岩藤 俊幸(いわどう としゆき、1956年6月 - )は、日… 岩藤 俊幸(いわどう としゆき、1956年6月 - )は、日本の外交官。衆議院事務局国際部長や、シカゴ総領事を経て、駐ジンバブエ特命全権大使。 東京都生まれ。岡山市育ち。ニジマスの研究に従事し、1982年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。論文「細菌性鰓病におけるサケ科魚類の斃死と溶存酸素との関係」で修士の学位を取得。同年外務省入省。1985年からカリフォルニアで英語研修を受けたのち、1986年在カナダ日本国大使館に赴任。 1989年から外務省経済協力局技術協力課で、国際協力事業団の予算などを担当。1993年から外務省アフリカ二課で第1回アフリカ開発会議の準備にあたった。外務省分析一課勤務を経て、1998年在パキスタン日本国大使館一等書記官。
齋藤 泰雄(さいとう やすお、1948年(昭和23年)1月5… 齋藤 泰雄(さいとう やすお、1948年(昭和23年)1月5日 - )は、日本の外交官。元・フランス国駐箚特命全権大使。日本オリンピック委員会副会長。 岡山県出身。金光学園中学校・高等学校から東京大学法学部へ進学。東京大学在学中の1970年(昭和45年)外務上級試験に合格、翌1971年(昭和46年)東大を中退して外務省に入省した。 外務省ではフレンチスクールに分類される。2002年に、アトランタ総領事時代の部下が起こした公金横領事件で監督責任を問われて訓戒処分を受けている。外務省欧州局長当時は、鈴木宗男衆議院議員が絡んだ不正入札疑惑で機密文書漏洩などの責任を問われ、厳重注意処分を受けている。
堀江 正彦(ほりえ まさひこ、1946年〈昭和21年〉 - … 堀江 正彦(ほりえ まさひこ、1946年〈昭和21年〉 - )は、日本の外交官。カタール駐箚特命全権大使、マレーシア駐箚特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使を歴任した。2012年以降、国際連合「万人のための持続可能なエネルギー」諮問理事やマレーシア工科大学・日馬国際工科院担当特別教授を務めるとともに、現在は国際自然保護連合の理事(外務省参与・大使)、明治大学学長特任補佐、京都大学特任教授、筑波大学客員教授を勤めている。 岡山県津山市出身。1969年(昭和44年)大阪大学経済学部を卒業後、渡米し、1971年(昭和46年)チューレイン大学大学院経済学修士課程を修了する。1973年(昭和48年)大阪大学法学部を卒業し、外務省に入省した。
久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総… 久山 慎一(くやま しんいち、1944年 ー )は、日本の総務官僚、外交官。 総務省総務審議官、駐ウルグアイ特命全権大使を歴任した。 趣味はインラインスケート、スキューバーダイビング、小型船舶の操縦、アマチュア無線、そば打ちなど多彩。おかやま財界(2004年3月5日号)の『ふるさとメール』の中で、「趣味に打ち込んでいる最中、ふと仕事上の問題解決につながるヒントがひらめく。うまくいかない時の気分転換にもなる。自分の世界を持つことは大切。……子どものころの魚捕りや父と歩いた操山などの原体験が今につながっている」と語っている。
久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外… 久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外交官。岡山県出身。元国際連合事務次長補。元国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)事務次長。元国際連合総会第5委員会議長(行財政問題担当)。元国連合同監査団(JIU)議長。日本国際連合協会理事。外務大臣表彰状受賞。瑞宝中綬章受賞。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校卒業。東京大学教養学部卒業。上智大学国際部(現・国際教養学部)大学院修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975-1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979-83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。
奥村 勝蔵(おくむら かつぞう、1903年8月7日 - 19… 奥村 勝蔵(おくむら かつぞう、1903年8月7日 - 1975年9月26日)は、昭和期の外交官。 岡山県岡山市出身。天王寺中学、第三高等学校を経て、東京帝国大学法科卒業。1926年(大正15年)、外務省入省。 アメリカ合衆国在ワシントン日本大使館の一等書記官在任中であった1941年(昭和16年)12月8日に、太平洋戦争が始まった。奥村はこの際に不得手なのに日米交渉打ち切りの文書をタイプライターを使い時間を浪費し浄書した。大日本帝国がアメリカ合衆国のコーデル・ハル国務長官に交渉打ち切りの文書を手渡したのは同日午後2時20分で、命令で指定された予定時刻から1時間20分の遅れであり、既に真珠湾攻撃は始まっていたため、日本による騙まし討ちと米国は宣伝した。
藤田 敏郎(ふじた としろう、1862年8月1日(文久2年7… 藤田 敏郎(ふじた としろう、1862年8月1日(文久2年7月6日) - 1937年(昭和12年)1月29日)は、明治・大正期日本の外交官。初代シンガポール領事や、ロンドン総領事、サンパウロ総領事等を務めた。 岡山県津山市出身。父は津山藩士・渡邊政。明治維新後に没落し藤田家に養子入りした。英語などを学び、商法講習所(現一橋大学)卒業。共同運輸会社入社後、母校商法講習所の矢野二郎校長の勧めで、1885年に外務書記生となった。翌1886年から在ホノルル日本領事館勤務。 1888年から在サンフランシスコ日本領事館書記生を務め、在任中メキシコでの日本人殖民地建設を建議し、1891年に中南米初の日本領事館がメキシコに開設されると初代領事代理として赴任した。