直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2… 直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2005年9月30日)は、日本の画家、禅僧、俳人。 岡山県赤磐郡(現:赤磐市)生まれ、兵庫県の淡路島で育つ。本名は正。大阪美術学校卒業。帝国美術展に初入選後、日展に16回入選する。南画の第一人者。社団法人日本南画院会長・理事長、現代南画協会理事長、財団法人青少年文化研修道場理事、守口市美術協会会長、青玲社主宰、黄檗宗国清寺住職、俳誌「早春」選者などを務める。洲本市名誉市民、守口市名誉市民、南あわじ市名誉市民。 52歳の時、「自然の実相が禅」との柴山全慶老師(当時)の言葉に触れ、禅に傾倒。以来、老師の提唱は欠かさず聞いた。また当時の村瀬玄妙黄檗宗元管長とも幼馴染みで、臨済宗黄檗宗の僧籍をもつ。
葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - … 葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - 1989年3月7日)は、哲学者、天台宗の僧侶、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。比叡山延暦寺長﨟で初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長を務めた。世界平和のためには宗派を超えた宗教者の連帯が必要との持論から、世界宗教サミットを発起・開催した。 岡山県赤磐郡石生村原(現在の岡山県和気郡和気町原)の天台宗・元恩寺住職の葉上慈照の長男として生まれる。小学校一年の時、備前岡山藩主の池田家の寺である金剛山常住寺の弟子となる。1916年(大正5年)9月、岡山県立岡山中学校に進学、1920年(大正9年)第六高等学校 (旧制)の入学試験では数学で満点を取り、首席入学した。
赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1… 赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1997年8月5日)は、日本の詩人、曹洞宗僧侶。梅花流詠讃歌で知られる。岡山県浅口郡鴨方村(現・浅口市)出身。旧名は藤井卯七郎。 小学校卒業と同時に井原の善福寺の住職赤松仏海の養子となり、13歳で得度、1914年(大正3年)から新居浜の瑞応寺で修行、1916年から大本山永平寺で修行。1918年(大正7年)、僧籍を離れ上京して生田長江に師事。文学上の友人としては村井武生がいる。佐藤春夫、室生犀星らと知り文学活動を始め、『紀元』『文藝時代』などに参加。 1936年、岡山県に帰り、洞松寺(矢掛町)、善福寺の住職。1950年、曹洞宗特派布教師。1951年、正教師。
荻野 独園(おぎの どくおん、文政2年〈1819年〉6月 -… 荻野 独園(おぎの どくおん、文政2年〈1819年〉6月 - 1895年〈明治28年〉8月10日)は、幕末・明治の臨済宗僧侶。諱は承珠(じょうじゅ)、字は独園、号は退耕庵。独園承珠とも。廃仏毀釈の際に相国寺住持として日本の禅宗を守るために奔走した。 備前国児島郡山坂村(現在の岡山県玉野市)出身。8歳の時に親族がいた同郡の掌善寺に入って13歳で出家し、18歳の時に豊後国の帆足万里の下で儒学を学び、特に『周易』に通じた。6年後、京都に上洛して相国寺の大拙承演に師事して厳しい修行を積む。師が病気で倒れると越渓守謙の指導を受けながら最後まで師に尽くした。師の没後、心華院(現在の大光明寺)に移って布教活動をした。
美泉 定山(みいずみ じょうざん、文化12年1月7日(181… 美泉 定山(みいずみ じょうざん、文化12年1月7日(1815年2月15日) - 明治10年(1877年)11月4日)は、備前国周匝村(現在の岡山県赤磐市)出身の僧侶である。のちに北海道に渡って広く布教活動を行った。札幌市南区の定山渓は、彼の名に由来する。「美泉」という苗字は明治初期の法律に従うため、定山があえて作った姓である。 文化12年(1815年)、備前国曹洞宗の名刹妙音寺の二男として生まれる。17歳の時に実家を出て、高野山の道場で修行を積んだ後に、北上して仙台、出羽三山、秋田の太平山三吉神社などに滞在し、布教活動を行う。 1853年(嘉永6年)に蝦夷地に渡り、1866年(慶応2年)に張碓(はりうす)から2人のアイヌ人の先導のもと内陸に入り温泉を発見した。