スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐々木 リョウ(1988年4月24日 - )は、日本の男性シ… 佐々木 リョウ(1988年4月24日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。広島県三次市出身。2016年、まるか食品の「イカ天瀬戸内れもん味」PR大使に就任。 1988年4月24日、広島県三次市に生まれる。ドラマーの父、ピアニストの母、クラリネット奏者の姉を持ち、天真爛漫な幼少期を過ごす。 広島県立八次小学校に入学。当時から熱狂していた広島東洋カープに影響され、5年生の時にスポーツ少年団に入り、野球を始めたが1年あまりで退部。退部の原因は、当時コンプレックスだった肥満体型を指摘されたためである。その後、自宅倉庫にしまってあった父のクラシックギターを触り始めたことがきっかけとなり、音楽にのめり込んでいくこととなる。
谷尻誠(たにじり まこと、1974年 -)は、日本の建築家。… 谷尻誠(たにじり まこと、1974年 -)は、日本の建築家。SUPPOSE DESIGN OFFICE代表。 yado代表取締役。Mietell代表取締役。 1974年、広島県三次市生まれ。 広島県立日彰館高等学校、穴吹デザイン専門学校卒業。本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て、2000年にSupposedesign officeを設立。2014年SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. を吉田愛とともに共同設立。 2018年に公開されたアニメーション映画『未来のミライ』では、作品の舞台となる主人公の自宅を設計した。
眞野 勝弘(しんの かつひろ、1943年〈昭和18年〉7月2… 眞野 勝弘(しんの かつひろ、1943年〈昭和18年〉7月27日 - )は、日本の政治家。元広島県廿日市市長(3期)。 1962年(昭和37年)3月、広島県立日彰館高等学校卒業。1964年(昭和39年)3月、広島商科大学短期大学部卒業。1980年(昭和55年)12月、佐伯郡町村会事務局長に就任。1984年(昭和59年)4月、廿日市町の職員となる。1988年(昭和63年)4月1日、廿日市町が市制施行し廿日市市が発足する。眞野は1999年(平成11年)12月に同市助役となり、2007年(平成19年)4月に副市長に就任。 就任4か月後の8月に副市長を辞任。同年10月21日に行われた廿日市市長選挙に出馬。
奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )… 奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )は、日本の人形作家。勲等は文化勲章。公益社団法人日展元理事長、一般社団法人現代工芸美術家協会理事長、日本芸術院会員、文化功労者。旧姓は川井(かわい)。 社団法人日展常務理事、社団法人現代工芸美術家協会副理事長などを歴任した。 一男二女の末子として大阪府堺市に生まれる。2歳の時に父を亡くし、母の故郷である広島県双三郡吉舎町(現在の三次市吉舎町)に移住。1955年、日彰館高等学校卒業後、人形作家を志して上京。 1966年に光風会展に入選し、1967年には新日展での入選と日本現代工芸美術展での入選を果たした。1972年、日展特選、光風会会員となる。
渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2… 渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2006年9月18日)は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手(投手)。 私立日彰館中学校卒業後、広島県庁の軟式野球チーム「オール県庁」で広岡富夫とバッテリーを組む。剛速球投手として知られていた渡辺はある日、広島球団から呼び出しがあって広陵高へ行ってみると石本秀一監督が立ち合ってのテストであった。ものの10分ほど投げると「カープへ来ないか」と誘われたが、渡辺に入る気は無く、県庁の職員からも「なんで渡世稼業みたいな世界に入らないけんのや」と猛反対された。結局、渡辺は「独身だったし、測量や設計の技術者だったこともあって食べることには心配ない。
奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7… 奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7日 - 2003年(平成15年)2月15日)は日本画家。元・日本芸術院会員。1984年(昭和59年)に文化勲章受章。本名は奧田 嚴三(おくだ げんそう)。妻は人形作家の奥田小由女。 「元宋の赤」と言われる独特な赤色が特徴。「美術人名辞典」(思文閣)によれば「自然と自己の内面を照応した幽玄な山水で精神性の濃い絵画世界を築く」と評されているほか、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典には「日本の風景美の伝統を受け継いだ静かで神秘的な水墨画の世界に、多彩な色使いによる色彩美を加え、新朦朧派と評される独自の風景画を確立した」と解説されている。 歌人としても著名で、1981年正月には宮中歌会始の召人に選ばれた。
奥田 達郎(おくだ たつろう、1898年(明治31年)1月1… 奥田 達郎(おくだ たつろう、1898年(明治31年)1月12日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 広島県出身。1921年(大正10年)、東京帝国大学法学部法学科を卒業し、高等試験に合格した。台湾総督府財務局事務官、台中州大屯郡守、台北州内務部勧業課長、高雄州警務部長、警務局衛生課長、財務局税務課長、台北州警務部長、殖産局特産課長などを歴任。1939年(昭和14年)、台中州知事に就任し、さらに米穀局長、食糧局長、国土局長を務めた。 1943年(昭和18年)に退官した後は、台湾食糧営団理事長に就任した。 戦後は広島市助役に任命された。
妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 - … 妹尾 知之(せのお ともゆき、明治24年〈1891年〉 - 昭和59年〈1984年〉)は、日本の海軍軍人。海軍中将。海軍兵学校40期生。海軍大学校22期生。
磯 永吉(いそ えいきち、1886年11月23日 - 197… 磯 永吉(いそ えいきち、1886年11月23日 - 1972年1月21日)は、日本の農学者、作物育種学者。台北帝国大学(現台湾大学)教授。台湾米(蓬萊米)の父と呼ばれた。農学博士(北海道大学・論文博士・1928年)(学位論文「台湾稲ノ育種学的研究」)。 1886年、広島県福山市新馬場町(霞町)で生まれた。旧制日彰館中学(現・広島県立日彰館高校)を経て、1905年に札幌農学校に入学。同学校は東北帝国大学農科大学に在学中に東北帝国大学農科大学に改組となったため、1911年に東北帝国大学農科大学を卒業。 1912年、台湾へ渡り、台湾総督府農事試験場に勤務。1928年、学位論文『台湾稲ノ育種学的研究』を北海道帝国大学に提出して農学博士号を取得。
上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 … 上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 - 1972年2月27日)は、日本の農業経済学者・教育者。専門は、拓殖学(植民学)・開発政策・北海道開拓史。学校法人北海学園理事長・北海学園大学初代学長・北海学園大学短期大学部初代学長等を歴任。 1883年、広島県山県郡南方村(現・北広島町)で生まれた。旧制日彰館中学(現広島県立日彰館高校)を経て、1905年に札幌農学校に入学。農学校では高岡熊雄に師事した。同校は東北帝国大学農科大学に改組となり、1912年に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)を卒業。 1912年、東北帝国大学農科大学助手に採用された。1914年、東北帝国大学農科大学助教授に昇格。
奥田 正和(おくだ まさかず)は、日本の地方政治家。広島県世… 奥田 正和(おくだ まさかず)は、日本の地方政治家。広島県世羅郡世羅町町長(4期目)。元・世羅町議会議長。2024年10月20日現在61歳。 娘は女優・プロレスラーの世羅りさ。 広島県立日彰館高等学校卒業。1981年(昭和56年)に世羅郡農協(現・JA尾道市)職員になる。40歳の時に退職。 2004年に旧世羅西町の町議に当選、同年、世羅町の町議に当選し副議長、議長を歴任した。 2012年(平成24年)の町長選に立候補し、日本一躍動する町を掲げ、現職を破り当選した。同年10月31日に世羅町長に就任し、2024年10月20日、4選。 剣道5段である。息抜きは「あちこちの仲間とのプチ宴会」。 ※当日有権者数:14,862人 最終投票率:75.66%(前回比:pts) ※当日有権者数:14,352人 最終投票率:71.19%(前回比:-4.47pts) 2020年10月20日告示、無投票当選、3選。