大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年… 大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年〈昭和31年〉7月7日 - 2023年〈令和5年〉3月2日)は、日本の宗教家、思想家、作家。幸福の科学の創始者・総裁。 2022年12月時点、説法回数は3,500回、著作の公称の発刊点数は日本国内で3,100書、作詞・作曲を手がけた作品は450曲を超える。幸福の科学のほか幸福実現党、ニュースター・プロダクション、ARI Productionなど、幸福の科学グループの多くの企業・団体で会長や総裁職を勤めていた。 29歳年下の後妻(再婚)である大川紫央 (現総裁補佐)については、”坂本龍馬の生まれ変わり”であるとしている。 1956年7月、徳島県麻植郡川島町大字桑村(現在の吉野川市川島町桑村)に、日本共産党活動家で、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川 忠義、共産党名:中川只芳)と母・君子の次男として生まれた。
富山 誠(とみやま まこと、本名:中川 力(つとむ)、195… 富山 誠(とみやま まこと、本名:中川 力(つとむ)、1952年〈昭和27年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉6月29日)は、日本の宗教家。徳島県(吉野川市)出身。京都大学文学部哲学科卒業。種智院大学人文学部卒業。実弟は幸福の科学総裁である大川隆法。 徳島県麻植郡川島町(現:吉野川市)で畜産コンサルタントの中川忠義とその妻である中川君子の長男として生まれる。徳島県立城南高等学校を卒業し、1978年(昭和53年)に京都大学文学部哲学科を卒業。 その後、仏教研究のため種智院大学人文学部に学士入学し卒業。大手進学予備校で受験指導にあたる傍ら、哲学・宗教学の研究を続けた。 1983年(昭和58年)に父の忠義とともに徳島市の新町橋近くで進学塾「太陽学園」を設立・経営し塾長となるが、後に若年性高血圧症の脳溢血で入院することとなり進学塾は閉鎖となる。
中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月2… 中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月21日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学名誉秘書長。徳島県徳島市出身。徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)卒業。 徳島県徳島市で生まれ、徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)を卒業。理容師の資格を得て徳島市内で理容業を営む。 18歳で針の製造会社を経営する中川忠義と結婚し、理容業を続ける。忠義との間には1952年(昭和27年)に長男の力と1956年(昭和31年)に次男の隆(後の大川隆法)を出産する。 また理容師を営みながら、管理理容師の資格も得て、自宅の1階を理容店に改装して経営していた。 1986年(昭和61年)10月に次男の大川隆法が、幸福の科学を設立。
新田 邦光(にった くにてる、文政12年12月5日〈1829… 新田 邦光(にった くにてる、文政12年12月5日〈1829年12月30日〉 - 1902年〈明治35年〉11月25日)は、幕末の志士、明治期の神道家で、神道修成派の教祖。 文政12年12月5日、阿波国美馬郡拝原村(現在の徳島県美馬市)の郷士竹澤平太と母・曾米(田村氏の女)の三男として生まれる。初名は寛三郎。幼少の頃より南朝の英雄・新田義貞の弟脇屋義助の末裔であるという、家に伝わる旧記を読み、勤王を自覚し文武の道に励んだため、7歳にして論語を暗記した。 弘化4年(1847年)、山陰、山陽諸国を巡遊。神道家として、嘉永元年(1848年)20歳の時、布教伝道の志を立てる。これを修成派では立教元年としている。