大島 拓海(おおしま たくみ、1996年6月7日 - )は、… 大島 拓海(おおしま たくみ、1996年6月7日 - )は、徳島県阿波市出身の、日本の柔道選手である。階級は60 kg級。身長163 cm。組み手は右組み。血液型はAB型。段位は弐段。得意技は背負投。筑波大学卒業。兄は2011年の世界カデ60 kg級チャンピオンの大島優磨。 漫画YAWARA!に影響されて柔道を始めた姉に続いて、7歳の時に兄とともに上坂柔道教室で始めた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会45kg級で優勝した。6年の時は50kg級で5位にとどまった。阿波中学2年の時に全国中学校柔道大会60kg級で2位になると、3年の時には優勝を飾った。国士舘高校に進んだ兄と違い、高校は上京せず地元の阿波高校に進学すると、1年の時に全日本カデで優勝した。
大島 優磨(おおしま ゆうま、1995年1月7日 - )は、… 大島 優磨(おおしま ゆうま、1995年1月7日 - )は、日本の柔道家。徳島県阿波市出身。階級は60kg級。身長164cm。組み手は左組み。血液型はB型。得意技は背負投、寝技。弟は2013年の世界カデ60kg級チャンピオンの大島拓海。妻は総合格闘家の大島沙緒里。 柔道は7歳の時に高原柔道会で始めた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝した。6年の時は45kg級で2位にとどまった。阿波中学2年の時に全国中学校柔道大会60kg級で2位になると、3年の時には優勝を飾った。国士舘高校に進学すると、2年の時に全日本カデと世界カデで優勝を果たした。さらに全国高校選手権でも優勝した。3年の時には全日本ジュニアとアジアジュニアでも優勝を成し遂げた。
森下 麻衣(もりした まい、1994年8月12日 - )は、… 森下 麻衣(もりした まい、1994年8月12日 - )は、徳島県出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は44kg級と48kg級。身長152cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は5歳の時に柔志館で始めた。市場中学2年の時には全国中学校柔道大会44kg級で優勝を飾った。徳島県の女子選手では初めての優勝となった。3年の時には16歳以下の世界一を決める世界カデで、今大会最年少となる14歳359日で優勝を果たした。その2週間後には全国中学校柔道大会の決勝で藤枝順心中学3年の岡本理帆を破り、2連覇を達成した。2010年には愛知県の弥富高校へ進むが、1年の時に柔道部監督の東内伸浩が辞めざるを得なくなったために、兵庫県の夙川学院高校への転校を余儀なくされた。
藤原 康博(ふじわら やすひろ、1976年7月8日 - )は… 藤原 康博(ふじわら やすひろ、1976年7月8日 - )は、徳島県出身の、日本の柔道選手である。階級は90kg級と100kg級。身長187cm。得意技は内股、払腰。 阿波高校から京都産業大学へ進むと、4年の時に正力杯の90kg級で3位となった。1999年に大学を卒業して大阪府警の所属となると、講道館杯の100kg級で3位だった。2000年には全日本選手権に初出場を果たすと、内股で2試合を一本勝ちするなど予想外の活躍で準決勝まで進むが、今大会3連覇を達成した100kg超級と無差別の世界チャンピオンである旭化成の篠原信一に教科書のような内股で投げられたものの、3位入賞を果たした。2003年の全国警察柔道選手権大会で3位となった。
藤本 聰(ふじもと さとし、1975年8月2日 - )は、徳… 藤本 聰(ふじもと さとし、1975年8月2日 - )は、徳島県徳島市生まれの男性柔道家。5歳のときに柔道を始める。児童期に不慮の事故(学友との遊びで目に小石が当たる)に遭い左目を負傷。児童期から青年期にかけ徐々に視野が狭くなり視力も低下。後天性視覚障害。 2004年のアテネ大会でパラリンピック三連覇を達成し同年に徳島県民栄誉賞を受賞。国体柔道成年男子の部で徳島県代表として先鋒(60kg以下級)で参加(1995年 福島、1997年 大阪、1999年 熊本)。視覚障害者柔道で89連勝の記録を持つ。2008年のパラリンピック北京大会ではパラリンピック四連覇が掛かっていたが、決勝でアルジェリアのサイド・アリ・ラムリに敗退し銀メダルに終わる。
湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 20… 湊 庄市(みなと しょういち、1922年11月1日 - 2004年1月3日)は、日本の柔道家(講道館9段)、政治家。旧姓小山。 柔道界においては全日本柔道連盟顧問や四国柔道連盟副会長、徳島県柔道連盟会長、徳島県警師範等を、また政界においては徳島県議会議員として県議会議長等を務めた。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市)にて、養蚕業と雑貨商を営む小山家に次男として生まれた。1935年4月に旧制阿波中学校(現・県立阿波高校)へ入学し、授業で柔道と剣道のどちらかが必修科目となっていたため、道具の安い柔道を選択したのが斯道に触れるきっかけとなった。師範の竹内秀夫より柔道を学び、ここで同級生の川添利雄(のち高知県柔道連盟会長)や西條晃正(のち徳島県議会議員)らと阿波中の黄金時代を築いたのち、1939年6月付で講道館へ入門。
阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月… 阿部 謙四郎(あべ けんしろう、1915年〈大正4年〉12月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月1日)は、日本の柔道家、合気道家、剣道家である。柔道7段(1960年代末に8段を授与されたとする情報もある)、合気道6段、剣道6段。 日本では戦前の著名な柔道家として知られる。戦後は日本の柔道界と対立して1955年にイギリスに渡った。イギリスではKenshiro Abbeの名で、1960年代のイギリスに合気道・剣道などを紹介した人物として知られる。1960年代にイギリス柔道カウンシル(BJC)を設立した。求心道(英語版)(Kyūshindō)を創始し、その理論に基づいて武道を教える道場が現在も多くある。