井上 周一郎(いのうえ しゅういちろう、1975年- )は、… 井上 周一郎(いのうえ しゅういちろう、1975年- )は、日本の彫刻家。鹿児島女子短期大学児童教育学科教授。長崎県諫早市出身。日展会員,日本彫刻会正会員(展覧会委員),白日会会員, 日本美術家連盟会員等。 現在、鹿児島大学教育学部非常勤講師も務める。 現在、大理石を中心とした彫刻作品の製作活動を主に行っている。石彫刻でありながらも柔らかさや気品を持った作品が特徴的であり、第50回記念日本彫刻会展覧会で『東京都知事賞』を受賞した作品の「春水」は、審査員・美術評論家の武田厚氏より、「石を扱いながら、主題に見る通りの、柔和で優美な香りを感じさせる表現も特異である」と講評された。
若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月1… 若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月19日 - 1973年〈昭和48年〉8月3日)は、日本の登山家、彫刻家。1967年(昭和42年)に今井通子と共に、アルプス山脈三大北壁の一つであるマッターホルンの北壁へ、世界初の女性だけのパーティでの登攀を果たした。卓越した登攀技術の持主として将来を期待されていたものの、新婚旅行を兼ねたマッターホルン登山で、夫と共に滑落死した。登山小説『銀嶺の人』のモデルの1人。「若山」は旧姓で、結婚後の本名は「岡本 美子」。満州里市出身。 満洲国に渡って水産会社を興した父のもとに誕生。父の事業成功により家は裕福であったが、終戦直前の1945年(昭和20年)7月に父が召集され、翌月にはソ連軍の侵攻に遭い、逃避行の生活を強いられた。
北村 治禧(きたむら はるよし、1915年1月1日 - 20… 北村 治禧(きたむら はるよし、1915年1月1日 - 2001年8月21日)は、日本の彫刻家、日本芸術院会員。長崎県出身。父は北村西望、妻路子(大正12年生まれ)は柿原万蔵(秩父鉄道社長)の二女。 父西望は曠原社を率いると、1922年(大正11年)、西ケ原に彫刻研究所を開いた。1953年(昭和28年)に父が当時の滝野川区から東京都武蔵野市にアトリエと住まいを移すと、北村治禧がひとりで創作を続け、1983年(昭和58年)に建て替えた。東京都北区は治禧の没後、2002年にアトリエを受贈し、寄託された作品とともに「(仮称)彫刻アトリエ館」として定期的に公開している。 主な執筆者、編者の順。
小金丸 幾久(こがねまる いくひさ、大正4年(1915年) … 小金丸 幾久(こがねまる いくひさ、大正4年(1915年) - 平成15年(2003年)3月6日)は、長崎県壱岐郡武生水村(現・壱岐市)出身の彫刻家、太平洋美術学校教授、東京大学建築学科講師。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(… 富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(大正2年)5月18日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の彫刻家、三洋電機の工業デザイナー。長崎県長崎市生まれ。叙従三位。 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部首席卒業。同校では北村西望、朝倉文夫、建畠大夢が教鞭をとっており、特に北村西望に師事した。〈在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」(長崎県美術館蔵)にて初入選して以来、日展を主な舞台に活躍した。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけ、3年連続で日展の特選を受賞〉。同研究科卒業。 1972年(昭和47年)日本芸術院賞受賞。