伊藤 俊幸(いとう としゆき、1958年3月11日 - )は… 伊藤 俊幸(いとう としゆき、1958年3月11日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。金沢工業大学KIT虎ノ門大学院教授。株式会社Ubicomホールディングス 社外取締役。株式会社広島トヨタ 社外取締役。株式会社FRONTEO 戦略アドバイザー。 愛知県名古屋市出身。愛知県立熱田高等学校、防衛大学校機械工学科卒業(第25期)。筑波大学大学院修士課程修了、修士(地域研究)。 はやしお艦長、在アメリカ合衆国日本国大使館防衛駐在官、統合幕僚学校長を経て、呉地方総監。2015年8月、退官。2016年より、金沢工業大学教授。現在は、株式会社Ubicomホールディングス 社外取締役、株式会社広島トヨタ 社外取締役、株式会社FRONTEO 戦略アドバイザーにも就任。
美濃部 正(みのべ ただし、1915年〈大正4年〉7月21日… 美濃部 正(みのべ ただし、1915年〈大正4年〉7月21日 - 1997年〈平成9年〉6月12日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵64期。最終階級は海軍少佐、空将。旧姓は太田(おおた)。夜間戦闘機部隊「芙蓉部隊」指揮官として、全軍特攻方針の軍上層部に抵抗し、特攻を拒否したとして紹介されることが多いが、特攻の精神そのものは否定しておらず、むしろ特攻への確固たる信念を持つゆえに現状の特攻作戦を邪道と見ており、これに賛同せず難易度が高い夜間攻撃に特化した部隊を造り上げた。決定的な戦機到来の暁には美濃部自身が先頭に立って特攻をかける覚悟であった。 1915年7月21日、愛知県高岡村(現豊田市)で自作農の太田家に六人兄弟の次男として生まれる。
高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月2… 高木 作之(たかぎ さくゆき、1912年(明治45年)7月29日 - 2003年(平成15年)2月14日)は日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は陸軍で中佐、航空自衛隊では空将。陸軍中将久納誠一(18期)は義父、陸軍少将小藤恵(20期)は義理の伯父にあたる。 1912年(明治45年)7月29日、愛知県で農家高木作芳の次男として生まれた。翌日には明治天皇が崩御している。 愛知県明倫中学校を経て、1929年(昭和4年)4月に陸軍士官学校予科(市ヶ谷本村町)、1931年(昭和6年)に陸軍士官学校本科に入校、1933年(昭和8年)7月に卒業する(陸士45期騎兵科)。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて10番/335名。
杉江 一三(すぎえ いちぞう、1908年〈明治41年〉9月1… 杉江 一三(すぎえ いちぞう、1908年〈明治41年〉9月18日 - 1999年〈平成11年〉7月27日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵56期、海大甲種37期。第5代海上幕僚長、第2代統合幕僚会議議長。 愛知県出身。旧制愛知県熱田中学校(現:愛知県立瑞陵高等学校)を経て海軍兵学校に入校。太平洋戦争中は海軍大臣秘書官、南西方面艦隊参謀などを経て、終戦時は特殊潜航艇「海龍」36隻、人間魚雷「回天」6隻、「震洋」100隻を擁する横須賀鎮守府第1特攻戦隊第11突撃隊副長。 戦後は公職追放となり、北海道で酪農に従事するが、1953年(昭和28年)10月に海上自衛隊の前身である警備隊に入隊。1963年(昭和38年)7月、第2次防衛力整備計画実施期間中に海上幕僚長となり、第3次防衛力整備計画策定作業に参画した。
吉川 圭祐(よしかわ けいすけ)は、日本の自衛官、海将。第2… 吉川 圭祐(よしかわ けいすけ)は、日本の自衛官、海将。第24代大湊地方総監。 愛知県津島市出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)卒業。新設された保安大学校(1954年7月に防衛大学校に改名)に1期生として入校し卒業。