阿部 泰蔵(あべ たいぞう、嘉永2年4月27日(1849年5… 阿部 泰蔵(あべ たいぞう、嘉永2年4月27日(1849年5月19日) - 大正13年(1924年)10月22日)は、幕末 - 明治期の武士、実業家、官僚。日本初の生命保険会社明治生命保険(現明治安田生命保険)の創立者(初代頭取、初代会長)として知られる。従五位勲四等旭日小綬章。 三河国吉田藩(維新後豊橋藩)の藩医豊田鉉剛の三男として八名郡下吉田村(現・愛知県新城市)に生まれ、1860年(万延元年)同藩の医師・阿部三圭の養子となる。儒学者を目指し漢詩を小野湖山に、橋本一斎に蘭学を学んだ後藩命を受けて江戸に上り、開成所教授・杉田玄瑞、穂積清軒、中島三郎助に蘭学を学んだ。1868年(慶応4年)に鉄砲洲の慶應義塾に入学するが、戊辰戦争に際して藩命により帰藩し、各地に転戦。
小柳津 要人(おやいづ かなめ、弘化元年2月15日(1844… 小柳津 要人(おやいづ かなめ、弘化元年2月15日(1844年4月2日) - 1922年(大正11年)6月21日)は、明治・大正期の実業家、武士(岡崎藩士)。丸善の専務取締役社長を務めた。 三河国岡崎にて岡崎藩士・小柳津宗和の長男として生まれる。幼少時は志賀重昂の父重職の下で学ぶ。岡崎藩主・本多忠民に仕え藩の要人となる。 1863年(文久3年)、西洋流大砲方の命を受けて江戸にのぼったが、英書を学ぶ必要を感じて大鳥圭介の塾縄武館に入る。また中浜万次郎に師事し、兵学・洋学の手ほどきを受けた。同年秋より開成所に転じ、英学得業士となる。 1868年(慶応4年)の戊辰戦争時には、志賀熊太に血判状を提出した後に脱藩して遊撃隊に加わる。
坂(阪)部 大作(さかべ だいさく、1836年(天保7年10… 坂(阪)部 大作(さかべ だいさく、1836年(天保7年10月)- 1908年(明治41年)9月)は、日本の武士(三河吉田藩藩士)、剣術家。流派は鏡新明智流。称号は大日本武徳会剣道範士。 三河国吉田(現愛知県豊橋市)に生まれる。13歳から21歳まで、同藩で剣術を修行する。 1856年(安政3年)、21歳で江戸へ出て、鏡新明智流桃井春蔵の道場士学館に入門。頭角を現し、上田馬之助、久保田晋蔵、兼松直廉とともに「桃井の四天王」と謳われる。 1859年(安政6年)、24歳で鏡新明智流免許を得て帰藩する。 1862年(文久2年)、藩主松平信古が大坂城代を拝命したので坂部も随行し、1865年(慶応2年)まで大坂表講武所で剣術を指南する。
永井 直勝(ながい なおかつ)は、戦国時代から江戸時代前期に… 永井 直勝(ながい なおかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、旗本、大名。上野小幡藩主、常陸笠間藩主、下総古河藩初代藩主。永井宗家初代。 永禄6年(1563年)、三河国の武将・長田重元の次男として三河国碧海郡大浜郷(現在の愛知県碧南市音羽町)に生まれる(愛知県東浦町緒川の説もある)。 天正4年(1576年)、はじめ徳川家康の嫡男・信康に仕えたが、天正7年(1579年)に信康が自刃すると、徳川氏を去って隠棲した。天正8年(1580年)、家康に召し出されて再び家臣となる。 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは池田恒興を討ち取る大功を挙げたため、家康や織田信雄らから賞賛された。