理右衛門の長男として生まれ、1883年(明治16年)10月、家督を相続する。 1890年(明治23年)の岐阜県会議員選挙に安八郡選挙区から立候補して初当選を果たしたが、任期途中で辞職した。そのほか、南濃銀行頭取、土地家屋貸付会社社長、七十六銀行、真宗生命保険、大垣銀行、美濃商業銀行、竹鼻銀行、岐阜市貯蓄銀行、濃飛農工銀行、治水共同社、福寿生命保険取締役、美濃貯蓄銀行、高須貯蓄銀行各重役などを歴任した。
長尾 四郎右衛門(ながお しろうえもん、1856年1月19日… 長尾 四郎右衛門(ながお しろうえもん、1856年1月19日(安政2年12月12日)- 1916年(大正5年)1月31日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(2期)。貴族院多額納税者議員。 のちの岐阜県武儀郡菅田村(現下呂市)出身。漢学を修める。長尾信七郎の長男として生まれ、1876年(明治9年)5月に家督を相続する。家業の製糸業を発展させ濃武会社を設立し同社長を務めた。菅田町会議員、武儀郡会議員、岐阜県会議員、同常置委員、相続税審査委員、所得税調査委員、地方森林会議員などを歴任したほか、濃飛農工銀行発起人に名を連ね同頭取を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選。
吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日(天保2… 吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日(天保2年9月10日) - 1905年(明治38年)6月4日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。 吉田詠甫の子として美濃高須藩領石津郡高須町(岐阜県下石津郡高須町、海津郡高須町、海津町を経て現海津市)に生まれる。漢学、和歌、茶道を修める。学区取締、地租改正掛を経て、1879年(明治12年)4月、岐阜県会議員に当選。同議長を歴任し、1881年(明治14年)1月、病のため辞した。その後、1884年(明治17年)に再び県議となった。ほか、第七十六国立銀行を興し同頭取を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選。