村上 鞆彦(むらかみ ともひこ、1979年8月2日 - )は… 村上 鞆彦(むらかみ ともひこ、1979年8月2日 - )は、日本の俳人。大分県宇佐市出身、東京葛飾区在住。本名・勝彦。 1998年、「南風」に入会、鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。また早稲田大学俳句研究会に所属。後輩に高柳克弘がいた。2002年、同大学第一文学部卒業。2006年、南風賞受賞。2009年、若手アンソロジー『新撰21』入集。2011年、「南風」編集長。2014年、代表山上樹実雄の逝去にともない、津川絵理子とともに「南風」主宰に就任(兼編集長)。2015年、第一句集『遅日の岸』(ふらんす堂)を刊行し、第39回俳人協会新人賞受賞。代表的な句に「団栗の青きが握り拳の芯」「花の上に押し寄せてゐる夜空かな」「枯蟷螂人間をなつかしく見る」などがあり、洗練された叙情的な句風。
川野 里子(かわの さとこ、1959年〈昭和34年〉5月27… 川野 里子(かわの さとこ、1959年〈昭和34年〉5月27日 - )は、日本の歌人、評論家。短歌結社「歌林の会」(かりん)所属。 大分県竹田市生まれ。大分県立竹田高等学校、京都女子大学短期大学部卒業。千葉大学大学院文学研究科修士課程修了、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。山形市、カリフォルニアなどを移り住む。馬場あき子に師事。歌誌「かりん」編集委員。 朝日歌壇、日本農業新聞選者、専修大学、立正大学、放送大学非常勤講師。2008年度、2009年度、2023年度、2024年度NHK教育「NHK短歌」選者。2025年4月より、馬場あき子の後任として朝日歌壇選者に就任。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月… 松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - … 今村 俊三(いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日)は日本の俳人。 大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市(現北九州市)、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる。 1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。「霜林」「鶴」を経て、1979年、「桃滴舎」を創刊、主宰。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム「風車」を担当。句集10冊のほかに、「風車」のコラムをまとめた『桃滴コラム』、「桃滴舎」に連載したエッセイなどをまとめた『桃滴記』『桃滴日録』などの著書がある。
徳田 白楊 (とくだ はくよう、本名:森下文夫、1911年5… 徳田 白楊 (とくだ はくよう、本名:森下文夫、1911年5月28日 - 1933年1月19日)は、昭和初期のアララギ派の歌人である。アララギ派の天才と呼ばれ将来を有望されていたが、夭折した。 1911年(明治44年)5月28日、大分県大野郡上緒方村(現・豊後大野市緒方町)に森下虎三郎の二男として生まれる。 1927年(昭和2年)、旧制竹田中学(現・大分県立竹田高等学校)在学中に16歳で肋膜炎を患い、休学を余儀なくされる。1929年(昭和4年)、竹田市の教会でキリスト教の洗礼を受ける。大分新聞(現・大分合同新聞)に短歌を投稿したところ選者の土屋文明が「宝玉的天才歌人」と呼んで高く評価し、重い病気を持っていることを知って新聞に30首一挙掲載を行う。
大悟法 利雄(だいごぼう としお、1898年12月23日 -… 大悟法 利雄(だいごぼう としお、1898年12月23日 - 1990年11月26日)は、日本の歌人。 大分県中津市出身。中津中学校卒業。地元で代用教員をした後、大阪や大連に住んだ。1918年、若山牧水の歌誌『創作』に参加。1922年に静岡県沼津市の牧水宅を訪ね、以降、1928年に牧水が没するまで助手を務めた。そののち改造社に勤務し、大橋松平と「新万葉集」「短歌研究」を編集。1946年、『新道』を創刊、『創作』と合流し選者となった。 牧水の高弟として多数の研究書を執筆し、沼津市若山牧水記念館の初代館長も務めた。 1937年、『東京日日新聞』紙上で萩原朔太郎に短歌を酷評された際に、引用間違いなどを指摘して抗議し、謝罪文を送られている。
江口 章子(えぐち あやこ、1888年(明治21年)4月1日… 江口 章子(えぐち あやこ、1888年(明治21年)4月1日 - 1946年(昭和21年)12月29日)は、歌人、詩人。北原白秋の2番目の妻。 大分県西国東郡香々地町(現豊後高田市)に旧家江口家の三女として生まれる。1901年(明治34年)、大分県大分郡大分町(現大分市)の大分県立大分高等女学校で学ぶ。 1906年(明治39年)に弁護士と結婚して大分町に在住する。しかし、1915年(大正4年)に離婚すると平塚雷鳥を頼って上京。1916年(大正5年)に千葉県南葛飾郡小岩村の借家で白秋と同棲を始める。1918年(大正7年)には白秋と入籍するも、1920年(大正9年)に離婚。 離婚後は大分に戻り、別府市の伊藤家別荘に逗留していた柳原白蓮を訪ねて身を寄せた後、西国巡礼に向かい、その帰途に大分市松岡の浄雲寺や木上の少林寺を訪れた。