葭本未織(よしもと みおり、1993年1月17日 - )は、… 葭本未織(よしもと みおり、1993年1月17日 - )は、日本の劇作家・演出家。「少女自由都市」主宰。 兵庫県芦屋市出身。2歳の誕生日に阪神・淡路大震災で実家が全壊し、仮設住宅で育った経験を持つ。兵庫県立宝塚北高等学校演劇科、文学座附属演劇研究所本科・研修科を経て、立教大学現代心理学部映像身体学科卒業。松田正隆に師事。立教大学在学中に制作した『聖女』が第60回岸田國士戯曲賞推薦作となる。2016年に劇団「少女都市」(後に「少女自由都市」に改称)を旗揚げし、兵庫県と東京都を拠点に活動する。 2022年、南千住回遊劇『リアの跡地』で北海道戯曲賞大賞を受賞。
大歳 倫弘(おおとし ともひろ、1985年7月30日 - )… 大歳 倫弘(おおとし ともひろ、1985年7月30日 - )は、日本の劇作家、演出家、構成作家。劇団ヨーロッパ企画所属。兵庫県加古川市出身。 同志社大学入学後、2005年にヨーロッパ企画に参加。それまで演劇の経験はなく、当時すでに卒業していたにもかかわらず在学生のふりをして新歓活動をしていた諏訪雅と永野宗典から勧誘され、ヨーロッパ企画のことをイベントサークルだと思って入会した。その後、同志社大学工学部知識工学科中退。 ヨーロッパ企画 イエティ(作・演出)
蓬莱 竜太(ほうらい りゅうた、1976年〈昭和51年〉1月… 蓬莱 竜太(ほうらい りゅうた、1976年〈昭和51年〉1月7日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家。劇団モダンスイマーズの座付き作家である。 兵庫県神戸市出身。中学1年のときに石川県羽咋市に転居。石川県立羽咋工業高等学校デザイン科在学中に、担任教師から半ば強制的に演劇部に入部させられたことをきっかけに演劇に目覚める。1996年に舞台芸術学院演劇科本科を卒業し、1999年に同期生の西條義将らとともにモダンスイマーズを旗揚げする。 2009年『まほろば』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。 2017年『母と惑星について、および自転する女たちの記録』で第20回鶴屋南北戯曲賞受賞。 2019年『消えていくなら朝』で第6回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞受賞。
岡本 貴也(おかもと たかや、1972年6月18日 - )は… 岡本 貴也(おかもと たかや、1972年6月18日 - )は、兵庫県神戸市出身の劇作家・舞台演出家。ドリームプラス株式会社所属。劇団ミュ主宰。 甲陽学院中学校・高等学校を卒業。 1995年、早稲田大学理工学部・応用物理学科を卒業。 1997年、早稲田大学院・生物物理学修了、理学修士号取得。後、出版社に勤務。 1999年、劇団「タコあし電源」を旗揚げ。執筆及び演劇活動を開始。 2000年、久世塾一期生。糸井重里賞受賞作で映像デビュー。ほぼ日刊イトイ新聞にて「21世紀の向田邦子をつくる」コーナー担当。 2001年、BS-iドラマ「ジャッジカフェ」にてテレビ脚本家デビュー。その後続けざまに『A side B』(長塚京三、阿部サダヲら)、『the Apartment』(西村雅彦、井上晴美)、『アイノウタ』(池内博之、つぐみら)、『ケータイ刑事_銭形愛』(宮崎あおいら)とBS-iにて連ドラを執筆。
可能 涼介(かのう りょうすけ、1969年4月10日 - )… 可能 涼介(かのう りょうすけ、1969年4月10日 - )は、日本の文芸評論家・劇作家・批評家・精神保健福祉士である。
深津 篤史(ふかつ しげふみ、1967年8月8日 - 201… 深津 篤史(ふかつ しげふみ、1967年8月8日 - 2014年7月31日)は、日本の劇作家・演出家。 兵庫県芦屋市出身。劇団桃園会主宰。同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻修士課程修了。大学在学中に第三劇場入団。1992年桃園会を旗揚げ。 2014年7月31日、肺小細胞癌により兵庫県芦屋市の親族宅で死去。46歳没。
小松 純也(こまつ じゅんや、1967年2月22日 - )は… 小松 純也(こまつ じゅんや、1967年2月22日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、劇作家。 フジテレビジョン(以下フジテレビと略)編成制作局バラエティー制作センター部長を経て、フジテレビ社員のまま出向で共同テレビジョン(共テレ)へ異動、同社第2制作部長・プロデューサーとなる。 2019年3月31日にフジテレビを退社し、株式会社スチールヘッド代表取締役。兄は中国文学者小松謙。 兵庫県西宮市出身。大阪星光学院卒業後、京都大学文学部に進学する。在学中「劇団そとばこまち」に在籍し俳優や放送作家として活動した。 1990年京都大学卒業後、同年フジテレビ入社。TBSに入社した植田博樹と合田隆信は京都大学の同期である。
菱田 信也(ひしだ しんや、1966年5月13日- )は、兵… 菱田 信也(ひしだ しんや、1966年5月13日- )は、兵庫県神戸市出身の脚本家、劇作家、舞台演出家。 兵庫県神戸市生まれ。滝川高校から1986年に英知大学(現:聖トマス大学)仏文科に進学。2回生の時に「吉本興業新劇団オーディション・作家部門」で合格。大学に籍を置きながら放送作家やイベント舞台演出補として活動した。1989年に初めて書いた芝居の脚本は『HOLDMETIGHT〜抱きしめて、もっとつよく』(神戸・レストラン北野クラブ・ダンスホール)。翌1990年の『チンピラエレジー』(桂三枝原作、心斎橋2丁目劇場、作/演出)を劇作デビューとしている。 2006年 戯曲『パウダア-おしろい』にて第57回読売文学賞 戯曲シナリオ部門 受賞。
