室田 伊緒 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流… 室田 伊緒 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は35(2011年3月31日までの旧番号は旧59)。愛知県春日井市出身(富山県砺波市生まれ)。杉本昌隆八段門下。愛知県立春日井南高等学校を経て、愛知淑徳大学を2012年3月に卒業。
愛知県:13人
室田 伊緒 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流… 室田 伊緒 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は35(2011年3月31日までの旧番号は旧59)。愛知県春日井市出身(富山県砺波市生まれ)。杉本昌隆八段門下。愛知県立春日井南高等学校を経て、愛知淑徳大学を2012年3月に卒業。
森本 理子(もりもと りこ、2003年4月24日 - )は、… 森本 理子(もりもと りこ、2003年4月24日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は85。愛知県春日井市出身。澤田真吾七段門下。滝中学校・高等学校卒業。名古屋市立大学医学部医学科在籍中。 小学2年の時に将棋好きの父の影響で将棋を始め、藤井聡太も幼少期に通った「ふみもと子供将棋教室」(愛知県瀬戸市)で将棋を学んだ。 2017年1月、東海研修会に入会(E1クラス)。 2023年7月、東海研修会でB2クラスに昇級、女流2級の資格を得る。 2023年9月1日付で日本将棋連盟所属の女流2級となる。 2025年4月1日、年度成績指し分け以上(8勝以上)の昇段規定により女流1級へ昇級した。
藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、… 藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、21世紀生まれで初の将棋棋士。杉本昌隆門下。棋士番号は307。愛知県瀬戸市出身。名古屋大学教育学部附属中学校在学。デビュー以来無敗で勝ち続け、歴代連勝記録の単独一位を記録した。
羽根 彩夏(はね あやか、2002年6月23日 - )は、愛… 羽根 彩夏(はね あやか、2002年6月23日 - )は、愛知県長久手市出身、日本棋院中部総本部所属の囲碁の女流棋士。二段。羽根直樹門下。 父は囲碁棋士の羽根直樹、母は羽根しげ子、祖父は羽根泰正という囲碁一家の家系に生まれる。家族は他に姉と双子の妹、弟がいる。 2014年、長久手市立西小学校在学中に第11回文部科学大臣杯小・中学校囲碁団体戦で主将として優勝、第56回全日本女流アマ囲碁選手権愛知県大会3位。長久手市立北中学校在学中にはジュニア本因坊戦中部地区大会で準優勝。 愛知県立長久手高等学校進学後、女流棋士を増やすため新設された「女流特別採用推薦棋士」に合格、2019年4月入段。同年5月6日竜星戦予選(対局相手: 大沢健朗)でプロ棋士として初の対局に臨んだが敗退した。
柵木 幹太(ませぎ かんた、1998年2月18日 - )は、… 柵木 幹太(ませぎ かんた、1998年2月18日 - )は、日本の将棋棋士である。愛知県西尾市出身。名古屋大学工学部卒業、名古屋大学大学院工学研究科中退。増田裕司七段門下。棋士番号は338。 2009年、奨励会に入会。三段リーグには第59回(2016年前期)から参加。同期に藤井聡太、西山朋佳がいる。 三段リーグでは初参加の第59回リーグで降段点(4勝14敗)を記録。続く第60回リーグでも7勝11敗と負け越すが降段点を回避し、3期目以降は悪くとも指し分け(9勝9敗)以上の成績を残していた。 三段リーグ11期目となる第69回リーグでは、12勝4敗で迎えた最終日の2局に2連勝すれば2位以上の可能性があったが、1勝後の最終局で岡部怜央に敗北した事で13勝5敗の3位・次点に終わった。
脇田 菜々子(わきた ななこ、1997年3月7日 - )は、… 脇田 菜々子(わきた ななこ、1997年3月7日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は66。愛知県一宮市出身。中田章道七段門下。愛知県立一宮南高等学校、名城大学人間学部人間学科卒業。 小学校1年生のときに幼馴染に教わって将棋を覚えた。 2009年4月、中学1年生のときに東海研修会に入会(F2クラス)。 2013年、高校1年生のときに第21回高校将棋新人大会女子の部優勝。 2013年12月には東海研修会でC2クラスに昇級する。 勝てば当時の規定で女流棋士資格を得るC1クラス昇級の1局に敗れ、その後大学受験のために研修会を長期休会する。 2015年に名城大学へ進学した。同年、研修会を退会。
中澤 沙耶(なかざわ さや、1996年5月14日 - )は、… 中澤 沙耶(なかざわ さや、1996年5月14日 - )は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士。女流棋士番号は53。杉本昌隆八段門下。愛知県一宮市出身。愛知県立丹羽高等学校卒業、名城大学都市情報学部卒業。 小学4年生のとき地元の児童館の将棋教室で将棋を始めた。尾張一宮将棋同好会に入会、その後2009年1月に東海研修会に入会。 2013年7月、高校2年生のときに研修会でC1クラスに昇級し、女流3級資格を得た。 中高時代の2011年-2014年の間に、「女流棋士昇段規定」の「女流1級」に相当する「女流棋戦本戦入り」を延べ4回達成した実績があり(別記「#アマチュア時代の戦績」参照)、この場合は女流2級に昇級となることから、中澤は女流3級の資格を得た時点で女流2級への昇級が可能な状況であった。
