表 悠斗(おもて ゆうと、2007年6月4日 - )は、関西… 表 悠斗(おもて ゆうと、2007年6月4日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。四段。兵庫県西宮市出身、西宮市立香櫨園小学校、西宮市立浜脇中学校卒業。吉川一四段・小松大樹四段門下。 小学1年生の時に、アマ有段者の祖母に教わって囲碁を始めた。2016年、小学3年生時の第37回少年少女囲碁大会で全国大会に進出(予選リーグで敗退)。この後、棋士を目指したいと宣言するも、その道の険しさから、当初は祖母も難色を示した。しかし、翌2017年の第38回大会では全国大会で6位入賞。家族を説得し、小学4年生で関西棋院の院生となる。2021年、1-2月の入段試験リーグで7勝5敗の成績を残し、9勝3敗の三島響とともに試験に合格。
田中 康湧(たなか こうゆう、2001年6月14日 - )は… 田中 康湧(たなか こうゆう、2001年6月14日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士、古谷裕門下生。兵庫県相生市出身。 6歳で囲碁を覚え小学校3年から隣の市(赤穂市)の碁会所に通う。第33回少年少女囲碁大会の兵庫県大会で準優勝。全国大会では予選2勝1敗で決勝トーナメントに進めず。 2011年9月、関西棋院高等部に入部。2013年4月、関西棋院の院生となる。 2017年7月、高校1年生でプロ棋士の認定を受ける。同年8月、16歳で入段。 2020年2月二段。8月、第7回グロービス杯世界囲碁U-20日本代表6名として世界大会出場。 2021年5月、第46期棋聖戦Cリーグ入り。 2022年1月三段。4月、第70回NHK杯テレビ囲碁トーナメント初出場。
冨田 誠也(とみた せいや、1996年2月13日 - )は、… 冨田 誠也(とみた せいや、1996年2月13日 - )は、日本将棋連盟の棋士。棋士番号は325.小林健二門下。兵庫県三田市出身·在住。 三田市立長坂中学校、兵庫県立有馬高等学校を経て、立命館大学経営学部卒業。 2020年より出身地の三田市で「冨田誠也杯」を主催。2025年よりさんだアンバサダーに就任。 主に四間飛車や中飛車を得意とする振り飛車党。相振り飛車も得意とするが、対局相手が振り飛車党の場合、稀に居飛車を指すこともある。 5歳のときに父に将棋を教わる。三田市立本庄小学校6年時の2007年9月に奨励会へ入会。2013年4月(17歳)より三段リーグに参加。「20歳までに(四段に)上がれると思っていた。
坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は… 坂井 秀至(さかい ひでゆき、1973年4月23日 - )は、日本のプロ棋士。関西棋院所属。兵庫県三田市出身。灘高校、京都大学医学部卒業。医師の資格を持つ。佐藤直男九段門下。
橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月… 橋本 昌二(はしもと しょうじ、1935年〈昭和10年〉4月18日 - 2009年〈平成21年>12月2日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県明石市出身、関西棋院所属、橋本国三郎七段門下、九段。関西棋院独立当時から若手のエースとして活躍し、「天才昌二」とも言われ、入段から11年で九段に昇段、十段、王座などのタイトルを獲得。関西棋院第一位決定戦で12回優勝し、関西棋院名誉第一位の称号を持つ。棋風は深い読みの力戦型、長考派としても有名で、「重戦車」の異名を取った。 1994年から1998年まで関西棋院理事長。その後特別顧問。 日本棋院台湾支部長で、自宅に道場を開いていた国三郎を父に、台湾に生まれる。幼時から父に囲碁の手ほどきを受け、棋士を目指して厳しい指導を受けた。
