米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉… 米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉永5年9月1日)- 1919年(大正8年)5月15日)は、明治から大正前期の銀行家、政治家。衆議院議員、広島県会議長。 備後国三谿郡、のちの広島県三谿郡吉舎村(双三郡吉舎村、吉舎町を経て現三次市)で、米田為三郎の長男として生れた。国学、漢学を修めた。1875年(明治8年)11月、家督を相続した。 副戸長、郡書記、町村連合会議員、同議長、広島県会議員、同常置委員、同議長、双三郡会議員、同議長、同参事会員、徴兵参事員、地方衛生会委員、広島県農会議長、双三郡教育会長、所得調査会長などを務めた。 1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、無所属)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
長井 松太郎(ながい まつたろう、1850年(嘉永3年7月)… 長井 松太郎(ながい まつたろう、1850年(嘉永3年7月)- 1892年(明治25年)8月10日)は、明治前期の政治家。衆議院議員、広島県会議長。 備後国御調郡、のちの広島県御調郡貢村(糸崎町を経て現三原市)で生れた。漢学、武術を修めた。 東野村里正、木原村里正、御調郡書記、広島県会議員、同常置委員、同副議長、同議長を務めた。日本赤十字社常議員にも在任した。 1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(広島県第7区、無所属)では次点で落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(広島県第7区、 中央交渉会)では当選した。しかし、1期目在任中の同年8月に肺病により死去した。
吉田 顕三(よしだ けんぞう、嘉永元年4月8日(1848年5… 吉田 顕三(よしだ けんぞう、嘉永元年4月8日(1848年5月10日) - 大正13年(1924年)3月1日)は、日本の衆議院議員(壬寅会→中正倶楽部)。海軍軍医大監。 安芸国山県郡吉坂村(現在の広島県山県郡北広島町)出身。1865年(慶応元年)より京都・大坂で医学と英語を学んだ。1868年(明治元年)、箱館府民政方病院掛となるが、箱館戦争が起こると甲鉄艦乗組医官を務めた。その後軍艦や海軍病院に勤務。1872年(明治5年)よりイギリス留学を命じられた。1878年(明治11年)に帰国後は、軍医少監に任ぜられ、軍医中監、軍医大監と昇進した。その間、医務局副長、海軍病院副長、同院長を務めた。また1881年(明治14年)からは大阪府立病院長・大阪府立医学校長も務めた。
脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4… 脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4年10月) - 1908年(明治41年)12月7日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(当選4回)。 安芸広島藩領賀茂郡、のちの寺西村(広島県賀茂郡西条町、寺西村、寺西町、西条町を経て現東広島市)出身。12、3歳の時に京師、浪花に数年遊学する。漢籍および剣術を修めた。業成ると故郷に帰り、家業の農業、醸造業等に従事する。 農兵組頭、庄屋、戸長、第八大区書記、賀茂郡書記を経て、1882年(明治15年)、広島県会議員に当選。広島県会議員、同常置委員、同議長などを務めた。ほか、山陽鉄道、中国紡績各重役、私立関西中学校財団理事などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第5区から出馬し当選。
佐々木 高栄(高榮、ささき こうえい、1846年(弘化3年8… 佐々木 高栄(高榮、ささき こうえい、1846年(弘化3年8月) - 1915年(大正4年)7月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 安芸国安芸郡(のち広島県安芸郡、現・呉市)生まれ。安芸郡書記、広島県会議員、呉市会議員、同議長、和庄町長となる。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において広島1区から自由党公認で立候補して当選した、続く同年9月の第4回衆議院議員総選挙で再選した。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では立憲自由党公認で立候補して三選した。衆議院議員を3期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補したが落選した。1915年に死去した。
