三輪 郁佳(みわ あやか、1988年12月23日 - )は、… 三輪 郁佳(みわ あやか、1988年12月23日 - )は、広島県東広島市出身の女子自転車競技(BMX)選手。広島県立河内高等学校卒業。 広州アジア大会の銀メダリストである。伯和ビクトリーズのマスコットガールを務めたこともある。 小学5年生の時、遊びに行った土師ダムで、弟がBMXをはじめた。その影響で、初めは自転車に乗るのを怖がっていた三輪もBMXに興味を持ち、自転車に乗るようになった。 2000年、全日本選手権十二歳以下の部で優勝。 2006年と2008年には、全日本選手権で優勝。 2010年には、広州アジア大会にて銀メダルを獲得した。 三輪郁佳オフィシャルサイト BMX MTB4X
小森 亮平(こもり りょうへい、1988年9月26日 - )… 小森 亮平(こもり りょうへい、1988年9月26日 - )は、広島県福山市出身の自転車競技(ロードレース)選手。 広島県立福山誠之館高等学校時代の2006年、夏休み期間を利用してフランスへ渡航したことをきっかけに、同校卒業後、ダイハツ・ボンシャンス飯田に籍を置きながら、2007年、2008年とフランスを拠点にレース活動を行う。 2009年、アメリカ籍のトレック・ライヴストロングに移籍。 2010年、Bbox ブイグテレコム傘下のヴァンデUに移籍。 2011年、イタリアを拠点とするチームNIPPOに移籍。 2013年、ベルギーを拠点とする若手チーム、チームユーラシアに移籍。
西岡 拓朗(にしおか たくろう、1983年11月21日 - … 西岡 拓朗(にしおか たくろう、1983年11月21日 - )は、広島県出身の競輪選手、BMX(レーシング)選手。 5歳の頃より、主に土師ダムを練習地としてBMXに取り組むようになるが、その後諸般の事情が重なって一旦遠ざかった。しかし、広島市立五日市観音中学校時代に、野球から転向する形でBMXに再度取り組むようになった。 広島県立五日市高等学校1年の時渡米し、以後毎年、BMXの本場であるアメリカでプレーするようになる。2001年には、同国のスーパークラスに昇格した。 2004年、全日本BMX選手権大会で優勝。同年JBMXF全日本シリーズチャンピオン獲得。 2006年〜2007年、オーストラリアに渡りAA PROクラスで1年間レースに参戦。
西谷 泰治(にしたに たいじ、1981年2月1日 - )は、… 西谷 泰治(にしたに たいじ、1981年2月1日 - )は、日本の自転車競技選手。ロードレースとトラックレースの両方で活躍した。広島県安芸郡坂町出身。2002年と2006年のアジア競技大会自転車競技日本代表。 ツール・ド・北海道との相性が非常に良く、ステージ優勝7回は歴代1位。 広島電機大学附属高校(現広島国際学院高校)入学と同時に自転車競技を始める。 その後、進学した日本大学4年時に2002年釜山アジア競技大会自転車競技の日本代表として出場、ポイントレース10位に終わる。 大学卒業後の2003年から愛三工業レーシングチームでプロ入り。 これまで同大会では、2005年に福島康司が、2007年には福島晋一がステージ優勝を果たしているが、いずれも逃げ切りでの優勝で、日本人選手による集団スプリントでのステージ優勝は西谷が初めて。
唐見 実世子(からみ みよこ、1974年9月6日 - )は、… 唐見 実世子(からみ みよこ、1974年9月6日 - )は、広島県広島市出身の自転車プロロードレース選手である。愛称は「からみっち」「からみー」。 広島市立美鈴が丘高等学校、中京女子大学卒業後、カツリーズサイクルに入社。1999年のアジア選手権で3位に入り、以降国内で多くのタイトルを獲得。2004年にはアテネ五輪にも出場。2005年より活動拠点をイタリアのサフィパスタ・ザーラ・マンハッタンに移し、欧州各地や国内を転戦しているほか、世界選手権にも出場。2006年にはアジア大会に出場し4位入賞となる。2007年よりチームサッカレッリに移籍。その後現役引退し一度は自転車競技から離れるものの、9年間のブランクを経て2016年より弱虫ペダル サイクリングチームでプレイングコーチとして現役復帰し2022年まで在籍。
今中 大介(いまなか だいすけ、1963年7月24日 - )… 今中 大介(いまなか だいすけ、1963年7月24日 - )は、元自転車ロードレース選手、実業家。広島県広島市安佐北区可部出身。愛称は「イマニャカ」。 広島市立可部中学校~広島城北高等学校~大分大学大学院工学研究科卒業。 「日本人で初めて近代ツールを走った」人物でもある。 叔父(今中の母の弟)に漫画家のあすなひろしがいる。 大分大学で修士号を取得した後、シマノに入社する。シマノではテストライダーをしていたと自著で回想しており、ロードレーサーにもMTBにも散々乗ったという。 シマノの社員としてツール・ド・北海道総合優勝(1990年・1991年・1993年)を始めとする国内の自転車レースタイトルを次々と獲得したあとの1994年、31歳の時に渡欧する。