鯛中 新(たいなか しん、1911年(明治44年)11月30… 鯛中 新(たいなか しん、1911年(明治44年)11月30日 - 1992年(平成4年)8月20日)は、日本の囲碁棋士。兵庫県出身、久保松勝喜代名誉九段門下、日本棋院、関西棋院に所属、九段。関西棋院早碁名人戦、関西棋院選手権戦優勝など。じっくりした棋風。 神戸市に生まれる。旧制神戸一中卒業。1927年に久保松勝喜代に入門。1929年初段。1942年五段。1946年六段。1950年の関西棋院設立に参加。以後関西棋院では橋本宇太郎八段に次ぐ六段として重鎮として活躍し、同年の日本棋院との東西対抗戦では杉内雅男に勝ち。続く勝ち抜き戦では副将として出場したが梶原武雄に敗れた。 1951年七段、第7期本因坊戦リーグ入りし、4勝2敗となって5人による同率決戦に進むが、1回戦で高川格に敗退。
前田 陳爾(まえだ のぶあき、1907年〈明治40年〉11月… 前田 陳爾(まえだ のぶあき、1907年〈明治40年〉11月22日 - 1975年〈昭和50年〉7月3日)は、囲碁の棋士。兵庫県出身、日本棋院所属、九段、本因坊秀哉門下。詰碁創作の大家として知られ、「詰碁の神様」と称される。1947年囲碁新社結成。棋風は接近戦を得意とする力戦型で「攻めの前田」とも言われる。第1期王座戦準優勝、第1期最高位戦リーグ3位など。随筆での毒舌でも知られた。 兵庫県揖保郡新宮町(現たつの市)に生まれる。10歳頃に囲碁を始め、1920年に神戸に在住していた鳥居鍋次郎三段に師事、続いて久保松勝喜代五段に入門。1922年に久保松の推薦により、上京して本因坊秀哉の内弟子となる。中央棋院及び若手棋士の研究会である六華会に所属。
安永一(やすなが はじめ、1901年(明治34年)12月3日… 安永一(やすなが はじめ、1901年(明治34年)12月3日 - 1994年(平成6年)2月2日)は、アマチュアの囲碁棋士、囲碁評論家、ライター。兵庫県氷上郡出身。木谷実、呉清源と共著の『囲碁革命 新布石法』は特に有名。アマチュア棋士としても実力は一流で、中国流布石を創始したとも言われる。プロ棋士の育成もし、門下に小松英樹、谷口敏則、吉岡薫らがいる。
久保松 勝喜代(くぼまつ かつきよ、1894年(明治27年)… 久保松 勝喜代(くぼまつ かつきよ、1894年(明治27年)10月25日 - 1941年(昭和16年)12月15日)は、囲碁棋士。兵庫県出身。方円社、日本棋院に所属、名誉九段。昭和初期の関西囲碁界の重鎮であり、橋本宇太郎、木谷實らを弟子としながら東京に送り出した他、多くの棋士を育てた。「偉大なる素人」と呼ばれ、大模様の碁を得意とし、初手天元も研究した。連珠八段でもあり、久保松機山を名乗った。 尼崎市生まれ。5歳の時に父が打っているのを見て碁を覚える。6歳で父を亡くし、伯父の後見で育つ。特定の棋士に師事することはなく、ほとんど独学で棋力を磨いた。9歳の時に禅晶寺の碁会で泉秀節に九子で対局して勝ち、秀節は養子にすることを望んだが伯父が許さなかった。
四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - … 四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - 1835年(天保6年)は、囲碁の棋士。淡路国津名郡上畑村(現兵庫県淡路市木曽上畑)出身。賭碁師として全国を遍歴し、阿波の米蔵の名を馳せた。後に本因坊門下、四段。晩年は一生軒無案を号す。跡目時代の本因坊丈和との十一番碁がある。 特に師に付くこともなく独学で碁を学び、享保・文政の頃に賭碁師として諸国を巡って三千両以上を稼ぎ、四、五段の力があるとも言われて、その名を知られていた。 1820年(文政3年)に阿波藩主阿波守蜂須賀斉昌の伴として初めて江戸へ出て、本因坊家に赴き手合を求めた。当主本因坊元丈は当時六段の跡目丈和と二子で対戦させ、米蔵9目負となる。