沢原 為綱(澤原 爲綱、さわはら ためもと、1839年8月2… 沢原 為綱(澤原 爲綱、さわはら ためもと、1839年8月27日〈天保10年7月19日〉 - 1923年〈大正12年〉4月8日)は、日本の公共事業家、政治家、広島県多額納税者。貴族院多額納税者議員。崇徳銀行頭取。広島県農工銀行取締役。族籍は広島県平民。 安芸国安芸郡荘山田村(現・広島県呉市)の人である。農業を営む。広島県農工銀行の創立に関与する。1878年(明治11年)、安芸郡長に任ぜられる。ほか、同郡所得税調査委員などを務めた。 1890年(明治23年)、広島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。貴族院在任中、大阪築港、小樽築港、広島市の上水道敷設などに尽力した。
松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月… 松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月) - 1901年(明治34年)5月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 安芸国賀茂郡津江村(のち広島県賀茂郡下黒瀬村→黒瀬町、現・東広島市)生まれ。漢籍を学ぶ。豊田郡松江村(のち沼田西村、現・三原市)、下北方村(のち北方村、現・三原市)各庄屋、豊田郡戸長、広島県第九大区長、豊田郡長、学区取締、豊田郡徴兵事務官、検疫委員、日本赤十字社豊田郡委員長となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において広島5区から中央交渉会で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年に死去した。
石橋 林太郎 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(… 石橋 林太郎 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、自由民主党副幹事長、自由民主党政務調査会外交部会長代理。日本の尊厳と国益を護る会事務局長。
高垣 広徳 は、日本の政治家。広島県東広島市長(3期)。元広… 高垣 広徳 は、日本の政治家。広島県東広島市長(3期)。元広島県副知事。
神田 憲次 は、日本の政治家、税理士。
小鷹狩 元凱(こたかり もとよし)は明治時代の軍人、政治家、… 小鷹狩 元凱(こたかり もとよし)は明治時代の軍人、政治家、郷土史家。号は預園、後に弘洲。旧広島藩士。維新後陸軍に出仕して徴兵事務に携わり、大尉まで進むも、薩長による藩閥に反発して立憲改進党に入党し、自由民権運動に携わった。帝国議会開設後、度々衆議院議員総選挙に出馬するも苦戦し、一期務めたのみで引退、晩年は芸備協会での育英事業に専念し、また広島の藩政時代等についての事跡を書き残した。
佐藤 公治 は、日本の政治家。立憲民主党広島県連代表、政治団… 佐藤 公治 は、日本の政治家。立憲民主党広島県連代表、政治団体「結集ひろしま」代表。
はた ともこ は、日本の政治家、薬剤師・ケアマネジャー。参議… はた ともこ は、日本の政治家、薬剤師・ケアマネジャー。参議院議員(1期)を務めた。2009年6月に戸籍名を、秦 知子から「はた ともこ」に改名した。
奥田 正和(おくだ まさかず)は、日本の地方政治家。広島県世… 奥田 正和(おくだ まさかず)は、日本の地方政治家。広島県世羅郡世羅町町長(4期目)。元・世羅町議会議長。2024年10月20日現在61歳。 娘は女優・プロレスラーの世羅りさ。 広島県立日彰館高等学校卒業。1981年(昭和56年)に世羅郡農協(現・JA尾道市)職員になる。40歳の時に退職。 2004年に旧世羅西町の町議に当選、同年、世羅町の町議に当選し副議長、議長を歴任した。 2012年(平成24年)の町長選に立候補し、日本一躍動する町を掲げ、現職を破り当選した。同年10月31日に世羅町長に就任し、2024年10月20日、4選。 剣道5段である。息抜きは「あちこちの仲間とのプチ宴会」。 ※当日有権者数:14,862人 最終投票率:75.66%(前回比:pts) ※当日有権者数:14,352人 最終投票率:71.19%(前回比:-4.47pts) 2020年10月20日告示、無投票当選、3選。
山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 山本 香苗 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(1期)。中道改革連合代表代行。日本福祉大学客員教授。大阪府堺市堺区在住。
石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)… 石井 英太郎 (いしい えいたろう、天保14年(1843年)1月 - 昭和2年(1927年)10月14日)は、明治時代の政治家。 広島県議会初代議長。広島県福山中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)初代校長。福山初の小学校である深津啓蒙所(現福山市立深津小学校)設立に尽力した。深津村庄屋で義倉財団創設に関係する石井武右衛門の玄孫にあたる。四女が石井スエ(大原寿恵子)で孫が大原総一郎。 備後国深津郡深津村(現広島県福山市東深津町)で庄屋の家に生まれる。 慶応元年(1865年)閏5月、家督相続し深津村庄屋を拝命する。同年6月備後福山藩御用達となり 、明治2年(1869年)福山藩下議員として公議所に出仕する。