豊島 将之(とよしま まさゆき、1990年4月30日 - )… 豊島 将之(とよしま まさゆき、1990年4月30日 - ) は、将棋棋士。桐山清澄九段門下。棋士番号は264。 愛知県一宮市出身、兵庫県尼崎市在住。関西大学第一高等学校卒業、関西大学文学部中退。愛称は「とよぴー」。 史上最年少で奨励会に入会し、2007年に四段に昇段して平成生まれ初のプロ棋士となった。2018年に5回目のタイトル挑戦で初タイトルとなる棋聖を獲得、その後に王位、名人とタイトルを獲得し、2019年には竜王を獲得して史上4人目の竜王名人となった。 4歳の頃、羽生世代の棋士を追ったテレビ番組を見かけたことをきっかけに母に将棋を教わる。5歳で大阪府豊中市に転居後は、小学3年生でアマ6段となるまで(同年、史上最年少で奨励会入り)、関西将棋会館の道場で指導棋士・土井春左右から指導を受けた。
松尾 歩(まつお あゆむ、1980年3月29日 - )は、将… 松尾 歩(まつお あゆむ、1980年3月29日 - )は、将棋棋士。 棋士番号231。所司和晴七段門下。愛知県日進市出身。 父(名古屋大学教授・物理学)から将棋の手ほどきを受けた。 1990年、小学3年で、ジュニア選手権小学生の部全国2位になる。 1993年、中学1年で、中学生将棋名人戦に出場するも、途中で敗退。ジュニア選手権中部・東海地区大会中学生の部では、ベスト8に入る。 1994年3月、6級で奨励会入会。1級で2年余り足踏みするも、初段から三段を24勝8敗で駆け上がった。 1999年、三段リーグに入ると14勝4敗で1位となり、同リーグを1期で抜けて四段昇段しプロデビューを果たした。 2001年度、新人王戦で優勝するとともに、順位戦C級2組で10戦全勝、年度勝率0.744(全棋士中3位)、16連勝(同2位)、32勝(同9位タイ)の活躍をし、将棋大賞の新人賞を受賞。
青葉 かおり(あおば かおり、本姓は和田(わだ)、1978年… 青葉 かおり(あおば かおり、本姓は和田(わだ)、1978年7月11日 - )は、日本の女流棋士。愛知県出身。日本棋院東京本院所属。羽根泰正九段門下。 小学校2年生の時に父から囲碁を学ぶ。小学校3年生で全日本女流アマチュア囲碁選手権戦に愛知県代表として出場、選手宣誓を務める。小学校4年生で院生となる。愛知県立旭丘高校、早稲田大学卒業。高校2年生の1996年に入段し、在学中は棋士としての活動と学業を両立させた。 2002年から2006年までNHK杯テレビ囲碁トーナメントの記録係と聞き手を務める。2007年4月に結婚。夫は高校時代の同級生で弁護士。入段から日本棋院中部総本部所属だったが、2008年5月20日付で東京本院に移籍した。
鈴木 宏彦(すずき ひろひこ、1956年1月26日 - )は… 鈴木 宏彦(すずき ひろひこ、1956年1月26日 - )は、日本の将棋・囲碁観戦記者で将棋ライター。 愛知県岡崎市生まれ。1974年(昭和49年)、愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学在学中より、石田和雄九段の指導を受け、1978年から1986年まで、日本将棋連盟の雑誌『将棋世界』の編集者をした後、フリーの観戦記者に。観戦記者としてのペンネームは青島たつひこ。他の筆名に立浪健一(タツナミケンイチ)、落合謙。「立浪」「落合」「健一」「謙」という筆名は、鈴木が愛知県出身ということもあり、中日ドラゴンズに関連している可能性がある。 将棋ライターとしては、『週刊将棋』の「序盤初期の有力局面ごとの勝率分析」記事や連載「81桝物語」、『将棋世界』の連載「イメージと読みの将棋観」など、従来なかった、新鮮な内容の記事を続けて執筆している。
石田 和雄(いしだ かずお、1947年3月29日- )は、将… 石田 和雄(いしだ かずお、1947年3月29日- )は、将棋棋士、九段。2012年、引退。棋士番号は97。愛知県岡崎市明大寺町生まれ。岡崎市立竜海中学校卒業。板谷四郎九段門下。竜王戦1組通算1期、名人戦A級通算4期。 岡崎市の石材店で、五人兄弟の末子として生まれる。父の岡崎淳一郎は、二宮尊徳像を多数作り、最盛期には1日8体を作っていたという。中学1年生から将棋に熱中。板谷四郎に師事して、1962年に関東奨励会に入会。6級で指し始め、僅か5か月で3級、2年で初段。そこから20勝1敗で三段に昇段。三段リーグから、東西の人数の調整のため、関西に移り、関西三段リーグを4期で抜けてプロデビュー(同期の関東三段リーグの優勝は勝浦修であり、本来なら東西決戦の勝者が四段となる仕組みだったが、勝浦が二回目のリーグ優勝であったため、東西決戦を免除され、勝浦・石田ともに四段昇進となった)。
宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年〈明治19年… 宮松 関三郎(みやまつ せきさぶろう、1886年〈明治19年〉1月14日 - 1947年〈昭和22年〉9月26日)は、将棋棋士。贈八段。井上義雄八段門下。愛知県愛知郡豐明村出身。日本将棋連盟創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 三男として生まれる。4歳の時に母を亡くし、11歳の時に宮大工の父と死別、この年の秋に奉公に出る。17歳で祖母を亡くし、18歳までに2人の兄と下の弟をいずれも亡くして孤独の身となる。 将棋は8歳の頃に覚えた。苦境の中でも好きな将棋を続け、腰の駒入れ着を手放すことはなかった。 20歳の時に東京を目指すも途中で金銭が尽き、横浜の米穀問屋での奉公となる。