常陰 均(つねかげ ひとし、1954年8月6日 - )は日本… 常陰 均(つねかげ ひとし、1954年8月6日 - )は日本の銀行家。兵庫県姫路市出身。 2011年から2021年まで三井住友信託銀行代表取締役、2015年から2018年まで信託協会会長。 淳心学院高等学校を経て、1977年に大阪大学法学部を卒業し、住友信託銀行に入社。以後同社で証券業務部長、企画部長、執行役員、取締役兼常務執行役員を歴任、2008年に森田豊の後任として同社取締役社長に就任したが、2016年に行われた金融庁検査において、検査通知とは別に、常陰が「トップに君臨する期間が長すぎ、その弊害が生じている」とガバナンスの脆弱性を異例の所感にて指摘された後、2021年3月31日付けで三井住友トラスト・ホールディングスおよび三井住友信託銀行の取締役会長を辞任した。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
片岡 平八郎(かたおか へいはちろう、前名・郁三、1886年… 片岡 平八郎(かたおか へいはちろう、前名・郁三、1886年〈明治19年〉10月 - 没年不明)は、日本の政治家(兵庫県会議員、兵庫県城崎郡城崎町長)、旅館業者、銀行家。弟に終戦時の第一師団長を務めた片岡董中将が居る。 兵庫県出身。先代・平八郎の二男。1921年(大正10年)、家督を相続、前名・郁三を改め襲名した。豊岡中学校(現・兵庫県立豊岡高等学校)を卒業した。「三木屋」と称し、温泉旅館業を営み、傍ら銀行重役であった。但馬貯蓄銀行取締役、三共銀行監査役などをつとめた。 1894年(明治27年)2月から1896年(明治29年)10月、同年12月から1899年(明治32年)7月、同年9月から1903年(明治36年)9月、1937年(昭和12年)3月から1939年(昭和14年)9月まで城崎郡選出の兵庫県会議員を務めた。
阪口 吉蔵(さかぐち きちぞう、前名・吉太郎、1873年〈明… 阪口 吉蔵(さかぐち きちぞう、前名・吉太郎、1873年〈明治6年〉11月15日 - 没年不明)は、日本の酒造家、銀行家、兵庫県多額納税者。西宮銀行取締役。族籍は兵庫県平民。 兵庫県武庫郡西宮町(現・西宮市)の人、先代阪口吉蔵の長男。阪口市蔵の兄。1900年、家督を相続し、前名・吉太郎を改めた。「丹波屋」と称し、酒造業を営み、傍ら銀行の重役であった。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。趣味は陶器。宗教は浄土宗。住所は兵庫県西宮市浜脇町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
池田 謙三(いけだ けんぞう、1855年1月20日(安政元年… 池田 謙三(いけだ けんぞう、1855年1月20日(安政元年12月3日)- 1923年(大正12年)11月29日)は、日本の銀行家である。 現在の兵庫県豊岡市(旧・出石郡日高町宵田)に池田澄治の息子として生まれる。東京府庁勤務の傍ら漢学塾に通い内務省などを経て、1880年に生糸貿易に従事。1883年に原六郎に勧められ、第百銀行に入り取締役兼支配人に就任し、1912年に頭取となる。東京貯蔵銀行の頭取をかね、日本興業銀行、台湾銀行設立委員会、東京交換所委員長、第一生命保険、東京商業会議所特別委員、日進銀行各重役などを歴任した。墓所は品川区北品川の東海寺。 矢野恒太記念会は、池田の顕彰を目的とした「池田謙三翁記念奨学金」を1957年に設立し、出身地の出石にある兵庫県立出石高等学校の生徒10人を対象に支給している。
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12… 原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は、日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。 但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。 鎌倉時代より続く但馬国佐中村の大地主・進藤家の第22代目当主・丈右衛門長廣の六男四女の末っ子として生まれる。 11歳のころ、池田草庵の私塾・青谿書院に入門し、北垣国道、西村哲二郎らとともに学ぶ。池田草庵門下には、ほかに浜尾新(元東宮侍従浜尾実の祖父)、河本重次郎らがいる。 当時、尊皇攘夷派の活動が盛んであり、尊皇攘夷論を唱えるようになる。