太田 正孝(おおた まさたか、1886年〈明治19年〉11月… 太田 正孝(おおた まさたか、1886年〈明治19年〉11月13日 - 1982年〈昭和57年〉7月10日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)。 静岡県出身。静岡商業学校、七高を経て、1912年に東京帝国大学法科大学経済学科(現・東京大学経済学部)を卒業し、大蔵省に入省(東京税務監督局兼主税局)。後に主計官となる。 1919年退官。政界入りするまでに報知新聞社副社長、中央大学教授等を務める。1924年には経済学博士号を取得。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会公認で立候補し初当選。その後大蔵参与官、大蔵政務次官などを歴任。1939年の政友会分裂に際し金光庸夫、犬養健らとともに中立派に属す。
小栗 一雄(おぐり かずお、1886年7月8日 - 1973… 小栗 一雄(おぐり かずお、1886年7月8日 - 1973年1月20日)は、日本の内務官僚。県知事、警視総監。 静岡県出身。小栗平七郎の四男として生まれる。静岡中学、第一高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、農商務省に入り東京大林区署に配属される。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。その後、山林事務官補となる。 1914年4月、同郷出身の一木喜徳郎文部大臣の秘書官に就任し文部省参事官を兼務。1915年8月、一木大臣の内務大臣へ異動に伴い内務大臣秘書官に就任。1916年10月、京都府視学官となり、東京府視学官、奈良県警察部長、長崎県警察部長、警視庁衛生部長、警視庁保安部長、大阪府書記官・警察部長、兵庫県書記官・内務部長、大阪府書記官・内務部長などを歴任。
青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 196… 青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、日本の土木技師、内務官僚。位階は従三位。勲等は勲三等。公益社団法人土木学会名誉会員。 ニューヨークセントラル・アンド・ハドソンリバー鉄道、パナマ運河工事委員会での勤務を経て内務技師となり、新潟土木出張所所長、内務技監、社団法人土木学会会長などを歴任した。 静岡県生まれの土木技術者である。内村鑑三の門下となり、東京帝国大学工科大学では広井勇の指導を受ける。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人として知られる。帰国後は内務省に入省し、東京土木出張所においては荒川放水路の建設を指揮した。また、新潟土木出張所では所長として信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。
柴田 善三郎(しばた ぜんざぶろう、1877年11月 - 1… 柴田 善三郎(しばた ぜんざぶろう、1877年11月 - 1943年8月25日)は、日本の官僚。静岡県出身。
河井 彌八(かわい やはち、1877年(明治10年)10月2… 河井 彌八(かわい やはち、1877年(明治10年)10月24日 - 1960年(昭和35年)7月21日)は、日本の官僚・政治家。侍従次長や参議院議長(第4代)を歴任する。静岡県出身。 静岡県佐野郡上張村にて生まれた。1897年(明治30年)静岡県尋常中学校卒業。1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 内務省に入省して佐賀県内政部長代理などを歴任する。1918年(大正7年)に内閣法制局に移り、翌年に貴族院書記官長、1926年に内大臣府秘書官長となった。1927年(昭和2年)から侍従次長兼皇后宮大夫、1930年(昭和5年)から7年間にわたって皇后宮大夫兼侍従次長として昭和天皇・香淳皇后の側近として仕えた。
桜井 鉄太郎(さくらい てつたろう、1865年9月20日(慶… 桜井 鉄太郎(さくらい てつたろう、1865年9月20日(慶応元年8月1日) - 1945年2月20日[3])は、日本の官僚。大蔵次官(心得)、台湾銀行頭取、第5代神戸市長(在任:1920年10月18日[4] - 1922年(大正11年)5月27日[5])。静岡県出身。
笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年… 笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本の内務官僚・政治家。貴族院議員。 静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。静岡県立静岡中学校、第一高等学校を経て、1892年、帝国大学法科大学を卒業した。 1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。その後、警保局監獄課長、山形県参事官、岩手県警察部長、高知県書記官、台湾総督府事務官、台南県書記官、岐阜県書記官、新潟県書記官、同県第一部長、熊本県第一部長などを歴任。 1907年1月、岩手県知事に就任。1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。1914年6月、岡山県知事に転じた。
岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日〈元治元年… 岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日〈元治元年5月4日〉- 1934年〈昭和9年〉3月23日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の文部官僚、政治家。号は恭堂。 旧制山口高等学校(山口大学の前身の一つ)校長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、文部次官・大臣、東洋大学学長、大日本報徳社社長、産業組合中央会会頭、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。 遠江国佐野郡倉真村(現:掛川市)出身。東京府第一中学では、澤柳政太郎、狩野亨吉、松崎蔵之助、幸田露伴などが同期に当たる。大学予備門を経て、1887年(明治20年)7月、帝国大学文科大学哲学科(のちの東大文学部)卒業、大学院へ。 第二高等中学校教授を経て、1893年(明治26年)に文部省視学官。
大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政… 大森 鍾一(おおもり しょういち、1856年6月16日〈安政3年5月14日〉- 1927年〈昭和2年〉3月3日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、皇太后宮大夫、男爵。 幕臣、駿府与力・大森直正(水野忠邦家臣森川源左衛門の男)と先代鯛次郎直由の娘である銀の長男として生まれる。幼名は鍾一郎、後に諱の直興を名乗る。静岡学校、名古屋学校を経て、明治5年10月(1872年11月)に林欽次塾に入り、後に中退。 1873年(明治6年)4月、明治政府に出仕し陸軍造兵司・一等附属となる。司法省、法制局、太政官を経て、1878年(明治11年)10月、内務省に移り四等属に任官。以後、内務権大書記官、兼戸籍局長、内務卿官房長心得、内務大臣秘書官(山縣有朋大臣)、内務書記官・総務局文書課長兼勤、県治局長、兼警保局長などを歴任した。
清水 彩子(しみず あやこ)は、日本の文部科学官僚。 静岡県… 清水 彩子(しみず あやこ)は、日本の文部科学官僚。 静岡県立浜松北高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。2006年4月 文部科学省入省。大臣官房国際課。2009年7月 財務省主計局調査課調査主任。2010年7月 財務省主計局法規課調査主任。2011年7月 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課企画係長。教育行政の今後の大きな方針を決める教育振興基本計画や、地方分権の流れのなかでの教育の規制改革、着任前に起きた東日本大震災を受けての復興の基本方針といった政府全体の方針について、初等中等教育行政としての全体の方針を踏まえ局全体をコーディネート。その後、同局幼児教育課専門職、教育課程課専門官。
青木 直幸(あおき なおゆき)は日本の財務官僚。 静岡県出身… 青木 直幸(あおき なおゆき)は日本の財務官僚。 静岡県出身。静岡県立沼津東高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1978年大蔵省入省(主税局調査課)。ドイツ留学後、在ドイツ日本国大使館公使などを務め、2007年財務省大臣官房政策評価審議官。2008年横浜税関長。2010年税務大学校長。2014年財務省大臣官房付、退官、ANA Cargo顧問。2016年エヌ・ティ・ティ・カードソリューション監査役。2019年損保ジャパン日本興亜アセットマネジメント取締役。2024年秋、瑞宝中綬章受章。
戸塚 誠(とつか まこと)は、日本の総務官僚。勲等は瑞宝重光… 戸塚 誠(とつか まこと)は、日本の総務官僚。勲等は瑞宝重光章。総務省行政管理局長や、総務省大臣官房長、総務審議官等を経て、総務省行政不服審査会会長代理。 静岡県出身。静岡県立藤枝東高等学校を経て、1977年 東北大学法学部卒業、行政管理庁入庁。2000年8月 総務庁行政管理局情報システム企画課長。2001年1月6日 総務省大臣官房政策評価広報課長。2007年1月 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補)、(併)行政改革推進本部次長。2008年7月 政策統括官(情報通信担当)、総務省行政管理局長を経て、2013年 総務省大臣官房長。2014年 総務審議官(行政制度担当)。2016年 総務省行政不服審査会第三部会長。
小川 誠(おがわ まこと)は、日本の厚生労働官僚。経済産業省… 小川 誠(おがわ まこと)は、日本の厚生労働官僚。経済産業省大臣官房審議官や、中央労働委員会事務局長、厚生労働省職業安定局長を経て、日本生命保険顧問、トシン・グループ顧問、山九取締役。 静岡県出身。1979年静岡県立韮山高等学校卒業。1983年一橋大学経済学部卒業、労働省入省。1990年コロンビア大学経営大学院卒業。 1991年通商産業省産業政策局産業構造課国際班長。1993年大分県商工労働観光部職業安定課長。1995年労働省労政局労働組合課長補佐。1997年労働大臣官房国際労働課長補佐。1998年世界銀行社会保護局派遣。2001年厚生労働省政策企画官。同年厚生労働省政策統括官付社会保障担当参事官室併任。
瀧村 晴人(たきむら はると)は日本の財務官僚。アジア開発銀… 瀧村 晴人(たきむら はると)は日本の財務官僚。アジア開発銀行(ADB)首席総裁補佐官。 静岡学園中学校・高等学校から東京大学理科二類(教養学部)に入学。東大理学部数学科に進学し、金融工学を学ぶ。東大理学部数学科卒業。 2004年 財務省入省(国際局為替市場課)。入省時の局長に渡辺博史、課長に山崎達雄。為替市場のうち外貨準備資産の運用に携わる。 2007年6月から2年間、コロンビア大学公共政策大学院へ留学。2009年7月 主税局参事官付国際総括係長。グローバル・フォーラムの設立及びピア・レビュー作業を担当。 2011年 国際通貨基金(IMF)理事補。重要案件について、国際通貨基金(IMF)のスタッフや他国の理事室と議論し、財務省と対処方針を策定した。