加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作… 加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作家、脚本家、演出家。劇団「花組芝居」主宰。お笑いタレント、喜劇俳優、講談師の森田展義とは親同士がいとこのため、はとこである。その他の親戚に俳優、声優の森田順平、俳優の森田浩平、俳優の森田晋平がいる。 兵庫県尼崎市出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。大学の卒業論文「『櫻姫東文章』の再生と可能性」で芸術学会賞を受賞。 1984年10月、演劇プロデュース団体「加納幸和事務所」を設立。1987年、劇団「花組芝居」に改名。同年4月1日、『ザ・隅田川』公演で旗揚げ。 花組芝居の全作品の脚本、演出を手掛け、主に歌舞伎をモチーフにした作品が多い。 俳優、雑誌のコラム連載、専門学校の講師としても活動している。
池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )… 池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。兵庫県西脇市出身。劇団NLT文芸演出部所属。日本演劇協会会員(1995年)。日本劇作家協会会員(2011年)。日本舞踊藤間流名取。 兵庫県立西脇高等学校、京都産業大学を卒業。劇団NLT入団。1985年『物言へぬ鸚鵡の兄弟』で劇作家デビュー。 1989年(平成元年)にNLT退団、フリーとなり、主に商業演劇で活躍。東西ほとんどの大劇場から、新劇、小劇場、時代劇、現代劇、喜劇、悲劇などジャンルを一切問わない幅の広さがある。その後、2006年(平成18年)にNLT文芸演出部に復帰。 2011年(平成23年)に地元である兵庫県西脇市より西脇市文化賞、2016年(平成28年)に中村美律子『長編浪曲歌謡・無法松の恋〜松五郎と吉岡夫人』で第58回日本レコード大賞企画賞(作詞担当)、2019年(平成31年)『やっとことっちゃうんとこな』他の作・演出で第20回テアトロ演劇賞を受賞、2025年(令和7年) 演劇論文『弁慶の足 ~十三代目市川團十郎白猿はなぜ左足を上げたのか』にてシアターアーツ賞佳作受賞。
蟷螂 襲(とうろう しゅう、1958年10月21日 - 20… 蟷螂 襲(とうろう しゅう、1958年10月21日 - 2023年10月24日)は、日本の俳優、劇作家。PM/飛ぶ教室主宰。ライターズカンパニー田畑冨久子事務所所属。 兵庫県尼崎市出身。立命館大学文学部[リンク切れ]哲学科卒業。 1979年、犯罪友の会にて初舞台を踏む。 劇団満開座を経て、1989年より中島らも主催の笑殺軍団リリパットアーミーに所属。 1994年、PM/飛ぶ教室を旗揚げ。 2023年10月24日に脳梗塞のため死去。65歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957… 鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身。韓国籍。 戦後、不法居住者が多く集まっていた姫路城の敷地内で生まれる。鄭の一家は現地で石垣を壊し、庭にするなどしていたという。姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を務めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。1994年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。 2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004… 中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から[4]。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。本稿では名の表記を、原則として「らも」で統一する。
植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しん… 植田 紳爾(うえだ しんじ、本名:山村 紳爾〈やまむら しんじ〉、1933年1月1日 - )は、日本の劇作家、演出家である。宝塚歌劇団専属。1996年から2004年まで同歌劇団理事長を務めた。現在は同歌劇団特別顧問、社団法人日本演劇協会会長。大阪府生まれ。 幼くして父が病死、母とも生き別れ、神戸のおじ夫婦に引き取られた。戦時中は福井に疎開した。「戦争中、空襲で神戸の実家を失い、疎開先の福井でも空襲にあいました。」と日本赤十字社のインタビューで答えている。 その後、演劇青年として学生時代をすごし、滝川高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科を卒業した。1957年2月に演出助手として宝塚歌劇団に就職する。
藤田 潤一(ふじた じゅんいち、1910年 - 1970年代… 藤田 潤一(ふじた じゅんいち、1910年 - 1970年代)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、劇作家、演出家である。本名同じ。牧野省三のマキノ・プロダクションの助監督としてキャリアを始め、牧野の没後、脚本家として河合映画製作社、新興キネマに移籍、1934年(昭和9年)に監督に昇進した。山中貞雄らによる「鳴滝組」にも参加し、片岡千恵蔵プロダクション、日活、東宝映画と転々とした。第二次世界大戦中から戦後にかけて「エノケン一座」の座付作家として活動し、初期のテレビ放送劇の台本も書いた。脚本家としての別名に三田 一(みた はじめ)、1965年(昭和40年)からは黎明期の成人映画を量産、この時代には藤田 潤八(ふじた じゅんぱち)、岡野 進(おかの すすむ)等と名のった。